アイパオの話(その8)

今読み直すとミキさんの国語力は中洲より格段に優っております。論理もしっかりしておりバー・コルで一緒に飲んでる時でも中洲の失言を絶対許しません。だから震災支援活動を論じるのは余程注意しないといけないのです。

そもそも支援活動について彼女とは根本的に考え方に相違がありました。まあ彼女は現地を見てないので衣類や食品を届けるのが一番だと思うのは仕方ない事です。メールでその事を正直に述べております。

じゃあどうやって問題を解くかになると中洲の奇跡のアイデアにイチャモン付けるだけのヒス女(性)ですね。一般的に女性は問題を解くことに男ほどには興味を持たないようです。

被災者には個人のプライバシーが守られる清潔な住まいを災害発生後数時間で届けること。それが文明国の為政者の義務なのだという事を久ノ浜中学体育館での避難民生活から確信しました。

メルトダウンの被害者である沢山の夫婦がダンボールの間仕切りで生活させられておりました。衆目は被害者達のセックスを破廉恥にも公然と奪っているのです。ついでに日本国民を何と礼儀正しく従順なのだろうと自慢しておりました。

こんな事態にこそ三島由紀夫が登場して檄文を差し出して欲しい。そう思ってネット見ると怖いですねえ。滅多なことは言えませんよ。政治もメディアも皆そうです。

然し思い出すのはあの久ノ浜中学での先生や生徒の献身的な立ち振る舞いです。彼らのように危機に際して「今こそ責任を果たそう」との心が持てれば未だ日本には救いがあると思います。

繰り返しますが瓦礫の前で「建築確認申請をすること、させること」が優先されるバカバカしさです。そして一棟300万円の仮設住宅を立てるのに半年、それもルールで一定期間の使用後数百万円かけて取り壊しです。あの合理的なドイツでさえ難民受け入れに同じことをやってます。全て税金の無駄遣いでしかも被災者や難民の神経を逆撫でするだけの上目線でね。

結局大震災の後中洲は半年間走り回っての渾身のアイパオ普及作業でしたが遂に一人の賢者にも出会わず無為に終わったわけです。次に起こった熊本震災で も状況は全く同じでした。皆異口同音に日本は「東日本大震災からは何も教訓が得られてない」と。

じゃあどうすればいいのか思案しました。何事にも不可能はありません。方法を見つければいいのです。無ければ作り出せばいい。

ホームレスを顧客とする「営利事業」を始めるのです。発想を変えれば事業は幾らでも広がることを唯一自慢の後輩の孫正義がそれを世界に実証しています。だが彼が震災直後投じた私財100億円の義援金は一体どこに消えてしまったのでしょう。他に問題解決策が天才孫正義に思い浮かばなかったのでしょうか。もはや「義援金」で問題は一つも解決しないこと、「真のビジネス」にこそ貧困問題を含む諸問題解決の鍵があると断じるべきだと思うのです。

お金の無い数千万もの人々にお金を貸す事業が成功しているのです。考えりゃこれこそ真っ当な銀行業であった筈です。だったら家が無い人にこそ家を売るべき。それが出来れば金持ちの被災者に1日1ドルで家を貸すなど造作もないことでしょう。

巧妙な規則を作ってそれを守らせることを天職と心得るのじゃなく「時代に合わない規制は急いで撤廃しよう。だが現行のルールは守らなきゃいかん。だから一緒にうまい解決策を見つけよう」それが優れた「公僕」でしょう。「DiDi」や「UBER」を白タク呼ばわりする行政に孫正義が遂に噛み付きました。彼のことです。きっと「約10平方米で災害発生から数時間で建ち上がる住まい」開発をビジネスとして捉えるでしょう。

これから何が起こるか読者の皆さんと一緒に期待しましょう。

子供達のためのバス停です。

アイパオの話(その6)

3月14日から出社です。何かバツが悪くて皆んなと会話になりません。大揺れに揺れた東京と違って福岡の連中に地震のすごさを理解しろと言う方が無理です。社内でおおっぴらに犠牲者を悲しむわけにも参りません。今度の24号台風だって「ああ自分の所から逸れた」ただそれだけです。天災なんてものは。

