チェリービールの話(その3)

 

大連の旅順が外国人に全面解放されたのはやっと2010年のこと。だから21世紀に入っても旅順は産業は勿論農業も大陸の中で一番出遅れておりました。汚い旅順小学校の跡地で細々会社を営むルミカは稀有な存在です。女子工員の給与も南方の中国より随分安く1万円位だったのに近隣の農家の年収はそれより低いと耳にしておりましたので旅順の農民の貧しさは想像にかたくありません。出社途中でセメントレンガを土で固めたような農家が区画整理でブルトーザーでなぎ倒されるのをしょっちゅう目にしました。

この貧困の旅順長城鎮で2000年頃からチェリー栽培の研究が始まりました。

2003年の事、中洲が親しくしていた旅順区長城鎮の書記に案内されて近くの農業試験場を訪問しました。これが中洲とチェリーの出会いでした。交配は淡いピンクの日本の佐藤錦と濃い紫のアメリカンチェリーで始められた模様で既に写真のような8種類ほどの新品種が生まれておりました。

輸出品としていずれチェリーの加工が必要となる。チェリージャムやチェリーワインの製造を検討すべきと提言しましたが・・・。

 

試験場に掲げてあった看板

見事な鈴なりのチェリー

4

2004年6月老婆(ラオポ)を引っ張り出してチェリージャムを試作しました。種を取り出すのが面倒です。丁寧なアクすくいと火加減の調節指導でラオポのうるさい事。

火を止めた直ぐは素晴らしい色合いだが真っ茶色への変色は避けられそうにない。どうやったら色落ちが防げるか?

 

チェリービールの話(その2)

先ずチェリービールの写真から

これは5月16日旅順口区の要人を会社のVIPルームにお招きして開いたチェエリージャムとチェリービールの開発会議の一コマ。

ルミカで博識と言えば大阪支店イケダ氏。彼に頼んで調達したチェリービールを日本から持参しました。

先ずは皆様とチェリービールの知識を共有しましょう。イケダレポートによるとアサヒビールで取り扱っていた「Belle-vue Kriek」というチェリービールは昨年取り扱いをやめてしまったそうですよ(アサヒが作っているチェリービールもありますが、酒屋向けに樽売りしかしていない)

やまや古賀店(092-410-2899)に確認したところ、下記のみ取り扱いがあった。それは

St.Louis(サン・ルイ) Kriek(クリーク)

※同じ銘柄で、ほかに、フランボワーズとペシエ(ピーチ)の種類があるとの事。

写真はこのサン・ルイクリークです。美味しいですね。シャンパンのように仄かな甘みと炭酸のすがすがしさ。何より色が綺麗です。長くチェリージャムに挑戦している中洲だから分かるけどこのようにチェリーの色合いをキープするのは並みじゃない。

開発の目標は今や旅順の農地の9割を占めている数百種類の品種のチェリーから最適チェリーを見つけてこのベルギーのクリークよりも素晴らしいビールを生み出すことです。

大体ですね。中国はそりゃ何を取り上げても世界のトップクラス。しかしお酒だけはいただけません。60°の白酒(パイチュー)で手っ取り早く酔っ払うしか能が無い民族なのです。ここに世界に誇れるお酒が欲しい。日本がウイスキーでも世界のトップに立ったようにね。それには先ずチェリービールだ。これで世界を制覇しようって大連市の要人を前に中洲がブチました。

そもそも中洲が政府の要人に門外漢のチェリービールの講釈を垂れる因縁を開発に着手する前に皆さまに説明しとかなきゃいけません。これって軍平さんが説くように人生にはモノとの不思議な出会い、奇縁があるのです。

