サイリュームの話(その5)

先日老婆(ラオポ)からメッセージがありました。

「ちょっと福岡に行ってきました。に出てから知人達数人からルミカの会社名分かって知らせてきました」と。意味不明、一目置く達筆で文章家の婆さん(福岡に何しに行ったんや?)少し耄碌したなと放っておきました。

ところが数日後「会社の社長ブログで中洲士郎のプロフィールどうにかなりませんか🥲」の本文に気がついて(そうか中洲ブログが婆さんの知人に読まれたのか)「ちょっと福岡に行ってきました」はテレQの突撃取材に中洲がお調子に乗って出演した番組だと分かり文脈が繋がったのです。彼女の知人がテレQの番組見てルミカのHP開き中洲ブログに辿り着いた訳ですね。

例のプロフィールですが、これにも深謀遠慮の策が込められている事、未だ老婆(ラオポ)にも明かすわけには参りません。ただこのプロフィール、少しチャラ過ぎるなとは思っておりました。それが先日のことです。(チャラくていいんだ)と自分を納得させる出来事があったのです。

9月5日の事です。かの著名人青山学院陸上部を世に出した希代の戦略家原晋監督と対談する事になったのでした。箱根駅伝で日本中を歓喜させるあの原監督です。

「ここから変える」と言うタイトル、打診いただいて未練もあって強く断われず原晋監督を当日会社にお迎えする事になってしまいました。

ご当人は爽やかなスポーツ紳士で惚れ惚れする男前。ああ生まれて世渡り出来たらねえ~。女性にモテるやろうな~。

話し出したら止まらない中洲士郎、まあ一日盛り上がりました。原晋氏は乱世の雄、戦術家としてスポーツ事業の表舞台に登場しスポーツ界の常識を打ち破りました。そうです、監督仰る通りいつの頃からか日本の至る所「覚悟」が失せております。特に政治と産業界に。その強烈な覚悟は隠しおいて自らは「チャラい人間」としてメディアで演じられるところ,これこそまさに中洲が憧れる処世術です。威張りたいだけで覚悟のない連中を笑っておられます。

対談の相手にゾッコン憧れられて原監督、楽しく「ちょっと来た福岡」を後にされました。 (我は木偶(デク)なり。ただ踊るだけなり。諦めずただ無心に。原監督に触発されて)

そんなわけで老婆(ラオポ)に悪いが当分ブログに中洲のプロフィール留めおきます。

そりゃあ「ケミホタルの話」から始まる中洲の起業物語は人ごとの様に面白いですよ。しかし今思いついたんですがねえ原監督、それにライターの池田さん(これがまた当節の女優さんも3尺下がる程の美貌で)、このサイリューム6インチの秘話の方がもっと面白い。化学史上20世紀最大の発明品、ベトナム戦争で米兵達の命を救うべく世に出たのですが。そこかしこの沼地に斃れた兵士の胸に美しく化学の花が光って咲いたのでしょう。兵士たちを憐れむべく。

ベトナム戦争で

「このサイリュームが1976年モントリオールオリンピックで世にデビューするや中洲を含む20名程の「びっこのアヒル達」がこれに目を付けました。繰り広げられた争奪戦で数奇な運命を辿った「サイリューム物語」をモノにしませんか?スピルバーグも映画化を狙ったがこの中洲士郎と言う語り部がいなかったので実現しませんでした。どうでしょう原監督」

と口が滑ったのですが若しも今オッファー受けたらえらい事、アイパオでどうにも身動き取れないのです。そんな事情で用心のために「サイリュームの話」そろりそろりと復活です。

ClO2ピュアソリューションですが毎日中洲を実験台にして使っております。何か困った時は試してください。次回はピカイチの発明品、ClO2多目的洗浄器の裏話です。

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