テルアビブ空港で

11/29(水)イスラエルのテルアビブ空港でLHフランクフルト行きを待っている。今朝4amにホテルをチェックアウトしてイスラエルのいい旅を終えて帰国の途についた。

写真のBARのビートの効いた曲とスコッチのシングルモルトがよく合っている。

このイスラエル4日間、日本とは全く異なる文化なのに随所に何か琴線に触れるものがあった。
イスラエルって国がミッちゃんのハートをえぐったのが単に女性が魅力的だけではないと納得。
是非皆さんもやって来るがいい。

1人の人生は高々100年。だが「3000年が確かにその1人に尾を引いてる」ってのをイスラエルにいると実感するよ。ある面で人は長〜い過去から逃れられないんだな。中洲士郎が中洲若子から離れられんのは当然だ。
だからだろうか、長い歴史が息づいているこの国で出逢う連中皆の視線に、笑みに、つい心が和んでしまう。

搭乗手続きの事前諮問とやらを若い横着な女性が長々とやる。腹据えかねて待つこと30分。やっと順番だ。嫌味の一言でもと構えて差し出した中洲のパスポート見て「シローか?私もシローよ」ってニッコリ。アリちゃんと直ぐに通してくれた。「サンキュー、シロー」って答えた。愛おしいな。少しデブちゃんだったけど。

テルアビブで

11/28(火)ユバルの事務所兼工場はエルサレムから北へ1時間走ったテルアビブの地中海の辺りにあった。

秘密保持契約までして行く気になれず躊躇していたが迎えに来たユバルとモーシュの明るい顔を見て工場を見てやる事にする。生産現場は予想通りの代物だったがお粗末な共同工場の入り口の花とハーブの花壇が気に入った。木製のプランターの内側をビニールシートで覆っているので土が乾燥せず枯葉が一枚も見当たらない。由布農園で真似しよう。手入れの良さを褒めたらモーシュとても喜ぶ。
事務所で差し出されたスコッチのマッカレンをチビチビやりながら結構激しい話をぶつけ合った。

中洲の主張は、
ユバル達の商品もアイデアも化学発光体がこれ程陳腐化した現在もはや何の価値もない。

結論は
相手がルミカを超尊敬している事をいい事に言いたい放題だった。それでもアイデアを具体化して自動機械を作ってここまでやって来たことを尊敬する。ある面でルミカ学ぶべき大である。ルミカが付けばもっと彼らの力が引き出せるし、それに人柄がとてもいい。(イスラエル人の普遍的な財産かも)それに世界的に見てイスラエルにR&Dセンターを構えるのは極めて先進的で卓越した選択なのだ。だから彼らと手を結ぶことにした。


地中海料理の店とモーシェ。

地中海の夕焼け。何時もこんなだそうだ。直ぐ先がガザだという。平和そのものに見える。

目的と手段で奇妙な符合

11/27(月)昨日はマサーダ要塞から死海温泉センター観光。そして今日はエルサレムのvisitation church観光とエルサレム神殿見学だった。

静かなたたずまいの教会を見学して細道沿いの素朴で洒落た喫茶店での会話です。

前を可愛い女学生達が変な東洋人を興味深げにチラチラ目をやって通り過ぎて行く。本当にイスラエルの女性達は可憐でその上ブロンドの髪にすらりとスタイルがいい。

「なあユバルよ。ルミカの創業期の話をしてやろう。 1980年頃だ。お前の発光プレートと違って先ず釣り用のミニ発光体を狙ったね。(相手はルミカのHPで既に熟知の様子だ) この小さな光で世界中に夜釣りが燎原の火のように広がっていったよ。本当に必要な品は口コミで広がって行く。数千万個売ったかな」

1970年に発明されたサイリューム6インチは今でも化学発光のキング。それはACC社と米国政府の共有特許だった。その技術は当時誰も真似できない高度なものだった。

「さてだ。ルミカはミニライトをどうやって生産したと思うか考えてよ。技術も人も金も無いんだぞ。お前達とおんなじだった」
相手「・・・」
中洲「分からんか?」
相手「・・・・」
しようがない奴だと中洲「サイリュームをその数100万本植木バサミで切り出して原液を分けて精製してな。一本から50本のミニ発光体を作ったのよ。まあACCにとっては民間では世界一のユーザーって訳だね」

YUVALと MOSHEの2人が中洲の話を聞いて感動すると思いきや。目を丸くして声を上げた。
「わしらとオンナジだ。ルミカライトを200本バラして一本から2枚の発光シートこさえたぞー。だけど100万本か〜」だって。
わし等がACCを神様と崇めたが同じく今度はYUVALがルミカを大先生と尊敬している図式だ。