その1

15年前我等が村の長城鎮の書記が中洲を鎮の農業試験場に連れて行って日本の山形の佐藤錦とアメリカンチェリー交配の現場を案内しました。

その2

ウチの老婆(ラオポ)は手作業の達人。翌年これを大連に連れ出してチェリージャムを作らせました。

その3

中洲は真空蒸留方式でチェリーの色落ちを防ぐアイデアを思い付き化学屋のヤマテをそそのかし研究室の高価なエバレータを失敬し一連の生産方式を確立しました。

その4

「大概で止さんかい」老婆(ラオポ)の叱責に堪え開発続けてチャンスを伺うこと12年。イケダが最重要の取引先のA執行役員を旅順に引っ張り出したのが昨年のチェリー真っ盛りの6月。この役員との間で食品の新ビジネスを立ち上げようとの秘密のプロジェクトが発足

その5

米中衝突から中国行政は国内産業育成強化に舵を切り大連からも市長の使節団が日本に乗り込んだのが今年の4月末。お偉方を前にして中洲がチェリー節ブったら冷旅順区長に大受け。

その6

瓢箪からコマとはこの事。冷区長に全部で5件のチェリー加工プロジェクトを仰せつかって中洲奔走するハメになったのです。

その7

ここは旅順の哲人張さんに責任を引き受けて貰おうと5月17日出掛けたら「お前がやれ。ナンボでも応援するよ」更に「哲人新開発の納豆菌健康飲料もチェリーソースで作ってはどうか」って新たな魅力的なご提案。

実はアッコの謀略で一年着手が早まったアイパオ開発上市。それも魚植共生とやらで2000匹のサクラマス稚魚の世話で現在絶望の淵に立たされているヒメノ隊長以下の開発チーム。これにチェリーが加わったら暴動が起こるでしょう。ここはイカサマ師中洲士郎ブログの日付を操作して「戦艦ポチュムキン」宜しくぜ~んぶ記録に残します。

チェリービールの話(その1)

 

皆さますっかりご無沙汰致しております。と申しましてもこのブログにお付き合い頂いております方の数が少ないのが幸いです。

駄文でも書いてみて少しわかるのですが日本語って本当に奥が深い。まさに明治から世に出んとする無名の作家達が飢えの中で生み出した言葉の宝石の数々。どれひとつ拾い上げても中洲の遊びの文章では到底太刀打ち出来ません。それでついつい文章が書けなくなってしまったのです。それでも「文を読んでもらう為じゃない。書いておきたいから書くのだ」と思い直して大連のホテルの一室で机に向かっております。

中洲士郎の自宅の4畳半の書斎と言えば聞こえがいいが部屋の壁中は家族の溜めた本で埋め尽くされた本の捨て場所であります。それでも時々チェックしてみるとこの60年中洲が読んだのはその内の1割にも満たず、老い先考えると気が重くもなります。先日の夜中意を決して一冊を取り出すとそれが瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」でした。読み始めるとこれがまた面白い。そこには近代文学史を担った作家たちが素顔で息づいております。それに寂聴さんって本当に言葉選びが秀逸で表現にウイットがあって筋立ての随所に仕込まれた「落ち」が実に美味しいのです。

生きるってのは人との出会い。死ぬってのは好きだった人達との再会。そんなことを言って序文から読者を引き込んでおります。

出会いと言えば中洲士郎今回の5月15日からの大連出張の出鼻からショックの連続です。福岡空港でエアチャイナの出発間際、ラウンジで卑しくタダ酒一杯引っ掛けてトイレで用を足してそそくさ出てきたら若い男が中洲に向かってにっこりしています。多分知り合いなのだろう。彼に笑顔で応じながら急いで似顔の符号を開始しました。「何だ。俺の息子じゃないか!尾道から何でこんな所に」ドギマギして挨拶もそこそこに彼は同時刻発香港行きに中洲は大連に向かったのです。やっぱり老婆(ラオポ)言うように認知症が心配になります。

