博多の中洲と言えば歓楽街の代名詞。その那珂川の川べりに人形小路と呼ぶ路地があって十数軒の主に居酒屋が静かに軒を連ねております。中洲若子の店赤ひょうたんはその人形小路の入り口にありました。
中洲士郎は独立起業の夢に燃えてよりもサラリーマン人生の先が見えて尾羽打ち枯らしての帰郷でありました。母若子の店の軒先1坪を借りてケミホタル起業迄、握り飯を売って何とか雨露をしのぐことに。立ち飲みコーヒーも置きました。
隣のロクさんや川田の女将さん達が店の客が入れ替わる8時頃になると路地の暗がりから姿を出し「元気ね」と声を掛けてくれます。店は格好のコーヒーとタバコの休憩場所になりました。その一杯のコーヒーに50円を浪費して士郎を援助する常連客に割烹「一富」の大将がいました。小さな店で丁場では女将と二人、「もう息が詰まったあ~。たまらんばい」とその表情から読み取れます。人形小路で大将って言えばだいたいこの親父です。小柄で口数少ないが何時も優しい笑顔を真っ白の割烹着で包んでおりました。
ケミホタルを旗上げして赤ひょうたんを飛び出した後、時折「かげやま」と「一富」に顔を出しました。数年して一富では青年が一人板前の見習いとして加わります。板前には少し心許ない紅顔のその青年を大将が「倅だが・・・」と。「この厳しい板前の世界で大丈夫かな」大将と同じく心配したのを覚えています。
あれから三十年。このコロナで看板下ろす店が多い。それでふとその一富が気になり覗いてみることに。ついでに同僚を誘い出しました。
ネットで6時開店8時閉店とあるので6時少し前人形小路に足を踏み入れプラプラ歩くと一富の店の玄関口に紺色の作務衣をまとった初老の男が屈んでおります。見ると玄関口に塩を盛っておりました。花塩とか言って客商売では開店前のしきたりです。その親父振り向いて「やあ士郎ちゃん」それで「入るよ」って一番奥のカウンターに掛けて同僚を待ちました。
「大将、久しぶりだけど女将さんもう店に出ていないの」暫くして大将が「士郎ちゃん、俺は息子よ。親父も母ももう死んでいないよ・・・」だけど店内もメニューさえも全く昔のあの大将の時代のまんまじゃないか。聞きました。「一富うどん!〆には必ずそうだったよね」「あるよ。二杯か?」小振のどんぶり椀に卵の黄身をまぶしただけの素うどん。何時もの味。丁場の親父は何度見ても大将そのものだが。大将生きているじゃん。
息子が歳を取って親父と生写しになるのを目にする。それって親父が息子の身体に里帰りするからじゃなかろうか。だから一富の息子もそうとは気付かないうちに大将に生まれ変わっとるのだろう。
そしてふと「この俺もあの父親亥蔵の魂を呼び寄せてみようか」と。