チェリービールの話(その2)

先ずチェリービールの写真から

これは5月16日旅順口区の要人を会社のVIPルームにお招きして開いたチェエリージャムとチェリービールの開発会議の一コマ。

ルミカで博識と言えば大阪支店イケダ氏。彼に頼んで調達したチェリービールを日本から持参しました。

先ずは皆様とチェリービールの知識を共有しましょう。イケダレポートによるとアサヒビールで取り扱っていた「Belle-vue Kriek」というチェリービールは昨年取り扱いをやめてしまったそうですよ(アサヒが作っているチェリービールもありますが、酒屋向けに樽売りしかしていない)

やまや古賀店(092-410-2899)に確認したところ、下記のみ取り扱いがあった。それは

St.Louis(サン・ルイ) Kriek(クリーク)

※同じ銘柄で、ほかに、フランボワーズとペシエ(ピーチ)の種類があるとの事。

写真はこのサン・ルイクリークです。美味しいですね。シャンパンのように仄かな甘みと炭酸のすがすがしさ。何より色が綺麗です。長くチェリージャムに挑戦している中洲だから分かるけどこのようにチェリーの色合いをキープするのは並みじゃない。

開発の目標は今や旅順の農地の9割を占めている数百種類の品種のチェリーから最適チェリーを見つけてこのベルギーのクリークよりも素晴らしいビールを生み出すことです。

大体ですね。中国はそりゃ何を取り上げても世界のトップクラス。しかしお酒だけはいただけません。60°の白酒(パイチュー)で手っ取り早く酔っ払うしか能が無い民族なのです。ここに世界に誇れるお酒が欲しい。日本がウイスキーでも世界のトップに立ったようにね。それには先ずチェリービールだ。これで世界を制覇しようって大連市の要人を前に中洲がブチました。

そもそも中洲が政府の要人に門外漢のチェリービールの講釈を垂れる因縁を開発に着手する前に皆さまに説明しとかなきゃいけません。これって軍平さんが説くように人生にはモノとの不思議な出会い、奇縁があるのです。

その1

15年前我等が村の長城鎮の書記が中洲を鎮の農業試験場に連れて行って日本の山形の佐藤錦とアメリカンチェリー交配の現場を案内しました。

その2

ウチの老婆(ラオポ)は手作業の達人。翌年これを大連に連れ出してチェリージャムを作らせました。

その3

中洲は真空蒸留方式でチェリーの色落ちを防ぐアイデアを思い付き化学屋のヤマテをそそのかし研究室の高価なエバレータを失敬し一連の生産方式を確立しました。

その4

「大概で止さんかい」老婆(ラオポ)の叱責に堪え開発続けてチャンスを伺うこと12年。イケダが最重要の取引先のA執行役員を旅順に引っ張り出したのが昨年のチェリー真っ盛りの6月。この役員との間で食品の新ビジネスを立ち上げようとの秘密のプロジェクトが発足

その5

米中衝突から中国行政は国内産業育成強化に舵を切り大連からも市長の使節団が日本に乗り込んだのが今年の4月末。お偉方を前にして中洲がチェリー節ブったら冷旅順区長に大受け。

その6

瓢箪からコマとはこの事。冷区長に全部で5件のチェリー加工プロジェクトを仰せつかって中洲奔走するハメになったのです。

その7

ここは旅順の哲人張さんに責任を引き受けて貰おうと5月17日出掛けたら「お前がやれ。ナンボでも応援するよ」更に「哲人新開発の納豆菌健康飲料もチェリーソースで作ってはどうか」って新たな魅力的なご提案。

実はアッコの謀略で一年着手が早まったアイパオ開発上市。それも魚植共生とやらで2000匹のサクラマス稚魚の世話で現在絶望の淵に立たされているヒメノ隊長以下の開発チーム。これにチェリーが加わったら暴動が起こるでしょう。ここはイカサマ師中洲士郎ブログの日付を操作して「戦艦ポチュムキン」宜しくぜ~んぶ記録に残します。

チェリービールの話(その1)

 

皆さますっかりご無沙汰致しております。と申しましてもこのブログにお付き合い頂いております方の数が少ないのが幸いです。

駄文でも書いてみて少しわかるのですが日本語って本当に奥が深い。まさに明治から世に出んとする無名の作家達が飢えの中で生み出した言葉の宝石の数々。どれひとつ拾い上げても中洲の遊びの文章では到底太刀打ち出来ません。それでついつい文章が書けなくなってしまったのです。それでも「文を読んでもらう為じゃない。書いておきたいから書くのだ」と思い直して大連のホテルの一室で机に向かっております。

