裸のウイルス(その1)

前回の尿酸の話を中洲ひとり気に入って再びアシモフに目を通しています。アシモフの科学エッセイ集ではどのページを開いても科学の面白い話を「ねえ聞いてよ」ってアシモフさんが読者に迫るのです。

今日のアシモフの話は「これが生命だ」です。シリーズ第1巻「空想自然科学入門」にあります。詳しくは本を読んでもらうとして。

古来科学者たちは生命とは一体何だ、生命をどう定義すればいいのかと頭を悩ませました。

19世紀終盤「微生物病原論」で世界に衝撃を与えた哲人パスツールが引き続き狂犬病の研究をしております。そこから顕微鏡で見えない小さな病原菌ウイルスの存在を予告しました。科学者たちに半信半疑のウイルス説が1931年英国の細菌学者エルフォードがウイルス抽出に成功、1935年米国のスタンレイがウイルスを結晶化したことで決着し生化学が急速に発展するのです。

生物の細胞は核と原形質が細胞膜でしっかり包まれておりその核では核酸が巨大な染色体蛋白で保護されておりました。アシモフはパスツールから始まる極小の生命体の興味深い探究の歴史を紐解きながら「生命とは何だ」の疑問に答えを作っていきます。そしてこのエッセイは「生体の特徴は複製能力のある核酸分子を少なくとも1分子持つ事である」と結論して終わります。

残念ながらアシモフは1992年に心臓病で亡くなってしまいました。ねえ皆さま、もしも博士が生きていて近代社会が右往左往する中、新型コロナウイルスが拡散しているのを見たらどうコメンされるでしょう。

アシモフは何でも大きさの違いを比較します。

中洲もアシモフの例え話に倣いました。

人類が抗生物質で退治出来た細菌に比べてウイルスがその1000分の1だとするなら多分ウイルスは最近老婆(ラオポ)が奮発して我が家に備え付けたTOTOのシステムバスに落としたビー玉みたいな存在でしょう。細胞膜がスベスベの魔法瓶湯船なら全自動で終始注がれる快適なお湯が原形質と言うことになります。それにウイルスの核は94%の蛋白と6%の核酸で構成されておりまして人間の細胞に潜り込む時はその蛋白の殻をあっさり脱ぐそうだからあまり身持ちも良くないようです。結局ビー玉を細胞核とするならウイルス生命体の核酸はガラス玉の中のエアホールみたいに小さく捕まえ難い存在です。

従って細胞に潜り込んだウイルスの核酸を叩くには例えば爆弾で中洲もろとも風呂場を吹っ飛ばしてビー玉を破壊するに等しい荒治療が必要です。だがこのウイルスがふわりふわりと新しい人体を探して裸で空中を浮遊している時や床にへばり付いている時は無防備だからやっつける絶好機です。

アシモフの解説で生物と言っても結晶化できるほど小さなウイルスは化学物質のように容易に化学反応して生物でない物質に変わるのです。だったら新型コロナウイルスと容易に化学反応して比較的人類に害のない化学物質を特定することです。

テレビ報道で解説者の口から出るのはそろってアルコール消毒です。今回の新型コロナウイルスがアルコールとどんな反応するのか誰か実験したのでしょうか。中洲にはアルコールではしゃいだり酔っ払っているウイルスしか思い浮かばないのです。

狙い目は重くて酸化力が強くて人体に比較的安全な気体です。ウイルス陽性の検体を保管する人が実験すれば直ぐにわかる事でしょう。ウイルスならタバコモザイクウイルスで予備実験して貰ってもいい。

当局は医薬品の許認可を偉ぶってやるだけが仕事じゃない。日頃危機管理に取り組み有事の時には危機脱出に果敢に行動し危機が収束すれば再発防止策を講じるのが使命ではないのか。日頃国民に不興を買ってたらこういう時こそ良い仕事をして喝采を浴びればいいのに。頻発する自然災害の時何時もそう感じるのです。中国の武漢の若い医師が新型ウイルスに逸早く警鐘を鳴らしたら共産党独裁当局に拘留されたという話は独裁国家にのみ起因すとは思えないのです。

2011年3月11日中洲士郎は福島で東日本大震災に遭遇。その時の衝撃で「にわか義人」に変身し社会活動の真似事を始めております。悪戦苦闘の毎日です。ダイヤモンドプリンセス号の船会社や大学や武漢市当局へ新開発の二酸化塩素スプレーのリリースを送りつけていますが体のいいお断りの返信が来るだけ。思いの女性にラブレター送ったら振られたので苦心の文章捨てるに惜しく宛名を書き換えて複数の女性に送り付けた若い頃を思い出して楽しんでおります。

さてルミカでは今日も大連の工場で夜中迄二酸化塩素スティックを製造し中洲士郎といえば掘立小屋で老人仲間達とウイルスをやっつけるディフューザーの開発に余念がありません。しかしながらこれが対ウイルス防衛の最前線なら何とも心許ない戦の布陣でありますねえ。