アイロッドの話(その4)

「父ちゃんアイロッドやってもカメラに手を出しちゃいかんよ」プロでカメラを回している次女に釘を刺されておりました。それがこの3年カメラで深みにはまっているのです。

開発の狙いはいつも未だ誰~れも気がついていない宝の山を掘り当てることです。カメラが危ないのはライフがすごく短かく一つのモデルが大抵半年で姿を消すからです。2011年GOPRO登場。(パチモノ溢れる)。2014年INSTA登場最初はリコーの360°シータをコピーしましたが2014年insta nano上市。これは中洲提案のUSBカメラでした。(これもパチモノが溢れる)。中洲の次の狙い目は4K360°IPカメラです。

どうしてこうも簡単にパチモノが出現するのでしょう。それは深圳の電気街の華強北に秘密が隠されているようです。パソコンと同じくスポーツカメラなら部品は全部揃います。頼めば直ぐにカタログも印刷してくれるそうです。電子機器では同じ基盤を使っているのでブランド品と性能はほぼ同じで上代は10分の1迄下がります。だからカメラのビジネスはもはや成り立たないらしい。

そうでしょうか。それらパチモノを色々揃えて新しい概念の製品を安く作り上げるのはどうでしょう。更にBiRod専用のパチモノをルミカがこさえればどうなりましょう。Bi見逃サーズは他人が真似し難いパチモノだから独創だと考えます。

今回この「Bi見逃サーズ」上市したら次の獲物は360°POE-IP-4Kカメラです。国産の同クラスなら30万円以上はします。価格は2万円台でルミカ独自の特殊な防水機能を備えます。

BiRod事業を始めて4年中国の深圳に行く機会が増えて時代と技術の変化に目を見張ります。スポーツカメラのGOPROが一世風靡している間に素人でもカメラを組み立てて売る時代になったのです。5年でトヨタはなくなると豊田社長が言ってるのはそう言う事です。トヨタの電気自動車のパチモノが十分の1で売られる時代が来ます。パソコンやカメラと同じく単品販売じゃなく個人事業主が真似できないコンテンツを生み出す事、それが豊田社長が仰る事でしょう。

新幹線深圳駅。2年で開通。

ルミカの次のカメラは12V有線LAN対応ですから水中でも100m離れて操作可能。そうなると50mプールの水底を世界記録のラップタイムでカメラ移動させることが出来るのです。それも一式30万円で。これは中洲のオリジナルアイデアですが実現できましょうか。中国が凄いのは国も後押ししてビジネスプランにファンドが直ぐに立ち上がり10億円位と優秀なエンジニアが結集するところです。INSTAがそうでして中洲も簡単に行けない敷居の高い会社になってしまいました

だからやっぱり次女の言うこと聞く訳には参りません。今日は変に理屈っぽい話でごめんなさい。明日はアイパオの美味しい便りを届けますね。

アイロッドの話(その3)

開発には緊張が付き物。ひとつの開発テーマを追うと次々に問題が起こり問題解決の過程で又新たな開発テーマが吹き出します。もうキリがないから「お前は俺の最後のオンナ」とか言うくだらない歌に倣って「アイパオは俺の最後の開発」なんてキザなこと言っております。勿論新製品がヒットするかしないかは別の次元でして中洲のは悲しいかな大抵見込違いですが。

手許の数ある商品開発の中でBi見逃サーズは11月14日のインタービー見本市迄に完成し販売を開始しなきゃなりません。会社の相棒(アイロッド)達皆んな頑張っていますが遂にカメラの防水で暗礁に乗り上げてしまったのです。

防水と言う技術テーマには皆んな泣かされます。カメラの防水で成功したとこは皆無でしょう。15000円で360°完全防水カメラを市場に出そうと言うのですから専門家は一様に笑います。強力接着剤も有りますが処理に巧妙な技術を要するものは使えません。ここはジェル接着シールしかないと決め打ちして深圳に出張したのです。

11月2日、2年前に知り合ったその会社の工場にお邪魔しました。沢山の種類の接着シールを只でくれた上に工場を詳しく案内してくれたのでもう感激です。生産ラインを見ているうちに手元案件の幾つもが解決できそうです。透明エラストマーポリウレタンEPUと発光体を組み合わせるのです。商品開発では新素材の活用が決め手になるようです。