中洲士郎の自宅の4畳半の書斎と言えば聞こえがいいが部屋の壁中は家族の溜めた本で埋め尽くされた本の捨て場所であります。それでも時々チェックしてみるとこの60年中洲が読んだのはその内の1割にも満たず、老い先考えると気が重くもなります。先日の夜中意を決して一冊を取り出すとそれが瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」でした。読み始めるとこれがまた面白い。そこには近代文学史を担った作家たちが素顔で息づいております。それに寂聴さんって本当に言葉選びが秀逸で表現にウイットがあって筋立ての随所に仕込まれた「落ち」が実に美味しいのです。

生きるってのは人との出会い。死ぬってのは好きだった人達との再会。そんなことを言って序文から読者を引き込んでおります。

出会いと言えば中洲士郎今回の5月15日からの大連出張の出鼻からショックの連続です。福岡空港でエアチャイナの出発間際、ラウンジで卑しくタダ酒一杯引っ掛けてトイレで用を足してそそくさ出てきたら若い男が中洲に向かってにっこりしています。多分知り合いなのだろう。彼に笑顔で応じながら急いで似顔の符号を開始しました。「何だ。俺の息子じゃないか!尾道から何でこんな所に」ドギマギして挨拶もそこそこに彼は同時刻発香港行きに中洲は大連に向かったのです。やっぱり老婆(ラオポ)言うように認知症が心配になります。

機中でアイパッドを開くと偶然にも息子が「読んだら?」とKINDLEに残しておいた「任天堂ノスタルジー横井軍平とその時代」が目に止まったのです。この本を読み通すうちに思いに浸らされました。確かに生きるってのは寂聴さんが仰るように全て人との奇縁ですが軍平さんを読むと同じく大きいのがモノとの出会いなのですね。ふとした縁でそのモノに出会わなければ違ってしまった筈の人生の面白さと怖さ。そんなお話でした。

人って誰もが「自分って何だろう。何故存在するのだろう。自分の存在意義って何だろう」って思いが川面の泡のように湧いては消えて行くようです。そんな時に偶然ある人の生き様を識って人は自分の存在理由に確信が持てるのじゃないかと思います。

今回中洲士郎もその一人になりました。横井軍平その人の商品開発人生に「やっぱりそうだ」って確信を深めたのです。そして本当に下らないかも知れませんが中洲士郎の滑稽な開発物語でもどなたかお一人の読者の共感が得られていればそれもブログの存在意義かも知れないと・・・。

老人の小便のように随分と長たらしい前置きになりましたが今回は「チェリービール」というきっと美味この上ない開発の話を仕込んでみます。ご期待ください。

(参考までに)

横井軍平さんのヒット商品をご紹介したいのですが転載が禁じられていますので。是非電子ブックでもダウンロードして読んで下さい。

横井軍平社会に出て最初に出したのがウルトラハンド、120万台以上の売り上げでした。蛇腹が伸び縮みして遠隔地のモノを掴みます。な~んだ中洲のBiRodも同じじゃないか。未だ1万台も売れてませんが価格が100倍だから案外いい勝負かも知れないのですよ。

星野焼源太窯(その2)

春先の柔らかな日差しに包まれ山あいに少し遠慮するように星野焼源太窯がたたずんでおりました。辺りに人の気配はありません。10m程坂を登ると朽ちかけた小屋の奥に小物雑器が並んでおり、どの焼物にも丁寧なロクロの技が伝わります。窓脇に本が2冊立てかけてあって手に取ると一冊は「土泥棒」それと詩集の「蛇苺」と言う表題でいずれも源太著。そうか源太さんは陶工にして詩人なのです。

1942年3月4日鳥取県の山村に生まれる。15歳の頃、北へ憧れる。山陰、北陸、東北、日本海沿岸を放浪。20歳の春、陶工を志す。伊勢「神楽の窯」で基礎を学んだ後、陶郷小石原へ。1968年26歳の秋、星野に「源太窯」を開き古窯  星野焼を再興する。

詩集の末尾に載せられた山本源太の略歴でした。

源太が「蛇苺」に吐露するのは少年期から思春期そして放浪に出た青年期の心の葛藤で中洲士郎が憧れ悩み恥じて封印すらしていた青春を代弁してくれておりました。ピンポイントの言葉が本のあとがきに見えます。