機中でアイパッドを開くと偶然にも息子が「読んだら?」とKINDLEに残しておいた「任天堂ノスタルジー横井軍平とその時代」が目に止まったのです。この本を読み通すうちに思いに浸らされました。確かに生きるってのは寂聴さんが仰るように全て人との奇縁ですが軍平さんを読むと同じく大きいのがモノとの出会いなのですね。ふとした縁でそのモノに出会わなければ違ってしまった筈の人生の面白さと怖さ。そんなお話でした。

人って誰もが「自分って何だろう。何故存在するのだろう。自分の存在意義って何だろう」って思いが川面の泡のように湧いては消えて行くようです。そんな時に偶然ある人の生き様を識って人は自分の存在理由に確信が持てるのじゃないかと思います。

今回中洲士郎もその一人になりました。横井軍平その人の商品開発人生に「やっぱりそうだ」って確信を深めたのです。そして本当に下らないかも知れませんが中洲士郎の滑稽な開発物語でもどなたかお一人の読者の共感が得られていればそれもブログの存在意義かも知れないと・・・。

老人の小便のように随分と長たらしい前置きになりましたが今回は「チェリービール」というきっと美味この上ない開発の話を仕込んでみます。ご期待ください。

(参考までに)

横井軍平さんのヒット商品をご紹介したいのですが転載が禁じられていますので。是非電子ブックでもダウンロードして読んで下さい。

横井軍平社会に出て最初に出したのがウルトラハンド、120万台以上の売り上げでした。蛇腹が伸び縮みして遠隔地のモノを掴みます。な~んだ中洲のBiRodも同じじゃないか。未だ1万台も売れてませんが価格が100倍だから案外いい勝負かも知れないのですよ。

アイパオの話(その27)

夜中。アイパオの行く末を思案するうちに例のセグチ女史のメッセージを思い出しました。

「アイパオを世界で流行っているグランピングに展開するのはどうだろう」です。

日頃一目置いている彼女の透察力と着想、それを1ヶ月も経ってふと思い出してネットを検索しました。「グランピング??」「これだ!!面白い」それに先日手に入れた三菱の中古PHEVアウトランダーと組み合わせれば最高だ。

低層アイパオを4WDSUVに積み込んで走り回って清水の湧き出るところにグランピングアイパオ(長いからグランパオだ)を建てて温水シャワーも有る快適な電化生活を始める。誰もうるさいのが居ず漢詩を読んで音楽聴いてコーヒーにシングルモルト入れて小川軒のレーズンサンド食べて時折屋根から突き出したBi見逃サーズで野生動物を観察、海のそばならこっそりサザエを摂って壷焼きに舌鼓。夢が膨らむ膨らむ。

夜が開けるのを待って由布院に向かいました。グランピングの現場調査です。アスキーが奇声を上げると例の合鴨達がお尻をフリフリ隣から走って来ました。ビデオでお終いに映る小屋は忙しい中でニイザワさんが合鴨たちにこさえてくれたアイパオです。

合鴨と遊んでアスキーに相談したら近くのグランピング宿に連れて行ってくれました。彼はもはや由布院塚原の生き字引です。

インデアンの住まいですな。

親切なおやじで色々教えてくれました。

①テントはスエーデン製で高価。地面と布製テントの湿気が悩み。あんまり住めたものじゃない。

②日本中簡易宿所としてドンドン広がっているが衛生面で問題になるかも知れない。

話を聞くうちにグランパオに限ると確信。

説明終わって、「夜毎鹿達がねえ。大切な苗木を嚙り散らかすんでそれが悩みよ。日本中そうよ。何かいい方法ないかなあ」そうだ。「モグニゲル」を改良して「鹿ヨラズ」を開発しよう。1本100円なら誰もが買ってくれるに違いない。

アイパオの話(その20)

中国語で鶏肋(チーレイ)とは鶏のあばら骨、スープの出汁にすれば美味しいが食べてもお腹が太らない。捨てるには、諦めるには惜しいモノを指す言葉らしい。中洲はただ今そんな鶏肋の山のような20数件の開発案件に埋もれております。その上に見本市なんかを覗くと又しゃぶりたくなる案件に出くわしてしまうのです。

