裸のウイルス(その17)

ウイルスにとってはスケスケのマスクに特殊マスキングを施して出入りするウイルスを倒す戦法

マスキングの素材はCLO2二酸化塩素。現状ではこれが唯一無二の化合物である事をコロナ蔵元の国立感染症研究所が公表し社会に広く製品開発を促すべき。

それでは先ずCLO2パワースペースの開発から。クリーンルームにキャンパオ2型の応用を思いついた中洲のイカサマ提案に6ヶ月間けなげに従事したのは本体組立でイワモト、CLO2パワーコントロールでドガワ、遠隔モニタリングでヒメノ、時にグッドアイデアのナカムラ都合5名。その平均年齢は70でした。

空間で0.01ppmという極めて薄い濃度の二酸化塩素ガスで99.99%のインフルエンザウイルスが不活化するというデータと0.1ppm以下という米国の二酸化塩素安全使用基準に照らしてパワースペースの仕様を決めました。

三密の場所には必ず、三密でない歩道にもCLO2パワースペースを設置して全身くまなくCLO2パワーマスキングします。三密の場所ではパワーマスクとパワー手袋を介した濃厚接触でウイルス撲滅です。暗い所なら光るパワーブレスもいいでしょう。歌舞伎町で行政が秘密裏に何度も実験するのです。そうすれば人類を破滅から救った街として我等が歌舞伎町、世界中から称賛されることに。

自慢したいのは性能よりもそのコストパフォーマンス。全面透明2層ポリカーボ断熱構造内に照明、空調、加湿、CLO2ミスト噴霧、テレワークのTEAMSが作動するタブレットとドガワ自動濃度制御装置を付けてコスト50万円。直近の大雨でも屁のカッパです。

南海トラフ大地震が予測される中、国からの大量発注!!自衛隊が備蓄した1万棟を災害時に現場に急送。ものの3時間で被災者家族が快適に住める。それが僅か50億円の予算で実現。それでもルミカにとっては年間売上に相当するから大変美味しい仕事。だがそれははかない夢か!?

上に立つ人には相応の責任を自覚し必死で問題解決を思案する資質が求められます。

「避けられない災害なら・・・。瞬時に設置出来る快適な住まいの開発だ」「ウイルス罹患にはワクチン。だがその開発コストと時間が大問題・・・。じゃあ裸のウイルスを倒す方法の開発だ」と。

元来日本のエリート官僚には世界で唯一「お国のため」という美意識と矜恃が有って維新や敗戦の直後など国民が辛酸を舐めた時その愛国心が美しく輝いたそうです。

ど素人大臣の下では大変でしょうけど国難の今こそそのDNAを奮い立たせて欲しいものです。

次回はハリネズミ式ウイルス防護戦法について説明します。

裸のウイルス(その16)

皆様。コロナウイルス拡散防止の秘策を詰め込んだ「笑うセールスマン」ケースを完成しました。材料代は3500円のアタッシュケースと100均材料の合計3900円の出費でした。これでトランプ大統領を口説くつもりです。

親愛なるトランプ大統領、一緒に三密でコロナに感染しない方法を探しましょう

このアタッシュケースを約50万円かけて作ったCLO2パワースペースの中で撮影しました。

CLO2パワースペースの威容。室内は二酸化塩素濃度が0.03ppmから0.09ppm、湿度60%温度約25°Cにキープされております。入室者は約20秒のステイで全身が完璧にパワーマスキングされる筈です。

裸のウイルスが人の細胞に逃げ込む前にこれをどうやって倒すか。これこそが現代社会の喫緊の課題です。中洲はその解決方法を2400年前の中国戦国時代の兵法書に見付けました。

それはパワー防護、パワー攻撃、パワー待ち伏せの対ウイルス三段作戦のアイデアです。

皆さんと一緒に実際に三密の場で戦術を完成させたいものです。

敵のウイルスは少しズル賢いが裸の半生物、必ず化学反応攻撃でウイルス拡散を防止出来るはずですよ。次回から作戦の詳細を開陳します。笑って下さい。

暇とご興味のある方は是非パワースペースと「笑われるセールスマン」のアタッシュケース見に来てください。今年の新入社員から100円のパワー6を押し売りされるのを覚悟して。

場所はGoogleマップで「古賀市ルミカ」を検索。直通電話番号は

08039801048(場合によれば回線を閉じますのでご容赦を)

裸のウイルス(その15)