おそらく誰でも経験するあの不思議な感情。うつくしいものを志向しながら、身内にどす黒く渦巻ている力をおもって、ほとほと困りはてていた少年時代。

その頃、東京から赴任してきた国語の教師は、何も知らない僕等に朔太郎やホフマン、カフカなどを熱心に吹きかけたのだ。死の匂いさえ漂わせながら教室で講義する。教師というより初めて見る人間の、眼鏡の向の奥深い「瞳」に催眠術にでもかけられたように吸いつけられてしまったものだ。続く。

性に目覚めるあの頃を「ほとほと困り果てていた少年時代」と形容する筆力に多年の胸のつかえがとれる思いでした。日頃さまよい歩いて詩集を手に小石原にも紛れ込んでいた中洲士郎にも十分にその動機はありました。しかし源太のように実際に放浪に飛び出す勇気は持ち合わせていません。勿論自分の体力、根性から窯暮れ人生の選択肢は湧いても急いでそれを打ち消し妥協の道を選択。その源太は火夫(ひおとこ)のいばら道を50年歩み続けたのです。

程なくその詩人と陶工2つをモノにした源太さんが目の前に現れました。自信のないそれでいて人恋しの趣きがあって尻軽女が直ぐに付いて行きそうな男前じゃありませんがたしかに「いい男」の顔です。記憶に残る小石原の力太郎窯で修業していた若者とは別人のようです。聞くと力太郎の窯に居たのは別の山本で山本幸一、今は熊本で山幸窯を開いているとのこと。本人は隣家のフジノリの窯だったそうです。言わず語らずに力太郎の美貌の三人娘の長女には少なからず想いを寄せていたようです。(まさか!中洲の恋仇か?)詩集蛇苺の一編に小石原での修業時代の詩を紐解いてもらうとあの力太郎窯の裏山の描写に

ニワトコよ  ダラよ  野桐の芽もよ  ぼくは聞く・・・・。ひとりの青年のやるせなさが謳われていました。

すると他愛もない男の会話に老婆(ラオポ)が割り込んできました。

我が老婆(ラオポ)が師事する農民詩人の松永吾一さんと源太さんが敬愛した詩人丸山豊とは詩作を通して競い合い尊敬し合う仲だったそうです。母屋の横の小さなテーブルと低い椅子で2人は互いの師匠を話題にしております。源太さん、頃合いを見ては片口に茶を注ぎ程よい暖かさの八女茶を老婆(ラオポ)の茶碗に差しております。「星野焼に茶を注ぐと器の底が金色に輝きます」と。確かに深い輝きが見えました。源太さんは中々の商売上手。ふたりが話にふける間に値が張る湯呑みを買ってしまいました。

力太郎の娘の話になると目を吊り上げる老婆(ラオポ)も好きな詩人の話に源太さんと興じて中洲は蚊帳の外に。超倦怠期の「ひきこもり」夫婦から別々の玉手箱を器用に開けてくれた源太さんでした。

50回目の結婚記念日に思いもしなかったプレゼントに心地よい帰途です。老婆(ラオポ)が坂を下りた茶店で八女茶を買って車に戻りました。「源太さんに頂いたあのお茶はこのお店で最高の品だ」って。どう見ても収入の乏しい貧乏詩人がねえ。そんな高いお茶で一限の客をもてなしてくれたとは。少し日が陰った山あいにひっそりと佇む源太窯をバックミラーに黙礼して一路予定の晩餐会「初心」へ。

星野焼源太窯(その1)

あの日のことはやはり書き記しておきたい。そう思ったのは我が貧乏団地の公園の桜が狂おしく花びらをアスファルトの小径に撒き散らしている4月7日も夜更けになってのことです。

中洲にはこれといった才能は無く格別誇れる人生を歩いて来たわけじゃありません。だけど人様に申し訳ないほど面白い毎日を過ごさせて貰っております。しかしガサツな日々の中で何か大切な忘れ物をしていると時々感じます。その忘れ物の正体は出会って初めて「そうだ、そうだったのだ」と気付くのです。皆様もそんな出会いをご経験されたことがお有りでしょう。

その格別の場面は例によってつまらないキッカケから惹き起こされました。

3月21日の事です。冷えてはいないが徹底的に無関心の老婆(ラオポ)と老公(ラオコン)にも結婚50年の記念日がやって来てしまいました。中国出張の予定を組み込んでいましたが老婆(ラオポ)の呪いがかかりそうな気がして出張を取りやめ美味い飯にでも連れ出すことにしたのです。それであの福岡市の平尾交差点の「初心」に席を頼みました。

