光るボールの話(その4)

皆様お待たせしました。

ただ今大連で激戦中です。やっと光るボールの仕様と名前が決まりました。

名前は大燦球・BIG THANK YOU, ワンプッシュでボールの内側に新配合の発光液が付着して燦々と輝きメガホタルとなって飛翔します。

写真を御覧下さい。

まさにメガホタル

軽く押せば光ります

10月15日の夜、コムロとホテルの前で遊びました。日本に帰ってYou Tubeで動画でご覧にいれましょう。いい感じです。

この2年間、中洲のパワハラに耐えに耐えた5人の勇士に感謝。

ヒハラ、ヤマテ、ダン、ワンそして遂に体調壊したアリヨシです。

生産は本年中に第二工場を改装して日産4万個を目指します。その生産ラインには二酸化塩素ウイルスバスターも仲間入りです。

2階のワンフロア1000m2を占領。1階はアイパオ生産です。

豚コレラって怖い名前ですが英語ではSWINE FEVER、豚熱だから大したことありませんが可哀想に豚さんがどんどん殺処分されています。そこでボール型ウイルスバスターの登場です。

「そんなんでウイルスに効果が有るのか?」

その中洲の率直な疑問に対して

「この地球上に二酸化塩素以上に人類に安全でウイルスの活力を弱める素材はありません。有ったら教えて下さい。直ぐに取り替えましょう」この名文句をはいたT社のS社長。本当にキレの良いイカサマ言葉に惚れ惚れです。

という訳で今度は可愛い子豚救出作戦を開始します。

光るボールの話(その3)

8月8日午後7時、4日間続いた中国中央テレビの人気番組「ブランドファイル」の取材最終章です。場所は大連市旅順口藍湾の海水浴場に取材班とルミカ職員100名が集合。全員疲労困ぱいの中「中洲士郎一世一代の猿芝居」が開演しました。

ジンユイ総経理と中洲士郎董事長互いに密かに期するモノを抱えてのテレビ出演でしたのでそりゃもう神経をすり減らしております。「最後はウルトラCで決めよう」ここだけはバッチリ呼吸が合ったジンユイ総経理との間でシナリオが決まったのは昨日の午後のことでした。

工場の広場ではなく藍湾海水浴場にアイパオで舞台を作りルミカ社員達がシャンパンタワーをバックに新開発の光るボール(仮名メガホタル)を夜空に投げ上げて「お祭り好き」を演出するのです。しかもその様子を新開発のBi見逃サーズで上空から収録します。写真をご覧ください。

テレビの向こうの視聴者はルミカを凄い会社だって思うでしょうね。

実は

ジンユイの「使い捨てシャンペンタワー」も

オーノの「アイパオ」も

ヤマテの「光るボール」も

ヒメノの「Bi見逃サーズオズモ」も

全て今日形にしたばかりで未だ生産ラインは出来てないのです。

「注文が殺到したら」って?

新製品なんて直ぐには売れません。金を掛けずにメディアで騒ぎ立てるのです。価格は大量生産の低価格で案内します。注文有ったら暫く手作りしてから製造装置を組み立てましょう。これが中洲流イカサマ商品開発。有ると見せかけて実は何もない舞台の裏側で皆様とビジネスをスタートアップさせましょう。

空騒ぎが終わって陽がすっかり落ちて砂浜の光の残骸を見ているとふと思います。

「さて次はどうすればいいのかな~」って。

光るボールの話(その2)

今日もギラつく太陽の下で街は夏休み真っ盛りです。中洲といえば遊びたい老婆(ラオポ)を避けて遅れた商品開発に腐心しとります。一昨年の今頃長男家族が帰省して山下湖の由布院ゴルフクラブロッジに泊まったのが最後の休暇でした。大人4人幼児2人のささやかな一泊旅行です。現代の若夫婦ってのはどうして子供にあれ程思いやり深いのでしょう。子供はと言えばどいつも当然の顔しており親に遊んで貰った記憶がない中洲にとってはシャクの種です。