然し実際に大災害の現場を見た者にとってはじっとして居れないのです。早速あのへそ曲がりのイノウエ君に頼んでアイパオ のイメージを描いてもらいました。

イノウエ君が中洲の頼みを明らかに鼻で笑いながらサッサと絵にしてくれました。さあ大急ぎでアイパオの開発です。

それでは皆様にアイパオのいわく因縁を聞いて頂きましょう。iPadでアルバムを開くと先ず大分県は湯布院塚原の不良資産2000坪です。

1998年  取引先の建設会社から高値で摑まされました。それも川底の上一面を茅が覆うひどい荒地です。

1999年から会社の仲間を誘って(強制して)開発開始。オーノ君が中洲の土木建築の師匠になりました。

2005年強風に耐えるか12角形のビニールハウスを作ってみました。何とも不細工です。

2008年改良した屋根構造が特許になります。

2011年震災後大急ぎで準備。12枚のソーラーパネル設置。だがドアを忘れておりました。

ご覧のように福島のK化学買収同様ここでも中洲の無駄遣いからコトが始まっております。だからこの荒地と20年間格闘しているわけです。「週末農業羨ましいですね」と人は仰います。確かに楽しいですが農業とは時間との戦いで相棒の新澤さんは黒板にTODOLIST書いては消しこむ毎日です。草刈りも終わる時には出発点の草があざ笑うように伸びております。アスキーの鶏も越境して畝を作る端から足で壊します。新澤さんはキャベツに卵を産み付ける可愛い蝶々を本気で追い回さなきゃいけません。2000坪はなかなか大変な広さです。

そして又ここは色んな開発の拠点であり人との出会いの場所でもあります。

由布岳の西端からのオロシは強烈で折角建てた最初の5棟の高床式小屋「オヤジ1号」は台風19号で壊滅。この経験から6角形の小屋「SOHO1号」開発で勝利しました。

素人の悲しさ。5棟全部吹っ飛びました。

6角形だと基礎なしでも20年健在です。

強風のためにここ塚原地区にはビニールハウスは一棟もありません。そこでモンゴルのパオに倣って12角形のビニールハウスを開発し生ゴミ発酵菌を研究してRMC35菌を量産、壁構造から棚構造にすれば躯体が強靭になることを見つけてニワトリ小屋に応用しました。これが被災地救援用簡易組み立てテントハウスへ発展したわけです。

中洲はこれを動機不明の芋づる式開発と定義しております。人との出会いも又不思議に商品開発と絡まってくるのです。

アイパオの話(その3)

気がつくと数人の女子中学生が甲斐甲斐しく炊き出しのおにぎり一個と乾パンの缶詰を配り始めます。

驚きました。中学の先生たちと生徒たちの間ではちゃんと段取りが付いていたのでしょう。何時もの練習で試合に臨むかのように淡々と役割を果たしております。悲しみを沈黙に押し込める年老いた被災者たち、日頃の訓練をさらりと演じる先生と生徒たちを先ず観察しました。「これこそ日本人の美徳なのかなあ」複雑な気持ちです。背広にネクタイの今思えば異様な風体のこの老兵にも娘が無言で食べ物を手渡して呉れます。「この年頃になると必ず神様がふっくらと色白に焼き上げてくれるものだな」とその娘にちらりと目を配り食にありつきました。

空腹も覚えず美味くもない飯を頬張り乾パンをかじり終わると少し避難民の気分になって校内をうろつくことにしました。停電はなかったが水道管が破損した水洗便所は溢れた糞尿で大変な事になっています。トイレと言えば夜が更けて校庭に張られたテントの中、ダンボールのトイレで娘達が用を足しているのです。男のように立ち小便とはいきません。自然災害で第一の困難はトイレだと思い知らされました。汚物の沁みた紙トイレの山積みを見るにつけて現代人の策のなさに呆れてしまいます。

地面にサッと穴を掘ってそこにパナソニックの洋式トイレを据え、その周りをカーテンで囲えばいい。用を足したら土をかけるのです。発酵菌が一緒なら糞尿は直ぐに土に還ります。フィンランド人は湖畔で皆そうやってます。

昔ならインデアンの酋長よろしく経験豊富な翁が適切な指示を出し皆は素直に翁に従って被害を最小限に抑えるでしょう。だが「平時の弱虫達が有事になると大声の害虫達」となって何にでも正論のイチャモン付けるのです。至る所でそれを目にしました。彼らは自分の意見が通るのが嬉しいだけで何ら解決案を用意するわけではありません。平時のルールが有事では問題解決の妨げにさえなります。じゃあ一体全体どうすればいいのか。答えは有るはず。その答えをこれから見つけ出さなくてはいけません。