その日の朝「飯だけじゃあね・・・」そこで充分に記憶の外にある面倒なドライブに出かける次第になったわけです。柳川の老婆(ラオポ)の実家に久し振りに顔を出し昼飯時前にいとまを告げ、八女の方で何か食べて久留米絣の作務衣でも探して時間潰しをするコースを選びました。

ところが全く不毛のドライブ、昼飯はよりによってドラッグストアでの冷たい弁当、それに二軒の機屋(はたや)も休日。地場物ブームのご時世に乗っているのでしょうか、ちっぽけな機織り屋の大きな駐車場に観光バスが押し寄せているのが見て取れます。馬鹿馬鹿しくもあり最悪の遠出の予感。これじゃさすがに老婆(ラオポ)にも悪い。ここはなんとか挽回しなくっちゃ。

そこで記憶の歯車を回しました。確か50年程前、小石原の力太郎の本家の窯で修業していた2人の若者の一人「源太」が八女で窯を開いる事を思い出しました。愛車の中でネットを開くと「星野焼源太窯」とありました。そこでちょっと源太窯とやらを覗いてみる事にしたのです。

そこで青春の忘れ物に出会ったのです。

アイパオの話(その30)

2000匹のサクラマス稚魚たちの近況を報告します。2月4日オーノとイワモトの徹夜の搬送で大阪から福岡に運ばれ息絶え絶えだった稚魚たちの今では元気な群泳の様子をご覧願います。

我等開発館にたむろする高齢者チームにNさんという動作が鈍い仲間がいます。大体、職人仲間内では差別されたりイジメに会うタイプですな。ところが手先は鈍いが頭脳はシャープでありとあらゆる技術情報や世間のニュースに詳しい。

最近とみに認知症を自覚させられる中洲にとってNさんの滑らかな舌の滑りが羨ましい。そして何でも解説するのが大好きときている。それもあまりデタラメでもない。

「中っさん。そんな餌のやり方じゃダメですよ。こうやって少しずつ彼らの食い気を誘って餌が底に沈まないようにしなきゃ。メジナの撒き餌と同じよ」「じゃあ餌やりはオマエの仕事だ」それで休みの日以外はNさんが担当する事に。

次に「魚たちの水槽を周遊するスピード見たらお腹の太り具合が分かる」確かに朝一番と午後4時、Nが姿を出すと魚たち狂ったようにマッハ速で泳ぎ始める。200g程の餌が終わる頃には幸せそうにゆっくり泳ぐ。「そこでお終いにする」と。「なるほどなあ。養殖マグロの自動生体管理に使える」

中洲は考える。じゃあ餌の研究始めんといかん。「近くの吉田釣具とイオンに行って片っ端から撒き餌や食材買って来てよ。そしてアンタの魚たちに何が美味いか聞き出してよ。そしたら釣り餌のマルキューの会長に開発製造頼むから」という事でNさんは共生魚の飼育と餌開発担当部長に任命されました。

ところで稚魚たちは既に4倍くらいに成長しています。このままでは直に超過密で泳げなくなる。綺麗なセグチ女史「もう少し大きくなったら間引いて食べましょう」と。滅相も無い、可愛い魚たちを食べるなんて。先ずは共生館第2号を作ってそれから考えることにします。

アイロッドの話(その6)

CP+2019横浜見本市2日目です。

今回のルミカブースのテーマは「宝物探し」

こんな少女っぽい看板に惹かれて1人の男がブースに入って来ました。そしてハタノに耳打ちしておりました。後でハタノが言うに「実は私は河川の河口で宝石(何の宝石かはここでは秘密)を探すのがサイドビジネス。宝探しとBi見逃サーズ。これって僕の秘密を嗅ぎつけたのかと思ったよ。360°水中カメラがあれば川底に光る宝石を簡単にゲット出来そう。是非使わせて貰う。な~に一個見つけりゃ簡単に元が取れるよ」と。

世界一のドローンメーカーDJIとの関係取付に策を講じました。中洲が7年ほど前深圳をウロついていた頃は見本市でも目立たなかったのにご存知の通り現在のDJIは2万人が働く巨大企業。日本にも支社があって多くの日本人がプライド高く働いており中々簡単には商談出来ないのです。

DJI社が昨年暮れにリリースしたオズモポケットはジンバルが付いた超小型スポーツビデオカメラ。すごい新製品で世界の話題をさらっています。このオズモポケットとBiRodがコラボ出来たら面白い。ルミカダイレクトで奮闘中のイシバシが喜ぶだろう。そこで一計を案じたのです。