それでも「爺ちゃん!」と呼ばれるとついついデレデレです。その日も家族から離れ温泉じゃないヌルい追い炊きの露店風呂に電気を点けずに入っておりました。月のない星空がボンヤリ見えます。折角独りゆっくり浸かっていたら4歳の孫娘がルミカのLEDツリー(クリスマスじゃないのに)とボンヤリ光ったUFOボールを手にしてお風呂に入って来たのです。

ボールを中洲の湯船に投げ入れたので裸じゃない孫娘に話して聞かせました。「なあリオよ。このユーフォーボールはね爺ちゃんが作ったとよ。(社内で誰もそうは言わないし無関心です)。これが売れに売れてね~。リオみたいな子供が皆んなお父さんにねだるので何処も売り切れて大変やった。100万個は売れたかな~」「ひゃくまんこ?」「100万個って分かるとね」「ひゃくまんこやろう」

今日はこのUFOボールの開発のいきさつをお話しして喧嘩が弱いくせに電柱に小便引っ掛けて縄張りを主張するあの頃の痩せ犬みたいに中洲はUFO開発者の栄誉を主張しておきましょう。

時は1981年の始めの頃だったでしょうか。大島東一の難を逃れて飛び込んだのが一桁上を行く曲者、青島功夫の渋谷の巣窟でした。知性の塊のチーコ、イトー姉さんとサクマさんを前にできたてのUFOボールを置いてブリスターパッケージの打ち合わせです。

このボールは埼玉に工場を置くノダロンという会社でこさえて貰いました。バカでかい回転溶封機が工場の宙を回っておりました。釜の中のボールの金型にはEVAペレットが入っており溶かしてヘソなしボールを作るのです。中洲が求めたのはそのペレットを半溶融状態にして穴開きにする事でした。簡単です。直ぐに生産が始まりました。

急いでパッケージをこさえなけりゃいけません。4人雁首そろえて仕様が決定。最後がキャッチフレーズの番でね。さて怪人青島功夫は府中、一高、東大出の超秀才。背丈190cmの偉丈夫それにギリシャ彫刻のような彫りの深い顔。怪人は劇団バロックを旗揚げして詩劇を主宰しており都内のリッチな女子団員に先生先生と呼ばせておりました。超多忙の中、東京理科大学で英文学を教えていましたが後で分かったのはその装いで世間を欺いていたのです。世間知らずで「一見お人好し」の中洲士郎が悪の巣窟に舞い込んできて珍劇が続いていきます。

彼の会社バルジンの大きな社長机に向こう向きに座って、翌日の授業の準備をしながら「聞いとくからキャッチコピーを色々口にしろ」と偉そうにね。チーコさん達3名が色んなキャッチを口にするが先生は音無しの構え。

そこで中洲士郎「日が暮れても」とやると「それだ。続けろ」そこで続けて「パパと遊べるUFOボール」「それだ。それで行く」決まりました。だけどね実は口に出して言わなかったけど中洲士郎には別のフレーズがあって妄想していたのです。

「日が暮れたらパパと遊べるUFOボール」です。こんなストーリーです。(父恋しい)野球好きの少年がいてね。ある時一人の青年が光るUFOボールを少年に手渡しました。「ねえ君。あの橋のたもとの真っ暗の藪にこのボールを投げ込んでみてごらん」少年は言われた通りに力一杯ボールを藪に投げ込む。と・・「よーし。いいぞ、いい球だ」確かに聞き覚えのあるあの声がして光るボールが少年に返って来たのです。暗闇相手にキャッチボールが続きました。

光るボールの話(その1)

今朝のことです。満面の笑顔でヤマテ君が光るボールのサンプルを古賀の本社に持って来ました。発想から2年、ついに完成です。

貴重なサンプルですから社内デビューは朝のテレビ役員会としました。その役員会の席で全役員の眠気を吹っ飛ばしたビデオをご覧に入れます。TVモニターの向こうでエンドー君の「これは売れる~」と悲鳴に似た声。