ブログをサボっていた10月20日香港のモバイルショーを歩き回るうちに3件の面白い案件にぶち当たりましたね。そりゃもうメチャメチャ興奮です。

その一つが台湾の会社で手の中に収まる小さなUSB真空ポンプを開発。旅行時携帯品を容積半分に縮めるアイデアグッズです。

即座にこの商品の多用途展開を考え帰って老人のアイデアをメールしたら「すごくINOVATIVE一緒にやりたい」と。同期性がいい相手に上手くいく予感。

掃除機の口じゃなく針の穴から空気を抜くと袋の中の真空度は凄いんですね。目からウロコです。回路を切り替えれば複雑な空ビに使える。魚や野菜の真空パックに。中洲得意の真空調理器に。船長のヒラタ君に話したら「ウワー。魚の血抜きに使える」ルミカにピッタリの商品になりそうです。

一方で本命中の本命「新アイパオ開発」がスタートしました。これはヒメノ、オーノ、イワモトチーム。キモチはいい仲間だが中洲の珍奇なユメを追うにはチト頼りない。棟梁オーノをサトシさとし、大飯喰らいのイワモトにカツ丼2杯食べさせて昨日から新アイパオの組み立てが始まりました。すると彼ら途端に目の色変わって中洲そっちのけで造作にハマっております。

来年1月迄には「ホームレスや難民に家と仕事を売り付ける」奇跡のビジネスモデルが産まれるでしょう。

だが鶏肋も捨て難い。一昨日は由布農園の椎茸パオから頬ズリしたくなるような大きな椎茸を収穫しその真空袋に入れて密封。それを我が家の冷蔵庫に入れて1ヶ月後の鮮度を楽しみにしていたら早速老婆(ラオポ)が見つけて開封、昨日の食卓に焼き椎茸に変じておりました。アイパオと一緒に50本のホダ木もリースします。5年間値打ちものの大型椎茸が都会の中で収穫出来るのです。真空パックで出荷です。椎茸アイパオの2階はヨメはんから逃れてのひとり書斎。世の男性諸君に夢と希望を与えましょう。

アイロッドの話(その4)

「父ちゃんアイロッドやってもカメラに手を出しちゃいかんよ」プロでカメラを回している次女に釘を刺されておりました。それがこの3年カメラで深みにはまっているのです。

開発の狙いはいつも未だ誰~れも気がついていない宝の山を掘り当てることです。カメラが危ないのはライフがすごく短かく一つのモデルが大抵半年で姿を消すからです。2011年GOPRO登場。(パチモノ溢れる)。2014年INSTA登場最初はリコーの360°シータをコピーしましたが2014年insta nano上市。これは中洲提案のUSBカメラでした。(これもパチモノが溢れる)。中洲の次の狙い目は4K360°IPカメラです。

どうしてこうも簡単にパチモノが出現するのでしょう。それは深圳の電気街の華強北に秘密が隠されているようです。パソコンと同じくスポーツカメラなら部品は全部揃います。頼めば直ぐにカタログも印刷してくれるそうです。電子機器では同じ基盤を使っているのでブランド品と性能はほぼ同じで上代は10分の1迄下がります。だからカメラのビジネスはもはや成り立たないらしい。

そうでしょうか。それらパチモノを色々揃えて新しい概念の製品を安く作り上げるのはどうでしょう。更にBiRod専用のパチモノをルミカがこさえればどうなりましょう。Bi見逃サーズは他人が真似し難いパチモノだから独創だと考えます。

今回この「Bi見逃サーズ」上市したら次の獲物は360°POE-IP-4Kカメラです。国産の同クラスなら30万円以上はします。価格は2万円台でルミカ独自の特殊な防水機能を備えます。