女性を口説くにはあっと驚かせるプレゼントを用意する事です。ビジネスだって同じ。相手が欲しがるモノを手品のようにサッと出すのです。

オズモポケットの目玉はスマホ接続。ダイレクトは出来ているが有線接続での遠隔操作は未だで勿論防水ケースも完成していない。普通のUSBケーブルでは全く役に立たないのでこの2週間古老ドガワが特殊ケーブルを自作、ヒラタが3D加工で手作りの防水ケースを中洲を喜ばせようと形にしました。

「嗚呼、残念だがまだ動かない」とのヒメノの悲嘆をよそに中洲は執念でこれを動かし会期の間中この遠隔操作に没頭したのです。そして企み通りBiRod4500の先端にオズモポケットを載せHUAWEIのモニターに会場光景を映し出しながらDJIのブースへ参じました。

スローで申し訳ないですがジンバルでレンズが揺れないのとオズモのカメラのシャープな映像をご覧ください。

「あのオズモポケットが竿の先に載って映像が出ている」さあ皆んな大騒ぎ。DJIのブースからは営業と技術の責任者が飛び出して来て「BiRodか!ウチの者たちはドローンよりも便利で凄いって評判だが・・・ウチのオズモがどうしてケーブル操作できるのだ。放送局からも要請があるがどうにもならんかった。それがどうして・・・」

だが喜びは束の間。重大なオズモの欠陥が露呈しました。手元からケーブルで竿先の小さなオズモに給電すると撮影がSTOPするのです。しかも撮影中はカメラの電源がモニターに流れて20分程しか撮影できない。この問題が解決できれば逆に何日でも連続撮影が可能となり強力な防犯カメラが誕生する。オズモの回路とAPPを変更しなければならないのか。難しいなあ。

夕方にはずっとルミカのBiRodを応援して頂いている高松氏がネットに紹介してくれました。

https://creators.yahoo.co.jp/wackys/0300014657

 

アイパオの話(その29)

CP➕2019横浜が開幕しました。ルミカのBiRodがこの見本市で衝撃のデビューを果たしたのは4年前の2015年、今回が5回目の出展でBi見逃サーズの発売開始です。

シトミ達女性陣がブースデザインに趣向を凝らしておりました。勿論惜しみなくお金を使って。アイパオを展示館として使っているのは男共いわく「中洲への忖度」だと。

カメラの見本市なのにアイパオで奇怪なブースをこさえグランピングアイパオ短縮して「グランパオ」もコッソリ提案しました。チラシは前日にイノウエが作図ソフトを器用に操ってグランパオを設計、ミチワキがもっともらしくデザインしました。皆さん本当に器用。

グランパオは中洲一人PRしましたが反応は有りません。だがブースのアイパオは注目されました。特に子供連れは宝物探しに大騒ぎでシトミ達のサービス精神には感心しました。

アイパオの話(その28)

昨日から大連にやって来ております。何度か皆様にご紹介しております旅順の哲人張さんにアイパオの近況を伝えるためです。フィッシングショー2019大阪フィーバーの様子やヒメノさんがセッティングしているサクラマス達のライブ映像をお見せしました。張さんと社員全員本当に我が事の様に喜んでくれます。張さんは自分が命名した魚菜共生を魚植共生に改名して一緒に事業をやろうと大乗り気です。中洲士郎遂に念願の張さんの弟子にしてもらえたようです。

張さんの展示場ではナスが木となって実を付け新たに四川省からやって来た3匹の山椒魚が水槽に佇んでおりました。

哲人張さんとその仲間。後方の魚植共生水槽は本当に水が澄んでます。これから一緒にアイパオ共生館に取り組むことになりました。

この歳になってつくづく思うのは、新しいこと始めるにはいい仲間が不可欠だってことです。世の成功したベンチャー達がそうであるように結局成功のご褒美は大抵着手者1人が持って行ってしまいます。だけどその成功には沢山の熱心な協力者と何より時の運があるわけです。1年前倒しで昨年11月に始まったアイパオプロジェクトでは東京の元気娘のアッコと老兵オーノとイワモトそれに大連の切れ者キンギョとウー無くして1月末完成はあり得ませんでした。そして今度は旅順の大先生、哲人張さんチームの参入です。中洲はただのイカサマ言い出しっぺですが・・・。これから事態はどう動くのでしょう。アイパオで世の貧困対策が始動するのでしょうか。どうぞ皆様も使者サクラマス達にエール送って下さい。