その夜、暖を求めて立ち入った教員室のテレビに報じられる恐ろしい光景はまさに日本沈没でした。遠く千葉の石油コンビナートも火の海に包まれています。この久之浜地区でも42名の犠牲者が出たとのこと。あの土煙の下が阿鼻叫喚の世界だったとは。中洲が乗車した富岡駅も流されてしまったそうです。避難所は沈黙が支配しています。年寄りが多い。幾度と繰り返される災禍の中で地方の人々はその時いつもこうなのでしょうか。テレビの向こうで喋っている行政や報道人との温度差が余りに大きいのです。

行政の第一の使命は人民を災害から守ることと迅速な災害復旧でしょう。良い政治か悪い政治かは災害の時に露呈しますね。会社も経営者も然りでしょう。テレビの向こうは本当に恥知らずのエリート達、それとも経験と知恵が無いだけなのだろうか。だったらこちらから知恵を出してやればいい。災害の時に先ず必要なものは何か?退屈だから校内をうろつきながら思案しました。

それは家でない家。即ち10平方以下の雨風に強くものの数時間で建ち上がる綺麗な家です。空き地にどんどん建ちます。ラーメン屋、集合トイレ、お風呂、二階は子供達の部屋で天井には映画も映ります。ラブホテルも有ったりして。道具小屋も欲しい。しかも価格は躯体だけなら10万円。校庭中に各色のドームが光っているのです。子供達はここがいい、ここに住みたいと。

早速例の害虫たちがやって来ます。「ところで君ィ、建築基準法は通っているか」と。「あなた10平方以下は家じゃない。だから法律は適用されませんよ」「台風が来て小屋が飛んだらどうするんだ」「逃げればいいでしょう。今回の津波に比べれば台風なんてどうにでもなる」

士郎の脳味噌が震え出し例のうわ言が始まり次第に熱くなって来ました。「俺は九州に戻って直ぐに救援にやって来るからな」と。

久之浜中学の体育館で

久之浜漁港。夜通し燃え続けました。

久之浜漁港。壊れた岸壁

ケミホタルの話(その1)

老婆(ラオポ)にとって「赤ひょうたん」はトラウマで近づこうともしません。それが士郎の母親若子が死んで5ヶ月後若子の88歳の誕生日にその若子の店「赤ひょうたん」を士郎が再開してしまったのです。2014年の春のことです。若子鎮魂と言う建前でね。これはその時の物語の一つです。

   赤ひょうたんに4人連れの客があり中洲士郎に幼友達に巡り合ったような親しみの目を向けました。店の飾り窓に白いマーカーペンで「ケミホタルの里」とあるのを見て店に入ったそうです。

「この店、もしかしてケミホタルと関係があるのですか?」何か宝物でも探り当てたかのように嬉しそうな笑顔を士郎に注ぎます。一方の士郎は隠し置いたルアー(疑似餌)の魚信に微かな笑みを漏らしました。勿論好人物らしき4人連れにその士郎の表情の変化の意味をくみ取れる筈はありません。

    全国に釣りを少しでもかじる人の数1200万人位の中で夜釣りを楽しむのは限られます。100万人位としましょう。その人達は殆どケミホタルを知っています。多分このケミホタルが世界に夜釣りを広めたのでしょう。

人間に与えられた楽しみの一つが道具を手にすることと新しい道具を工夫することです。孤独な幼児が竹笛を鳴らして野鳥と会話を始めるように誰しもそうやって道具を手にして人生が始まり短い一生を終えるのでしょうか。

アメリカ自然史博物館、ここをウロつくと人間と道具の関わりが沢山の仕掛けに物語られています。中洲士郎ニューヨークに行くと大抵一日ここで遊びます。連れの女性が博物館散策が好きだったらその人はきっといい女です。

      色んな道具の中で釣り道具は特に面白い。同じ空気中の生き物じゃなく別世界の水中の獲物の姿を想像して捕獲するのですから刺激的だし知恵がいるのです。誰よりも優れた道具が欲しくなります。だから釣り道具にはその時代の最先端技術が詰め込まれているのです。

少々値が張っても、見合う獲物が取れれば道具は直ぐに売れます。面白いことに現代でもナイフで削り出した棒一本が釣りビジネスになるので起業の一大宝庫であります。青春のひと時「一旗上げたい」と思うのは人の世の常、例えその一歩が踏み出せずともです。