BiRod事業を始めて4年中国の深圳に行く機会が増えて時代と技術の変化に目を見張ります。スポーツカメラのGOPROが一世風靡している間に素人でもカメラを組み立てて売る時代になったのです。5年でトヨタはなくなると豊田社長が言ってるのはそう言う事です。トヨタの電気自動車のパチモノが十分の1で売られる時代が来ます。パソコンやカメラと同じく単品販売じゃなく個人事業主が真似できないコンテンツを生み出す事、それが豊田社長が仰る事でしょう。

新幹線深圳駅。2年で開通。

ルミカの次のカメラは12V有線LAN対応ですから水中でも100m離れて操作可能。そうなると50mプールの水底を世界記録のラップタイムでカメラ移動させることが出来るのです。それも一式30万円で。これは中洲のオリジナルアイデアですが実現できましょうか。中国が凄いのは国も後押ししてビジネスプランにファンドが直ぐに立ち上がり10億円位と優秀なエンジニアが結集するところです。INSTAがそうでして中洲も簡単に行けない敷居の高い会社になってしまいました

だからやっぱり次女の言うこと聞く訳には参りません。今日は変に理屈っぽい話でごめんなさい。明日はアイパオの美味しい便りを届けますね。

アイロッドの話(その1)

「中っさん。聞いてよ。ウチの父親も困ったもんだ。自衛官退職して好きな事やってるけど最近発明に凝ってね。何かセッピ落としの道具をこさえて商品化したいと言って家族を煩わせるのよ」チンプンカンプンで事の次第を理解するのに時間がかかりました。「親父も」と言う言葉にカチンと来ましたが耳を貸すことに。

先ず彼女の故郷は青森で一浪して高校に入りどこか東京の私大を出て就職して辞めて独立してコンビニフィットネスをやってる事は知っております。その故郷の親父の話らしい。

セッピというのは漢字で雪庇。東北地方の降り積もる雪で特に年寄りが泣かされる。屋根の雪かきは大変な苦役です。 軒先で凍った大きな氷の塊を雪庇と言ってその雪庇落としは危険極まりないらしい。これを落とす為に毎冬幾人もの死傷者が出るとのこと。

そこでこの娘の親父が考案したのが8mの竿にロープを付けて軒先の氷を一気呵成に切り落とすものらしい。その名も「雪庇カッター」

生来の物好きの中洲。「よ~し。ひと肌脱ごう。自衛官だった親父の夢を叶えてやろう」と動きました。

早速中国は威海の釣竿メーカーに当たりますがいい返事がありません。釣竿は韓国企業が強く早くから山東省に進出しております。そこで中洲と同じ頃釣ビジネスを始めて一時は世界最大の釣竿メーカーとなったソヌーと言う会社を訪ねました。中国の青島に大きな工場を構えています。そこの金社長は大層な財を成して昔は貧相な青年だったのが今では風体も中洲より堂々としておりました。

釣竿と言うのは一般に延べ竿だからクランプ付きの丈夫な継竿は面倒で作ってくれません。それに釣り具は何処も斜陽産業で昔の開拓者精神は失せているようです。結局ソヌーにも体良く断られました。そこの金社長、折角訪ねて来た中洲を慰めて極上の韓国料理を馳走します。ブルコギ食べながら「雪庇カッターの開発を諦めるかなあ」と。

しかしあの小娘に「頼り甲斐のない奴」と見くびられるのも癪で大連ルミカのジンユイ社長に相談したのです。彼女は日本で最大手の釣り具量販店の社長室にいました。美人で日本人以上の大和撫子と評判を取っていましたので彼女が一声かけると男どもは直ぐに応じます。日本での留学生時代これも内モンゴルから来た同級生が強く相談に乗ってくれました。

そして僅か3ヶ月で雪庇1号が完成したのです。

青森の素寒貧のこのササヤマ親爺の為に皆さんが骨を折ってくれました。癪の種は独り有名になりたいこの親爺、地元のテレビや新聞に開発したルミカを隠して自分の自慢話ばかりです。