アイパオの話(その27)

夜中。アイパオの行く末を思案するうちに例のセグチ女史のメッセージを思い出しました。

「アイパオを世界で流行っているグランピングに展開するのはどうだろう」です。

日頃一目置いている彼女の透察力と着想、それを1ヶ月も経ってふと思い出してネットを検索しました。「グランピング??」「これだ!!面白い」それに先日手に入れた三菱の中古PHEVアウトランダーと組み合わせれば最高だ。

低層アイパオを4WDSUVに積み込んで走り回って清水の湧き出るところにグランピングアイパオ(長いからグランパオだ)を建てて温水シャワーも有る快適な電化生活を始める。誰もうるさいのが居ず漢詩を読んで音楽聴いてコーヒーにシングルモルト入れて小川軒のレーズンサンド食べて時折屋根から突き出したBi見逃サーズで野生動物を観察、海のそばならこっそりサザエを摂って壷焼きに舌鼓。夢が膨らむ膨らむ。

夜が開けるのを待って由布院に向かいました。グランピングの現場調査です。アスキーが奇声を上げると例の合鴨達がお尻をフリフリ隣から走って来ました。ビデオでお終いに映る小屋は忙しい中でニイザワさんが合鴨たちにこさえてくれたアイパオです。

合鴨と遊んでアスキーに相談したら近くのグランピング宿に連れて行ってくれました。彼はもはや由布院塚原の生き字引です。

インデアンの住まいですな。

親切なおやじで色々教えてくれました。

①テントはスエーデン製で高価。地面と布製テントの湿気が悩み。あんまり住めたものじゃない。

②日本中簡易宿所としてドンドン広がっているが衛生面で問題になるかも知れない。

話を聞くうちにグランパオに限ると確信。

説明終わって、「夜毎鹿達がねえ。大切な苗木を嚙り散らかすんでそれが悩みよ。日本中そうよ。何かいい方法ないかなあ」そうだ。「モグニゲル」を改良して「鹿ヨラズ」を開発しよう。1本100円なら誰もが買ってくれるに違いない。

アイパオの話(その26)

見本市撤収は大変でした。何しろ2000匹のヤマメの稚魚です。3日間子供達相手に大活躍の魚たちは疲れ果てた上に水がすっかり濁ってしまって呼吸困難になっていました。酸素注入でも福岡まで生きて行ける可能性は殆どありません。本当に魚さん共々弱りましたが最後はオーノとイワモトの高速運転の腕だけが頼りです。

皆んなを魅了したアイパオ3棟、今回は全てボルトじゃなくリベット止めでしたので激しい解体が仲間たちの手で5時に始まり8時に終わってトラックは慌ただしく出発したのです。

そして今日2月4日の朝早く誰も出社していない本社のアイパオ作業場を開けました。静かです。薄暗がりに3棟のアイパオの解体された部材が綺麗に整理されています。その奥に黄色い200Lタンク2個が横たわり酸素が注入されていました。恐る恐る蓋を開けると「オー!」魚たち全員元気に泳いでいます。

鉄人イワモトがやって来ました。聞けば朝4時に本社に帰還。魚の無事を確認してオーノと2人で荷降ろしと資材の整理をして帰宅。仮眠も取らず直ぐに出社したらしい。イワモトの労をねぎらう間もありません。稚魚たちをどうするかです。選択肢はただ一つ、本社駐車場に魚植共生館をこさえて一時間でも早く魚たちを収容するのです。水槽だけでも完成しなきゃいけません。頑張って頑張ってリベットで壊れたPVCパイプを修復して日が暮れかける頃です共生館の水槽が完成したのは。木炭や断熱レンガのニワカ造りの濾過器を通した水道水を注入してアップアップと息絶え絶えの稚魚たちを移しました。ところが水槽から水がドンドン流れ出ます。調べるとPCパネル水槽内のビニールバスが破れています。ここはヒメノさんが手際よく応急処置して何とか危機を脱しました。おまけにヒメノさんは機転を利かせてBi見逃サーズを設置してくれたので家に帰って魚たちを監視することが出来ました。

 

皆様もスマホで魚たちの元気な姿をライブで観察できます。画面をスクロールしてカメラを動かせて下さい。

手順

①APPをAPP StoreなどでアプリのMIPCをダウンロードして下さい。

③IDはlumicahonsha

PWはlumicahonsha01です。