中洲士郎もその一人でした。ローレライの妖精の囁き「起業しなきゃアンタ後悔するよ」に乗せられ小舟を手のひらで漕ぎ出してしまったのです。一家の命の支えである毎月の銀行振込がピタリと閉じられる恐怖の世界です。

とにかく漕ぎ出しました。

破滅の予感です!実は自分には人も金も技術もない紛れもない素寒貧でどうしようもないトンマだという認識があったのです。

神戸の港からフェリーで故郷の博多に戻る前のいい加減な独立プランの一つが釣具それも夜釣りの光の開発でした。大それた実現出来る筈のない企画、今思っても背筋が寒くなる舟出だったのです。

生まれ変わっても絶対こんな真似はしません。ああ幸いに人は生まれ変わることがないから安心です。

   そしてその恐ろしい起業の話をする機会を伺って「ケミホタルの里」という疑似餌を仕掛けていたのです。

酔客の一人が目に止めて朦朧とする脳裏に「ケミホタル」と手書きして「ケミホタルだと?」と呟きながら店に入って来る筈でした。

 だが実際に入って来たのは酔っ払いでなく40歳位の女性一人男性3人の真面目な連中でした。皆無類の釣り愛好家だったのです。そして会話が始まりました。

「ケミホタル」の話です。(続く)

ケミホタルの話をしましょう

ずっと出張が続いておりました。昨日大連から成田に着いてビッグサイトでのスポルテックショーに大連でこさえたバンバンライトを展示しました。今日はもうくたびれ果てて着陸した福岡空港からヒメノさんの運転でお互いの棲家二日市に向かっております。

「何とかBi見逃サーズをヒットさせたいなあ。この前の18日からのメンテナス展どうやった?」「こいつは凄い。あんたんとこの会社の株買っとくべきやった。安いなあ。どうしてこんな値段で出せるの?味噌樽の中覗くの大変でね。脚立は危ないし。これなら楽だ。すぐに買いたいな。そんなこんなの凄い評判でしたよ」運転中のヒメノさんの話に疲れが吹っ飛びます。

そう言えば宿題を忘れていたのを思い出しました。ブースに日立のエンジニアがやって来て「こんなモノ出されたらもう参ったな」「すみませんねえ。ウチは釣り道具屋だから竿は得意なんですよ」「会社は初めケミホタルってもの出しましてね」「えっ!ケミホタルだって?僕はその大ファンよ」彼暫くして県庁の釣り仲間とやらを連れてきて「記念写真撮らせてよ。ケミホタルの発明者と一緒のところを会社のブログで紹介するんだ」だって。

そうか中洲士郎はあのケミホタルの発明者なんだ。これってこの前の勲章よりも凄い誉れです。そしてお二人にケミホタルのカタログ送るって約束していたのを思い出したのです。

ついでに明日はそのケミホタルの話の一つを皆さまに紹介させて頂きましょう。

首から吊るしたタブレットには天井裏に隠れたあらいぐまが写ってます。

キホーテに倣って

昨日の朝のMU便で上海に飛び昨日今日とビリビリアニメエキスポを視察しました。ここでのルミカの新コンテンツの確認でした。

世界中の若者たちはSNSで瞬時に情報を共有し逸早く最先端の流行に追い付こうと真剣です。

中国の起業家達も同じく獰猛に獲物を捕獲しております。彼らに貪欲で勇敢な投資家が続きます。孫さんが遂に運輸行政に噛み付きました。米国ではUBER中国ではDiDiが無ければ最早生活が成り立ちません。これを白タクと定義する日本の役人に悲鳴を上げているのです。便利さを知らない日本国民はさほど苦にもしません。しかし最早貴重な収入源のインバウンド達が日本の不便さに黙っちゃいないのです。

規制政策の問題は企業の開発力ひいては国力の彼我にどうしようもない格差が付く事です。既に中国には全産業でどんどん引き離されております。

数年前からニコニコ動画配信が日本に生まれて広がりました。これをパクり違法動画をどんどん吸い込んだビリビリ動画が市場を席巻しているそうです。そして今回の視察がビリビリワールドでした。ドローンも飛び回る物凄い設備の展示会です。そこに未だ未成熟のコスプレ人種数10万人を吸い込んでロボットアーティストが大音響で彼らを教化しておりました。真面目で熱心な若者達が来年にも日本を追い越して世界に新らしいコスプレ文化を広げるでしょう。それがニコニコを瞬時にそして遥かに飛び越えたビリビリのコンテンツなのです。