商品開発なら中洲士郎、次々とアイデアが湧いて雪庇カッターの完成度上げるように親父にアドバイスしますが舞い上がって聞く耳持ちません。開発マンと言うのは中洲も含めて皆んな我が強い人種のようです。この親父が分からないのは工場でラインを動かすのに年2~300本では話にならない、この10倍は売らないといけないという事でした。それが新商品開発で苦労するところです。

「何とか別の用途を開発しなきゃ」新規市場開発ですね。そんな時に中洲の長男が帰省したのです。

アイパオの話(その13)

会社の若い男の出勤途中、彼の車のエンジンルームにしがみ付いてやって来て拾われた仔猫、中洲同様生まれ育ちが悪いだけにヤケに生命力が強い親猫に育っております。

その野良猫の「スズ」がしょっちゅう開発館で仕事の邪魔をします。先日スズも交え相棒のオーノ、ヒメノ、イワモト3人を集めて「新型アイパオ」の開発決起集会をやりました。事前に召集令状出していたので着席するや「一升飯喰らいのイワモト」が「世の為人の為ですな」とニヤリ。もうすぐ大連からサンプルが入荷、来年2月までに完成します。大連の張老人の教えを得て「魚植共生パオ」を世のホームレスに住まいと仕事を提供する哲人の道に踏み出すのです。

となると2011年の東北作戦の顛末を手短に書き残して夢の舞台に愛する読者を誘わなければ。

茨城の高萩に取得した新工場にエアーベッドやジャグジーそれに韓国からの軍用折りたたみベッドの類いがコンテナーで茨城工場に届きました。ヒッチハイクで福岡に戻ると直ぐに上海に行って買い付けたものです。これら救援物資と見苦しい五棟のビニール小屋を残されて困り果てた工場のスタッフを後に2011年5月から東北転戦です。

第1戦は岩手県大槌町に救援物資の保管倉庫作りです。5月15日朝4時起床6時茨城工場から遠野に向けてプロボックスという社用車で出発。津波によっていい様に生活の全てを破壊された跡が晴天の中でキラキラしています。気がつくと空中に沈殿する異様な匂いに鼻の粘膜が酷くやられて障害が起っておりました。

大槌町の避難所に入り責任者と協議。風呂が欲しいが「瓦礫の中でも洗い水を下の土地には流せない」と。「この非常時に」とバカバカしくなって退出。

そこの避難所の自慢の小屋(写真)に呆れる。

結局ふれあい広場に作業小屋(移動美容室に落ち着く)を建てることに決定して夜中茨城に帰還。

翌朝4時トラックで再出発。

ふれあい広場では海外からのボランティア10名ほどの手助けがあって日暮れ前に完成(写真)


疲れ果てて宿を探すが何処にもない。結局オーノの運転で4時間、花巻温泉にたどり着く。感じたのは心根優しいボランティア達を受け入れる設備と彼らを大切に思う気持ちが皆無のようでした。現地ではどうしていいのか思いが回らないようです。道端でシュラフに身を包んだボランティア達の為こそパオが必要だと思いました。

アイパオの話(その11)

大震災の支援活動に行くのに「出陣式」はありませんよね。4月14日からは太助庄助士郎の3人は上半身裸で新たに取得した北茨城の工場敷地に秀吉の一夜城に倣っての築城です。

中洲士郎生まれてこの方大概バカをやって来ましたが本件は勝算ゼロ、人生最悪の愚行です。トイレ小屋から始まり風呂小屋、住まい、道具小屋を懸命に建て続けました。

この工場の気の毒な社員たちは以前の雇われ社長のゴルフ三昧で会社を潰され今度の中洲社長は「ご乱心」の様子。皆さん会社の行く末を案じとります。

兎に角異様なビニール小屋を乱立させました。何事もそうやって道が拓けるのだと自分に言い聞かせながら。

由布農園の経験で「トイレは落とし込みに限る」と信じておりました。ところが原発事故同様想定外が起こるのですねえ。ベビーユンボで穴を掘ってパナソニックの様式便器を設えて悦に入って翌朝ビックリ。穴は地下水であふれております。これじゃウンチも出来ません。