中洲士郎はブリヂストンに取り入ることで新井学校を卒業し1974年満30歳目前で東京支店へ都合3度目の転勤を命じられました。

4月には南ベトナムサイゴン政府が陥落して泥沼のベトナム戦争も終わり市場にベンチャーブームが到来。その中で中洲は9月に長男を授かり会社で唯一尊敬するK先輩の元で初めてサラリーマン生活をエンジョイしておりました。独立の気概が萎えながらです。怖いことです。

この頃の新事業と言えば昆虫産業という本を手にカブトムシ5000匹の養殖を手始めにヘラクレス事業に挑んだこと位です。毎週末肉体労働です。それだけ言えば中洲は中々粗野でセクシーな男なんですがねえ。実は老婆(ラオポ)の2歳上の兄貴が名を勝清と言って根っからの自然人、その彼に中洲は金魚の糞宜しく、くっ付いただけでした。

勝清兄は無人島でも独りで生きれる男で頭デッカチの中洲から見ると男の中の男です。多摩川の読売カントリークラブのグリーンを独りで管理しながらプロゴルファーを目指していました。その兄貴と計ってゴルフ場に隣接する畑三反を借りカブトムシの養殖を始めたのです。大きな幼虫がゴルフ場のグリーンの傍にタダで無数におります。成虫一匹200円で卸しても100万円にはなる筈でした。

しかし畑には防護柵をくぐって侵入する無数のモグラがトンネルを掘り小山がどんどん出現、植え付けた幼虫がことごとくモグラどもに食い荒らされ空気銃片手に遂に敗北宣言。勝清兄の男っぽい匂いがその後の由布農園開拓やアイパオ開発へと中洲を誘いました。

ところが3年して又もや大阪に4度目の転勤を命じられ新規事業に取り組まされることに。阪大出の部長以下ど素人集団には新規事業開発の何たるかが全く分かっていません。北の新地のネオンの下をトボトボ歩きながら会社よりも自分にとっての新事業を模索し始めました。

悩みを打ち明ける相手とてなく家族を置いて海外青年協力隊入隊を本気で考えました。幸い33歳の時間切れで断念、少し胸を撫で下ろしましす。そして物語は「ケミホタルの話」へと引き継がれていよいよ独立。「サイリュームの話」では米国の大手化学品メーカーのアメリカンサイアナミッド社に予約なしで単身乗り込んだくだりを途中まで書いております。

思い返せば下地は全部新井元之助先生のアタッシュケースにあったのです。

ところで皆様、どんな素晴らしい新製品を開発してもそれが相手の興味を引かなきゃ唯の屑。だったら空のケースを小脇に抱え新製品の説明をして相手が興味を持ってから商品開発に着手するのは如何でしょう。時間と出費を節約するために。好きな女性を口説くのも空の箱を開けずに夢を語るのです。但し夢を聞いてくれる相手ならですが。

さてコロナウイルスで世の文官やエリート達が無能を曝け出しいよいよ世の中は乱世に突入します。

そこでコロナウイルスとの戦争を利用して非エリート族は世に打って出る好機でしょう。それは丁度2400年前中国で春秋から戦国時代へと続く乱世に群雄に混じって口先三寸の非エリート説客達が大活躍したように。説客達は諸国の君主の悩みに付け込んで各自各様の秘策を吹き込み野望を実現しました。勿論一歩間違えば打首でしたが。

彼ら説客に倣って今日なら悩めるトランプさんに来る大統領選挙に勝つ秘策を差し出すのです。それもウイットに富んだ語り口で。

それではその秘策を皆さんと一緒にアマゾンで仕入れた3500円のアタッシュケースに詰め込みましょう。

裸のウイルス(その14)

2回目の同行で彼のトークをすっかりメモしました。継手のサンプルも借り受けて何度も練習し勇躍独りで飛び込み営業です。初戦「あんた~。何言ってんですか」相手の呆れ顔に慌ててトイレに駆け込み気を鎮め十字を切っての仕切り直し。相手は笑っております。

段々トークも板についてきて新井元之助の関西よりも田舎者の九州の方が成績が上がりやすく1年で8400万円利益も2400万円を計上。進行中の関門架橋でも一番偉い大橋所長から優しく笑顔を頂いて採用されました。大変品のいい方で役人でも格の違いを見ます。