「空から瓦礫の中から水中から狙った獲物は見逃さない」そんな(中洲の)夢の製品「Bi見逃サーズ」発売間近で遂に挫折寸前。防水が成功しないのです。そもそも防水とは何か?何処かで迷路に入ってしまいました。一年ほど前の事、カメラをコンドームで包む案を思いつき色んなのをこっそりネットで買ってテストするも皆んなダメです。薄い、着色してある、それに形が悪い。相模護謨に行って頼んでもダメだろうと諦めたのです。そもそもコンドームの材料でダメなら新素材を探すべきでした。それがこの深圳の会社では新素材のEPUがあり少量の試作でも即座にOK。防水とは硬いものを柔らかいもので限りなく締め付ける事です。

現場を歩いて緊張しなきゃアドレナリンが出ない。出なければアイデアが湧かない。

即ち「開発は緊張だ」とおもいます。

ウチの深圳子会社の可愛いイー君も一緒です。カメラの防水処理の案件が終わると会議室で相手の材料と技術を利用できる新製品のブレストを行いました。際どい新製品が「光って膨れる逸物」です。これを中洲が中国語、英語、で説明しますがイー君だけキョトンとしています。「バカー・ペンダン」と言って彼の股ぐらを叩いてやっと理解させたら「そんな下らない商品有りかよ」とばかり中洲に侮蔑の目を向けるので一瞬ひるみました。

しかし相手側は喜んで「やりましょう」でした。次の光って膨れるパットもルミキャプチャーも行けそうです。矢張り商品開発は面白くて止められませんね。

アイロッドの話(その2)

息子が父親の高級一眼レフを見て「父さん。こんな高性能機どうせ使えないだろう」と言ってソニーデジカメと交換させられました。

ー実際一眼レフと言う奴は図体が大きく重いしボタンが一杯あって操作を覚えれません。だいたい日本の精密製品は高価で装備過剰ですねえ。デジカメも高級化して丁度WiFiが装備され始めていました。実は中洲はかなりメカオンチでサッパリ転送の意味が分からずに弄りました。「えっ!スマホでカメラが遠隔操作できるんだ。これだっ!雪庇1号に取り付けよう」名前もBiRod (Birds eye Rod)として売り出すことに。

7~8メートル上空から写真を撮るとかなり驚きです。じゃあ誰よりも先に名作をモノにしようと青森の弘前城の桜を撮ることにしました。2014年の春です。老婆(ラオポー)に「どうだ。あの有名な弘前城の桜を観に連れて行ってやろう」と誘い出しました。

何しろ長大竿を支えての花見、いやでも観光客の目をひきます。小道具入れもあるしタブレットでの操作もあって慣れなきゃ独りじゃ無理です。

我ながら惚れ惚れの傑作写真が沢山撮れました。三脚が付いてますので少し離れてスマホを見ながら自然な人物像を撮るのにも便利です。もちろん傑作は人が上空を見上げて口を開けている写真ですね。この弘前行でアイロッドの市場を確信しました。

東京駅でラオポーと別れます。一緒は面倒だし支店に用事もあるのでね。ところが別れ際「ありがとう。桜見に連れて行ってくれて」と小遣いをそれも10万円もくれましてね。完全にこちらの魂胆が見透かされておりました。

誰か銅像を見上げておりますね。

お陰でBiRodは年間2000本ほど売れてジンユイさんの友達の工場は喜んでいます。残念ながら雪庇1号は合計500本ほどで売れなくなってしまいました。だけど別れたあの佐々山親父の発明力は評価しなければなりません。

世の中自分の手が届かない所に誰しも不便を覚えます。脚立も危ない。水の中なら殆どお手上げ。僅かの物好きが物干し竿にカメラやハサミを括り付けて頑張りました。そこで「軽くて便利な長い道具を作れば!」これが発想ですね。「そうだ釣竿がある」これが着想。あの小娘の親爺は立派です。ここまで来たのですから。これからが構想企画設計製造そして新たな市場開発となるのですが。少なくともクランプを取り付けた継竿まで進んでいれば発明者としてBiRodもこの親爺にプレゼントしたのですけど。雪庇1号の事業化にも執拗さが不可欠だと思います。何より目標を共有する仲間が大切ですね。