写真のようにとっさにドラム缶の上にトイレを作り外からドラム缶を取り出す方式に変えて事なきを得ましたが。何事に付け思い込みの強い性癖が加齢とともに強くなって社内の随所に問題を引き起こしていたのです。この所はブログを書きながら懺悔しましょう。

高萩市の偉いさん方の視察見学がありました。中洲勇躍。アイパオの良さを弁舌爽やかに説明しますが反応は期待外れでした。段々「中洲流遊説術」に自信が無くなってまいります。要は「早いでしょう。安いでしょう。明るく快適でしょう。被災者が自ら建てるのです」それが評価は「安っぽい、被災者を充分に満足させる造りじゃない」です。価値観の違いですね。今度はテレビ朝日の朝の人気報道番組がアイパオを取り上げることに。

あんまり人が驚かないモノを「ねえ凄いでしょう」と言うのも白けるので出演を断りました。代わりにルミカの常務に就いた例のゴルフで会社を潰した社長に代役を頼みました。

テレビをチラリと見たら小屋の宣伝じゃなくて以前の自分の会社の主力商品である「トイレ消臭剤」を宣伝してます。だって彼は全くアイパオなんかに興味がないのです。やれやれ「一夜城作戦」はそうやって失敗に終わったのです。

ところが東北の各地からタダなら建てて欲しいとの依頼が7件ほど舞い込み駆り出されることになりました。猛暑にも突入して難航苦行が秋まで続きます。一方で会社の本体は経営の芯を失い迷走を始めていたのです。

アイパオの話(その10)

7年半前に東日本を襲ったあの恐ろしい津波は日本人の心に到底癒えない傷跡を残しました。日本という地震国では太平洋岸なら10メートルもの高さの濁流が一切合切を飲み込んでしまうことを東日本で目の当たりにしたわけです。地震が午後2時46分じゃなく真夜中なら首都はどうなりましょう。長らく我々の心から厭世気分が消しきれないのは当然です。

今回のアイパオ第10話は「出陣式」の話です。

2011年4月12日いよいよ古賀市にあるルミカ本社の駐車場で仰々しくも東日本大震災支援活動「出陣式」を取り行ったのです。その救援活動の模様を書き残す段になって思考が頓挫しました。何を書いても読み直すと白々しくてブログにアップ出来ないのです。沢山の人達を海に押し流しながらそれらの犠牲を省みていない無為無策を書いては消しておりました。

そんな時に待ちに待った昨日24日の朗報です。約束通り大連金州の相棒からアイパオのプラスチックの柱と梁サンプルが大連新工場に届きました。東北支援出陣式でトラックに積み込んだアイパオは未完成だったようです。それで新型アイパオの開発を目論みました。下の写真のこんなプラスチックで御殿を建てちゃいます。それも3時間の記録を狙って。

この美しい日本で自然災害は避けられません。しかし地震が津波が引いたら家族が揃って空き地に飛び出し建築許可の要らないアイパオを明るいうちに建て終わります。そして日が暮れたら空調の効いた2階建てパオで家族一緒に鍋をつつくという図式でした。「子供達のために黙々と汗を流す昔のオヤジを取り戻そう」と。

それらを期待しての2011年4月12日の東北行でしたがあまり上手く行きませんでした。いや作業の楽しい写真を眺めると少しは成功したのかも知れません。それらを例によって布団の中で色々考えるうちにPVC異形押出成型が閃いたのです。

この「アイパオの話」では東北で経験した苦心談をボチボチ記載しながら今度の新型アイパオの開発模様を実況中継します。東北戦では敗れましたがトラウマを少しでも消して次の自然災害に立ち向かいたいものです。