折角の関門架橋だからセラミックで取引拡大を狙う新規顧客の子息をもライトバンに乗せて建設中の関門架橋を敬礼しながら横断。本業でも売上を増やしました。

ところが視察にやってきたウチの社長を横に所長のA「社長。金儲けすればいいってわけじゃありませんよね」と。馬鹿じゃなかろうか。社長はそれを否定もせず黙って少し笑っていた様に感じました。

だが業績とは裏腹に新井元之助との関係が悪化し出し芦屋の彼の自宅事務所でバトルです。同行したK先輩を前に仕切り価格が上げられたのです。大好きなK先輩、帰り際慰める様に「なあ中洲君、この家の門柱も多分中洲の稼ぎだろうにねえ」と。

帰りの寝台急行「筑紫」の中で意を決しました。ラバートップを超える新型継手の開発です。これも新井方式の模倣でした。戻ると直ぐに博多駅前の特許事務所に駆け込み特許出願。次にブリヂストン工業用品と言う会社に飛び込んでアイデアの売り込みです。BS福岡支店、BS横浜工場、遂には京橋のブリヂストン本社へと駆け上がり名前も「タフジョイント」として施工実績を上げます。譲渡契約金500万円をBS海崎専務(後に社長)から我がM社長、恭しく拝受。ここで恋の熱が引くようにこの仕事への熱が冷めて行きました。新井元之助と競合する仕事なんかに生涯を掛けたくはないと。そうそう中洲が海外雄飛の夢を追ってこさえた会社の英文経歴書には所有特許1件ExpansionJointと記しました。「我が社はピンハネ業だけじゃない」と。せめての意地です。

裸のウイルス(その13)

売上のない事務所で事務員のO嬢と所長のAがお喋りで明け暮れる中、獲物を求めて歩き回る中洲の日々が2人には遊び歩いているとでも映るのか冷ややかな視線です。

代理店という稼業は利権と制約の網目で最小のリスクで効率よく儲ける仕事。自分がいなくても、この会社が世に存在しなくても、世間は何も困らない。代替えは幾らでもいると感じる虚しさ。矢張り物作りの道を選ぶべき、少なくとも製品開発だけには携わらないと生きる意味がないと。「しかし選択を誤った。もう遅いのか?」使う当てもない英会話の独習に明け暮れる日々。

それにしても不思議ですねえ。人生には摩訶不思議なことがあって「どうしてあの時あんな選択をしたのだろう」って後々考えることがしばしばありますよね。我がF社選択もそうでした。たまたまIBM創始者トーマスJワトソンの伝記を前日に読んで突然鉄工所選択を変えたのでした。それってきっとDNAの囁きじゃないでしょうか。

そんなある日突然建設省北九州道路工事事務所に足が向きました。所内を勝手にうろつくうちに・・・。ふと1人の男の机の上の図面にあのラバートップジョイントを目にしたのです。思わず「このジョイント知ってますよ」「丁度良かった扱い業者が分からず困っていたよ」と。

それからとんとん拍子に彼、新井元之助の九州代理店になり今度は伸縮継手も扱い商品に加えての営業です。そして新井元之助の天才的なセールステクニックを目の当たりにすることになりました。

新井元之助は役者の様に爽やかにスーツを着こなしております。顔つきも別人です。役所で静かに佇むだけで粗末には扱えない空気を作っております。普段は業者を見下し話も聞かずに相手が退出すれば机の名刺をザーッとゴミ箱に捨てる土木技官達です。

新井元之助厚かましくも1人を相手のセールスじゃ効率悪いとばかり慇懃に10人ほど関係者を集めさせてから伸縮継手の問題を聞かせ始めます。次第に大会社横浜ゴムのジョイントの悪口。何故それが壊れやすいか専門用語を交えて説明します。勿論自分がそれを売っていたなどはおクビにも出さず。

そしてやおらアタッシュケースを開くとそこに磨き抜かれた新製品の実物見本。上物のクロスを汚い机に敷くと勿体ぶってその上に黒く輝く見本を置きました。技官等皆、暗示に掛かっています。それはただのアンカーボルトが突き出た鉄板に加硫接着されたゴムの塊に過ぎない代物です。それを触って褒めそやし価格を聞いて「そりゃ安い」と驚愕するのです。どうしてメートル42000円が安いのだ?

