のれんの向こうの赤いニス塗りの素朴な木製扉を押すと薄暗い奥に長い居酒屋でした。中洲は本能的にいい空気を感じました。掘りごたつに入り6品ほど注文を出し生ビールと芋焼酎を頼みます。酒肴どれも小粋で気持ちが行き届いていました。
最後に熱いお茶が出された時老兵中洲が改まって店の若い女将に問いかけます。
「つかぬ事をお伺いするが・・この店のはじめに着く一方亭、珍しい名前だが何かいわれでもおありか?」
時空に歴史的な接点が付く時に生じる微妙な一瞬の間合いがあって。
「この店のオーナーの高橋さんのお婆さんがやってた店(一方亭)の名前を残すために、しょうき屋の頭に付けたそうです」と。
あとで考えるとそうやって中洲が一方亭にたどり着くとあたかもその役割を終えたようにこの店から一方亭が外され遂に一方亭の名前が世の中から消失してしまったのです。もしかしたらこの中洲が皆さんに「一方亭の話」をするように何かが仕向けたのかも知れません。折々に触れて一方亭の数奇な運命を「中洲若子の話」の中でお伝えしましょう。
様子ではこの店は、若いが趣味のいい高橋オーナーの下で30代の腕利きの料理人が店を取り仕切っている様です。
相手をしてくれている歯切れのいい女性はその料理人と夫婦かもしれません。
「一方亭と言えば博多の老舗の料亭だった筈ですが」 「そう、何か千代町あたりにあったそうです。今もオーナーの両親は70を過ぎてご健在でそのお母さんのお店だったそうです。それでお客さんはその一方亭とどんなご関係で?」
「いや実は私の母親がその店で奉公してましてな。それで・・」
次に暖簾をくぐった時、オーナーの父上高橋徳親氏と連絡が取れました。
電話に「それで貴方の母上の店での芸名は何と仰ったか?」
「いや只の下女中です」と答える。暫く会話が続く。
敢えて一方亭の名前をご子息が出資する店「しょうき家」に冠して何かを待っていたら・・・一方亭を尋ね聞く見知らぬ男が出現したわけです。前世の因縁に導かれたようにとても懐かしそうな徳親氏の声がレシーバーから伝わりました。
2013年の暮れに高橋徳親氏と初めて「しょうき屋」で酒を酌み交わしました。 氏は80を過ぎて実に品のいい風貌で物言いも静かで味わいがあり茶人とはこんな人種のことだろうと得心しました。そして長いこと時代を超えて互いが今存在する不思議さを語り合ったのです。