アイロッドの話(その1)

「中っさん。聞いてよ。ウチの父親も困ったもんだ。自衛官退職して好きな事やってるけど最近発明に凝ってね。何かセッピ落としの道具をこさえて商品化したいと言って家族を煩わせるのよ」チンプンカンプンで事の次第を理解するのに時間がかかりました。「親父も」と言う言葉にカチンと来ましたが耳を貸すことに。

先ず彼女の故郷は青森で一浪して高校に入りどこか東京の私大を出て就職して辞めて独立してコンビニフィットネスをやってる事は知っております。その故郷の親父の話らしい。

セッピというのは漢字で雪庇。東北地方の降り積もる雪で特に年寄りが泣かされる。屋根の雪かきは大変な苦役です。 軒先で凍った大きな氷の塊を雪庇と言ってその雪庇落としは危険極まりないらしい。これを落とす為に毎冬幾人もの死傷者が出るとのこと。

そこでこの娘の親父が考案したのが8mの竿にロープを付けて軒先の氷を一気呵成に切り落とすものらしい。その名も「雪庇カッター」

生来の物好きの中洲。「よ~し。ひと肌脱ごう。自衛官だった親父の夢を叶えてやろう」と動きました。

早速中国は威海の釣竿メーカーに当たりますがいい返事がありません。釣竿は韓国企業が強く早くから山東省に進出しております。そこで中洲と同じ頃釣ビジネスを始めて一時は世界最大の釣竿メーカーとなったソヌーと言う会社を訪ねました。中国の青島に大きな工場を構えています。そこの金社長は大層な財を成して昔は貧相な青年だったのが今では風体も中洲より堂々としておりました。

釣竿と言うのは一般に延べ竿だからクランプ付きの丈夫な継竿は面倒で作ってくれません。それに釣り具は何処も斜陽産業で昔の開拓者精神は失せているようです。結局ソヌーにも体良く断られました。そこの金社長、折角訪ねて来た中洲を慰めて極上の韓国料理を馳走します。ブルコギ食べながら「雪庇カッターの開発を諦めるかなあ」と。

しかしあの小娘に「頼り甲斐のない奴」と見くびられるのも癪で大連ルミカのジンユイ社長に相談したのです。彼女は日本で最大手の釣り具量販店の社長室にいました。美人で日本人以上の大和撫子と評判を取っていましたので彼女が一声かけると男どもは直ぐに応じます。日本での留学生時代これも内モンゴルから来た同級生が強く相談に乗ってくれました。

そして僅か3ヶ月で雪庇1号が完成したのです。

青森の素寒貧のこのササヤマ親爺の為に皆さんが骨を折ってくれました。癪の種は独り有名になりたいこの親爺、地元のテレビや新聞に開発したルミカを隠して自分の自慢話ばかりです。

商品開発なら中洲士郎、次々とアイデアが湧いて雪庇カッターの完成度上げるように親父にアドバイスしますが舞い上がって聞く耳持ちません。開発マンと言うのは中洲も含めて皆んな我が強い人種のようです。この親父が分からないのは工場でラインを動かすのに年2~300本では話にならない、この10倍は売らないといけないという事でした。それが新商品開発で苦労するところです。

「何とか別の用途を開発しなきゃ」新規市場開発ですね。そんな時に中洲の長男が帰省したのです。

アイパオの話(その18)

最終第5戦は岩手県花巻市にある某大学オープンキャンパスのシャワールームです。

大学生達が大震災救援活動で頑張っています。ここではジャグジーを提供しました。学生たちはそりゃ楽しそうに手伝ってくれます。感じたのは自分たちの住まいを作るのは物凄く楽しいってことです。

上海の空ビの会社に格安で分けて貰ったジャグジー

以上が東北での都合9棟の救援用アイパオ設置の記録です。息巻いて救援活動なんかしましたが「果たしてあれは何だったのか」と自問自答しておりました。しかしこうして思い出して 皆様に記録を綴っておりますと少しは意味があったような気がして参りました。

人が喜ぶ姿を思い浮かべながら家を建てるのは一番楽しい仕事です。家というのはそして家のあるじとは本来そんな役割のものだなと感じた次第。だから素人が建てれる合理的なハウスキットがあるといい。これで東北作戦活動の報告を終えます。