マジシャンが観衆を前にケミホタルを折り曲げて光らせた幼稚なマジックから40年経ちました。

ガラスアンプルを破割して2液を混合させると言う米国ACC社ローハット博士のアイデアがサイリューム6インチとなって誕生して以来、化学発光は折り曲げて光らせるモノでした。言わばローハット呪縛の50年だったのです。それが2017年12月にトリガー式発光スプレーの開発が成功してから新たな挑戦が始まりました。アンプルを使わない発光体です。

それは市販のポリウレタンボールの内面をトリガーで発光液を注入することから始まりました。

これは2018年6月大連での発見と創造展でデビューしました。ドガワ演じるのは老いた機械屋です。老人は密かに想いを寄せる娘の為に光るボールをこさえます。カナエ演じるそのマッチ売りの少女が会場でマッチじゃなく籠の光るボールを配りました。

だが発光液の注入じゃなくボールに予め2液を装着して何らかの力を加えてボール内で混ぜ合わせなければならない。この要求が出たのはソフトバンクホークスの舞台裏です。

先ず場面を2011年の鷹の祭典に戻しましょう。

ホークス勝利の後、酔いしれた数万もの観衆が振りかざすルミカライトで球場全体がブルーの光る海になりました。

中洲も現場でコムロ達営業開発の連中の苦心が実った一瞬を目にしました。大抵新しい企画は最初はアウトです。この演出を球団に持ちかけたところ観客がスティックを投げると危険だからと言うので不採用になりました。しかしそれをこじ開けたのが孫正義のツルの一声でした。「面白いからやってみようじゃないか」

時が経ちホークスの担当者から伝え聞くと当の孫正義「当たっても痛くない光るボールが欲しい」と。そうなると光っていないボールが子供でも握って指で押すとバーっと光る。球場全体が光るボールで揺れ動き更に・・・観客が一斉にグラウンドの選手たち目掛けて大閃球を投げる。グラウンドは光の海に。

「夢追いびと孫正義の夢を叶えたい」

そして自発光ボールの開発が始まったのが昨年の11月。

「課題はボールを外部からの優しい力で光らせる」「そんなのできる訳がない」精々出来ても2本のアンプルを閉じ込めておいて床に投げつけて光らせる程度だ。それでは商品とならぬと中洲は却下(この案は既に中国競合相手が商品化していた)。だったら競合相手の彼等が方法を見つける前に見つけなきゃ。中洲焦る。試行錯誤の毎日。中洲とヒハラにヤマテも加わり珍案出してはヒサシ達若手が試作試作。どれもダメダメそして諦め。中洲の罵倒。「なにかがある」と模索する。「きっと何かを見落としている」2019年に入って遂に発光の鍵が見つかりました。構想はまとまったものの手作りも難しく形になっておりません。それでも特許出願。だが肝心のボールの成形と発光液のカップが仕上がらないのです。「もう時間がないのだ」中洲連日の叱咤。そして7月、遂にボールとカップの製造が大連ルミカで始まりました。

夢が続きます。舞台は一転して2020年のパリーグ開幕戦。もはや世界最強の球団の一つにに成長したホークスの開幕戦です。始球式で孫正義が硬いボールに仕掛けられた2箇所の柔らかいスイッチを指で挟んで押すと「あ〜ら不思議」大閃光で輝くその大閃球をキャッチャー目掛けて投げます。硬球ボールほど重くないので非力の孫正義でも見事な光る軌道を描いてボールはキャッチャーのミットに収まりました。笑顔の孫正義に観衆が万雷の喝采で応えたのです。

このボールは「当時の日本の社会で一番貧しくそれでいて誰よりも大きな夢を追った少年、孫正義」への高校の先輩中洲士郎からのオマージュです。

それではホークス球場がブルーの大閃球で埋まる日まで何回かに渡って「光るボール」の話をさせて頂きましょう。