かと言って企業の劣勢を無策行政のせいにしちゃいけないと思います。世界で日本ほど起業に恵まれた場所は無いと念じるべきです。セレンテビティ精神でルミカは何処にも負けないコンサートの光パワーを確立しました。ウチの連中はオタ芸コンサートという新しいコンテンツを作り上げて世界中に進出しそうです。逞しくも逆に中国企業のやり方をパクっておりました。

となると老兵中洲士郎はヒカリモノを卒業していよいよ「Bi見逃サーズ」で勝負するしかありません。痩せ馬ロシナンテに跨り中世の騎士を模して槍ならずBiRodを傍らに目指すは悪魔の化身の風車です。

 

50年前の開発案件

満を持してBi見逃サーズの発表。場所は東京ビッグサイトで開催のメンテナンス展です。

BiRodはよく売れていますが専らプロ相手だから年間10億円の池ではなさそうです。一般消費者が欲しがる道具に仕上げれば数字はとんでもなく大きくなる筈です。

このBi見逃サーズをモノにする物語かそれとも全く当てが外れて悲嘆に暮れる話かを少ない読者と共有させていただきます。

どんなに優れた新製品でもヒットさせるにはそれなりの話題作りが不可欠でしょう。ある種の企みですね。これの方が開発よりも面白いかも知れません。結局石巻からは返信ないので大震災海底捜索行は止して上海ビリビリワールドに針路を変更しました。上海から戻って策を講じましょう。

見本市なら歩き回ってネタ探しが堪らなく面白いです。序でに今年入社の新人女性社員を連れて商品開発の特訓もやりました。

見本市ブースでの社員の応対でその会社の開発力の実態が分かること。ICレコーダーで録音して戻って情報を反すうする事。カタログが一番の教科書である事。女性もあらゆる分野の技術に明るくなる事。などなど年寄りの繰り言をどれ程理解してくれたでしょうか。

会場での沢山のネタ探しの中で涙が出るほど嬉しい情報がありました。橋梁の伸縮継手です。中洲は新卒で入社した小さな耐火物商社で運良く勝手に商品開発して起業させて貰いました。

その最初が橋梁の伸縮継手です。厚かましくも天下のBSに駆け込みタフジョイントと言うブランドで世に出しました。何のことはない。それは社外恩師であるアライ氏のラバトップジョイントをパクっての商品開発でした。そのアライ流起業術と稀有な営業力こそ中洲の生涯の虎の巻です。そのアライ氏今や80歳。会長職で当時3歳の息子が社長で会社TG道路は存続中との事でした。

それだけでは有りません。未だ伸縮継手の決定打が世に出ていないから誰も市場を制覇していないのです。更に3M社のブースを覗いたらそこに大秘密が寝ているのを発見しました。血が再び騒ぎ始めます。これって世界の橋梁の伸縮継手の革命となるに違いありません。

あの当時伸縮継手で青春を燃やしてからもう半世紀も経過してしまいました。

ロス漫遊記 コンテンツって?

4日間で40万人の来場者。凄まじい賑わいも最終日です。

色んなことを教えられました。「何時も新しいことに挑戦しなきゃあ」と言っても「新しい」って何だ?となります。「コンテンツを持った者が勝ち残る」とも耳にしました。じゃあコンテンツっちゃ何だ? 恥ずかしながら中洲に解けなかった問題でした。その疑問の答が最終日のルミカブースに現れたようです。要するに人が集まる仕組み作りなんですね。人が集まったところに利害関係者が寄り添って来るのです。

中洲には「コンテンツ」の概念無しに前々回のAX2016ロスに初参加しました。小さなルミカブースの賑わいを見て本能的にオタ芸舞台8小間運用を決意。今回が2回目のオタ芸大会でした。通路も埋め尽くす踊りと歌とルミカライトの渦。去年は主催者に何度も注意を受けたようです。

それが一転。今回は主催者も優しく踊り手に対応。「新しいコンテンツ」の出現に関係者が色めき立つのです。NYやアトランタや他の都市の主催者から続々出展の要請が・・・。「ブースは無償で提供する」とまで。中洲には新商品開発して買って貰う事しか知恵が回らしなかったが「新しいモノ」で「人を寄せ付ける」それも只で提供してコンテンツを独占する。そしてそれを大きな事業モデルに発展させるのです。