この後「そのキングの6インチサイリュームを超える」のが事業だと。そための大閃光8インチ、その開発ストーリーをしてやった。さすがにしっかりと理解したね。

エルサレム宮殿と嘆きの壁、そりゃ凄かったが周りの土産屋と食い物やの凄まじい事。その汚い店先で食わされ、その上大いにボラれたイスラムのケバブ。夜中まで胃がもたれた。


visitation church

エルサレム宮殿とアリちゃん

キリストの血が祀ってある

不潔なイスラム料理。ザクロのジュース。

シシケバブ。味は濃厚だが。

嘆きの壁

中洲士郎とアリちゃんの2人も壁に額を付けて嘆いた。アリちゃんは欲張ってスカット、スカットってお願いしてました。

イスラエルマサーダ要塞

11/26(日)モーシュの運転する580馬力のJEEP、死海の西岸沿いに2時間南にぶっ飛ばして到着したのがマサーダ要塞だ。世界遺産らしい。

何も予備知識無しに本当の本物に出会った時の感動がガンガン胸を打つ。一面の砂漠の中に切り立った断崖の上の桃源郷に立てこもる1000名のユダヤ人家族達、これを殲滅せんとするローマ軍その数12000名が眼下に陣取っていた。2000年前が眼前に広がるかのようだ。擁壁には2000年前もいたであろうカラスとツグミの混血みたいな鳥が手の上のピーナツをついばむ。


中央の四角い地面にローマ軍が陣取った。

ユダヤ戦争の戦いに敗れて数人の子供達を砦に残したユダヤ人達はローマの奴隷になるのを拒絶して皆自害する。以来ずっと彼らを尊敬し学び弔うユダヤ人は美しい民族だ。

日本人も嘗て「生きて虜囚の辱めを受けず」とユダヤ人と全く同じ気概を尊んだ。それがあの沖縄戦でバンザイクリフから身投げした同胞達に犬死だとの言葉を投げる後世の一部の日本人インテリ達よ。このマサーダに来たらきっと考えが変わるだろう。砦のユダヤ人達はローマの奴隷として働かされるのを拒むだけでなくユダヤの心を奪われるのを拒絶したのだと思う。

パレスチナの不毛の砂漠に鍬を振り緑の大地と化した勤勉なユダヤ人と同じく勤勉だった日本人。今も貧しく教育を軽んじて子供を粗末にするパレスチナ人。そして隷属を拒み続けるユダヤ人と打算的で恥の意識が薄らいだ日本人。考えさせられる一日だった。


マサーダ要塞。ユバル、アリちゃん、モーシュ

マサーダ要塞のレプリカ

不毛の死海の絶壁の頂上で完全自給の都会生活が営まれていた。人間の叡智だ。

イスラエル行

11/25(土)年も押し迫ったこの時期に何でイスラエルやと社内でいぶかる向き、当然の事だ。

本来ドイツの重大な案件を年内に片付けないといけなかった。そのついでのイスラエル行がドイツの日程が合わずイスラエル単独訪問となった。

そこでプログラムを組んだ。永年の赤字で存立が危ぶまれるドイツのTD社に対してルミカがこれをゲルスプレーの製造拠点としてスカットの独自販売網を築く策だ。現時点では全くの絵空事。その拠り所は変人井上のトリガーだけだがこれを利用してスカットをイスラエルの軍事ネットワークに乗せようとする中洲の算段。

問題はYUVALのFG社の内容を全然掴んでいないのだ。イスラエルもFGも皆目分からないが兎に角動いてみる事にした。ささやかな手がかりで大きな獲物を見つけ出せばいいと。何時もの中洲の行動パターン。

高校時代受験対策として世界史を履修しなかったのが悔やまれる。ローマやイスラエルの歴史を何も知らないのだ。今回も予習しようと思ったが結局行きの飛行機の中、開発案件処理に明け暮れて地理と歴史は白紙のままでテルアビブ に飛行機が到着してしまった。さてこれから如何になることやら。

中洲ブログの社外公開

11/24(金)忙しい1日です。中洲士郎イスラエルにとんズラするのでヒメノさん      オーツカ君イシバシさん等が大量の宿題を負わされました。

今日はセグチ女史と描いた妄想の話をします。女史が魅力的なのもあるが、2人は「ある企み」に少し酔っているのです。企みと言うのは中洲ブログの公開。その危険性と隣り合わせの刺激性が我々を夢中にさせます。

これからルミカが連発するNB新製品が世間の話題に上る。当然「ルミカ何者ぞ」と市場からのHPアクセスが増える。そこのHPに隠された奇怪なブログに  ゲストを迷い込ませると言う算段です。

役員達の謀反、無念の敗北、復讐戦、友情、そして開発秘話と盛り沢山の中洲ブログで読者を夢中にさせようとの企画。内容が馬鹿らしくて誰も読んでくれなきゃそれはそれでホッとしますが。

さあ急いでブログの体裁を整えんといかん。そう言うわけでイスラエル行は実はトンズラじゃなくてブログどぶ漬行となるのです。