ケミホタルの話(その20)

ケミホタルの話を長々続けております。化学発光という言葉が何度も登場しました。ローハット博士もです。そこで化学発光とは一体何ぞや?について読者に分かりやすく説明させて頂きます。

学校の先生だったら無理やり小難しく話して士郎のような生徒に劣等感を植え付けます。

だがこの物語の作者はそうはいかない。偶然このブログを開いた読者に逃げられたらお終いです。

早川書房に偉大なアイザック・アシモフのノンフィクションシリーズがあります。博覧強記のアシモフは物理や化学や天文学それに生物学や医学など色んな科学のテーマを必ず時系列で説明します。人類の発明発見をそれこそ玉ねぎの皮をむくように解き明かすので落第生の老兵にも理解できるのです。そこでアシモフ先生に倣って化学発光を説明してみます。

1964年米国で新しい化学発光現象の発見がありました。それはベル研究所でチャンベルさん(現存)がシュー酸クロライドという暴れん坊の化学物質をいじくっているうちに発光することを偶然発見したそうです。チャンベルさんは面倒だったのか特許を申請しなかったので金儲け出来ませんでした。しかし後になってチャンベルの発見が化学に新しい領域を開いた事がわかったのです。それは興奮状態にある化学物質が安定状態に戻る時エネルギーを放出するという従来の化学反応と違う励起化学という新しい化学領域でした。近年になって蛍やおわんクラゲの生物発光の研究で人類は貴重な財産を手に入れましたが出発はチャンベルさんの発見でした。

さて米国の1960年代は英国の産業革命に匹敵するアポロ宇宙開発の真っ只中、発明発見が相次ぐ米国は科学技術開発の絶頂期でした。

一方でベトナムに足を突っ込んだ米国国防省は新兵器開発に余念がありません。こんな発光体がどうして口蓋に乗るアポロ計画と関係がありましょうか。宇宙船で使うもんじゃない。当然ベトナム戦争での対ゲリラ戦小道具です。国防省はキャンベルの発見を受けて実用的なホタルの光の開発を予算化します。名目はアポロ計画だが実際はゲリラ戦の過酷な条件下で使用できる照明器の開発でした。ジャングルに潜む敵には見えないが味方にだけ見える光(IR発光)も必要です。

それですごい額の国家予算がおり米国大手化学メーカーがこぞって開発競争に参加しました。多分真面目に取り組んだのはACC(アメリカンサイアナミッド社、老兵の青春の憧れ)のローハット博士チームだけでしょう。

暴れん坊のシュー酸クロライドを手なずけるのに6年の歳月を要しまた。そして生まれたのが最高傑作の反応物質CPPOです。それだけではありません。必要な時に簡単に発光させられる照明器具「サイリューム6インチ」を作り上げました。こういう基本形を作り得たのはローハットが研究者にしてアーティストだったからに違いありません。そのローハット博士も晩年はケプラン事件*で不遇だったようです。(*化学発光の話で展開しましょう)

CPPOとはビストリクロロペンチルオキシカルボニルフェニルオキサレートの略称です。これは暴れもののシュウ酸クロライドに重い化合物を両側にガチャンと繋いで安定化させた物です。1970年についに合成が成功しました。CPPOをオキシフルより少し濃いめの過酸化水素で分解しこの時発生するエネルギーを溶けた蛍光物質が目に見える光に変えるのです。蛍光灯の機能を化学的に起こす様なものです。ここに人類は初めて人工的な蛍の光を手にしたのです。世界特許の一部は米国政府との共有となりましたが製造技術と必要な原料は全てACCが抑えたので世界中誰も真似できない代物となりました。米軍兵士には皆支給されて使用期限が過ぎたライトスティックで遊ぶ兵士のことが巷に漏れ聞かれたようです。

そして1976年モントリオールオリンピックの開会式で世界に衝撃のデビューを果たします。

折り曲げて光る緑の光に誰もウットリし化学に関係する人は今まで知らなかった新しい励起化学に引き込まれました。

サイリューム6インチが出現した。1970年

同時にこの光を盗んで一儲けしようと企む山師が世界中にその数10名程出現したのです。その中で小分けを企んだのは中洲士郎只ひとりでした。ローハットの偉大な発明を前にして新しい化学発光を発明するなどあり得ないことだったのです。たかがケミホタルに発明などの冠はおこがましくって40年間封印していたのはそう言うわけでした。

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