これから世界各地でオタ芸舞台が拡散し進化するのです。光はルミカの無償提供です。楽曲や踊りには各地のオリジナルも加えて欲しい。となるとDJに技とパーソナリティが求められる。中洲士郎DJでデビューして旅芸人になりたいよ。

もう「Bi見逃サーズ」なんかややこしい商品の開発止めようかな。石巻市の娘を探す父親から未だ返事が来ませんね。中洲の申し出が悪かったのだと気になります。石巻海底捜索行も辞めようかなと思い始めました。

釜石沖の海底で

台風7号が九州に上陸。一晩中暴風雨が荒れました。

明日からのロス出張のためにBi見逃サーズの仕上げです。カメラに40号の重りを付けるとUSBケーブルには負荷が掛かるので小型リールに強力PEテグスをセットして吊り下げる事にしました。このリールは3年前中国の天津釣り具ショーで入手しておいた優れものです。太鼓リールの下に1/2インチネジが付いて竿の底に取り付けるようになってます。常々何か毛色の変わった品を手に入れてTOYBOXにしまっておくのが商品開発の秘訣(シークレット)かも知れません。

モニターの背後に見えるのが秘蔵のリールです。

次にBi見逃サーズ30M巻き取り型を首に掛けると何とも首が凝ってやり切れません。それでたすき掛けにすると快適でした。これもベルト仕様への変更になりそうです。中々Bi見逃サーズは 終着に至りません。

いよいよ台風が荒れ出した7時頃やっと一通の手紙を書き終えて帰宅しました。釜石でご不幸に遭われた水産会社の社長さんに海底遺品探索協力をお願いしてみました。重ねてご非礼を詫びつつの気が重いお願いでした。

さあ明日からの渡米を待つだけです。

チェリー酒の開発

今日も雨で由布院行は諦めました。会社に出てゆっくりしてます。

当たり前と言えば当たり前ですが・・。人は誰も自分の好きなことやってると全然疲れません。それどころか疲れが取れて気分が良くなります。園芸とか手仕事が一番でしょう。ゴルフなんかだとお金使った上に中洲は余計にストレスが溜まるので止めました。

余談ですが、もしも障害者だったら両親の為に、ホームで死を待つ老人なら可愛い孫のために手仕事(エシャレットの皮むきが一番)をしてプレゼントのお金を稼ぐのが病んだ身体と精神をすこぶる健康にすると思うのです。そんな施設を由布農園に作るのが次の目標です。

さて私中洲士郎は大連イベントを打ち上げて身も心も虚脱状態でした。それが28日と今日、チェリー三昧で身体がスッキリしております。

先ずチェリージャムの話です。

話をはしょりますと世界で一番美味しいジャムをこさえようと10年以上挑戦中です。そしてジャムは大体完成し世間に大絶賛です。要は低温脱水して果物の色と歯ざわりを失わない作り方です。だから中間体のジャムを冷凍保存して中洲のジャム工場でたっぷりレモン果汁を加えて特製装置(エバポレータ)で仕上げるのです。ところが今回大連ではチェリージャムを政府の要人にプレゼントするのに装置がありません。それで即製で脱水未処理のジャムでしたがかなりの出来でした。

一体全体中洲の特殊装置は本当に必要だったのだろうか。疑問が湧いて眠れません。それで28日その未処理のジャムを装置にかけて味を比べてみました。

「何かしらんけどトロトロして歯ざわりが良くないねえ」との老婆(ラオポ)の酷評が装置を通したジャムでは果肉が蘇り風味も増したようで「合格」の評。やれやれでした。

次はチェリー酒です。大連で酒男Mr.Aとの楽しい酒談義そして中国で酒を作ろうとの計画が生まれたわけで今日は朝から意気盛んです。

お酒って梅酒でも勝手に作ってはいけないようです。ホワイトリカー35°ならOKとありました。(こんな法律定める為に身を削る秀才が気の毒です)中洲士郎酒造法には抵触していないようです。

中洲のジャム工場で。各5Lのチェリーリキュール。冷蔵庫を15℃にセットして1年寝かせます。そしてMr.Aの評価を得て来年ワイナリー計画を実行に移すのです。後方が低温脱水装置です。低温脱水ジャムに興味ある人にはいつでも公開しますよ。