裸のウイルス(その12)

今年の新入社員5名は約2ヶ月もの間コロナウイルスの為に自宅待機。意気揚々と社会に飛び出した筈のその第一歩でのつまずき。全くひどい話です。ウイルスと戦争しているのに戦わずに逃げて籠城しろとの指令に何のケレンもないのです。これからも新たなウイルスが次々と人類を襲います。古来戦争は文官や女性の仕事ではありませんでした。戦略家が要ります。

この矛盾だらけの現実を目にするとエリートの道から逸れて社会に出たが故にアガきウメいた1人の男の経験を誰かに聞いて欲しくなったのです。人生で一番不名誉で誇りを失い封印していたはずの社会人最初の10年間。そしてその暗闇に一縷の光を刺したのがあの男と彼の銀色に輝くアタッシュケースでした。

それが50年もの年月を経て瞼によみがえって参りました。そうだ。可愛い5羽のヒナ達にこの話をしてやろう。コロナによって時代は音を立てて変わろうとしている。実経験のないエリート、培養された教科書人間では生きて行けなくなる時代へと。

中洲が初めて奉職した小さな会社の仕入れ先の一つが旭硝子。そこは超学歴会社で東大卒がゴロゴロ、九大卒位では出世は難しいと噂される会社でした。中洲のF社はセラミック専門商社で旭硝子の耐火物部門の小さな代理店でした。

入社して時を同じく旭硝子がフランスから技術導入したアルミナセメントの生産が北九州の牧山工場で始まったのです。本来は耐火用セメントでしたがフランスでは超速硬性を生かした緊急土木工事向けに活躍しておりました。土木が苦手な旭硝子のエリート達、このセメントの土木向け販売を代理店に丸投げし中洲のF社も面倒だから新入社員の中洲達2人にこれも丸投げ。「セラミックじゃなく土木工事かよ~」でした。だが中洲は退社後商工会議所に出向き緊急土木工事の目ぼしい情報をピックアップ。翌朝自分だけ模範ぶるのも嫌だから同期の相棒Y君に資料見せたら資本の大きな会社のリストを「有難う」も言わずに持って行きました。「仕方ないや」と残りの小さな建材店のリストを手に緊急工事の情報集め開始です。

2、3日したら相棒Yが最初に訪問した梅田建材から超大口の注文が舞い込みました。神戸製鋼所の高炉改修工事でその基礎に使うと言うのです。相棒は一躍時の人に。そのY君、中洲の資料使ったとは誰にも言いません。そしたら第一印象から嫌な顔付きの先輩の1人Aが「Y君は凄いけどお前何してるんや」と。頭に来て「うるせ~なー」とやり返し険悪な関係に。要領のいいY君はそのホームランの後は会社でゴロゴロ。中洲は獲物を追って毎日5軒の飛び込み訪問を日課としました。

情報に中外道路資材という芦屋のベンチャー企業がありました。社長は若い新井元之助、慶應ボーイで長谷川一夫ばりの美男子でした。就職した横浜ゴムで橋梁のジョイントをセールスしながらシンプルで壊れにくい構造を思いつき数年で退職して競合品を世に出したのです。

その名はラバートップジョイント(後に商標違反が判明)。これも中洲の巣立ちと同じ1967年春発売開始、彼と組んで方々の橋梁補修工事立ち会いです。セメントの売上など僅かなのに夜間工事ばかり、割りの合う仕事じゃありません。それでも明け方コンクリートの強度を計測して中洲がセメント技師気取りで開通のゴーを出します。少しだけ快感が湧きました。

この時の緊急道路補修工事の報告書が旭硝子で社内ガイドブックに採用されました。

他にも珪砂を混ぜてアルミナ即硬モルタルや酢ビを混ぜての緊急接着セメントを企画するも承認取れず断念。入社以来毎日毎日本業のセラミックと副業の土木の2足のワラジを履いて焦って仕事をしました。「こんな会社なんかでくすぶる恐怖心」からでした。

新井元之助のような起業の為の就職活用法もあるのです。道義的に「そりゃないだろう」と感じながら毒草らしき匂いを感じました。この若き起業家とは奇縁が続きます。中洲は就職1年で名古屋に転勤させられて3ヶ月、今の老婆(ラオポ)との甘い同棲が会社にバレて今度は福岡に飛ばされそこで新井元之助と再会します。

中洲の会社の小倉営業所では京大出のエリート前所長が極度のノイローゼで開店2年間売上皆無でした。そこに何と中洲が入社早々喧嘩を売りつけた先輩のAと一緒に送り込まれたのです。(続きます)