この後も宗像大島の避難所や熊本震災救援施設にアイパオを提供しますが密かに狙ったブームは起こりませんでした。

東北転戦終えた翌年の暮れ、ここは江東区木場にあるバー・コルの止まり木。あの小生意気な娘ミキと被災者救援活動について議論しております。思うんですが女性と男性特に若い女性との討議は何かこう本質の部分で噛み合わないようです。

「なあ。あの瓦礫の中に風呂の水が流せないって馬鹿じゃないかな東北の人間って」「何よ。その差別的発言。当たり前でしょう。私だって髪や身体を洗った汚い水を地面を這って流すのって嫌よ」「だって時と場合を考えろよ。自然災害は戦争なのだ」

そう言うもんか娘ってものは。若い男には誰にでもデレデレする癖に親爺には手厳しい。ドン・キホーテにも宿屋で底意地の悪い3人の小娘に手酷い仕打ちを受けて落ち込む場面がありましたが。

戦争では責任ある命令指示系統がなければ敗戦と膨大な同胞の死が待ち受けます。そして敗北の認識と迅速な戦後処理が復活に不可欠。東日本大震災は日本の完全敗北。限りない復興浪費。そして虚無感。矢張り戦争には「備え」と賢い司令塔が要ります。

とにかく彼女の話は長い。夜中の2時3時迄の議論はへっちゃら。「難民も被災者も憫むのは止めろ。ビ・ジ・ネ・スの話をしなきゃ」その中洲の結論へこの娘を引き込もうと焦る親爺にその小娘ミキが突然運命的な話を持ちかけるのです。

アイパオの話(その17)

続く第4戦は岩手県大船渡市三陸町です。ここでも都合3棟のパオを建てました。

大学講師の素敵な女性。秘密の隠れ家を作る気分で皆さん楽しんでました。

皆さんに手伝って頂きました。サインはVがお好きのようで。


序でにアップで

被災者の子供達用のバス停に。村の皆さんと話し合って建てました。土地は自動車修理工場が無償で提供。整地の砂利もどなたかから提供していただきました。

2棟は住民の仕事部屋にしました。これが台風で飛んじゃいまして。結局撤収しました。

Attachment_5.png

取材がありました。

アイパオの話(その16)

第3戦はいわき市です。仮設住宅入居者サポート広場に3棟建てました。あの楽しかった作業がまざまざと瞼に浮かんで参ります。隣接する障害者施設の皆さんも一緒になっての家づくりでした。障害のある子供達がそりゃもう「きゃあきゃあ」言って人の為に精を出しています。

ここの館長さんは本当に本当の人格者でした。心の有りようが言葉と態度に滲んでいました。

障害者達の兄貴分と一緒に。

後にこの広場はパオ広場と命名されて大事にされているとの便りがありました。

思えばあの東北救援活動は失敗じゃなかったのかもしれません。

アイパオの話(その15)

この温泉街の一軒の温泉宿にチェックインして人気のない夜更け、近くの食堂に3人で繰り出しました。もう疲れ果てて先に温泉に入って休もうと2人を残して中洲1人宿に戻りました。大震災の傷痕を残した侘しい温泉旅館、暗い廊下をかなり歩いて行く手にボンヤリお風呂の灯り。どなたか先客1人。急いで衣服を脱いで引き戸を開けて濛々たる湯気の中「失礼します」と入り湯船に浸かって暫く・・・。はて声のない先客を見ると「狐か!」と思いきや。それは色白の丸いお尻を椅子に乗せた丸まげのぽっちゃりしたご婦人です。「すみませ~ん。間違えました」と湯船を飛び出し「こりゃヤバイことになる」と心配しながら廊下に出て男湯を見つけて誰も居ない湯船に飛び込んだのです。

暫くして庄助と太助2人が湯に入ってきました。騒ぎが起こったら助平の庄助のせいにしよう。彼なら女湯覗きの前歴があるから。「お前!又やったのか」とセリフを準備しました。少しばかり庄助に我慢して貰わんと「社長、女湯に入って御用」じゃ会社が危ないです。じっと顔半分まで湯船に浸かって息を殺しました。怪訝顔の2人、幸い騒ぎは起こりません。「やれやれ」ホッとすると脳裏に先ほどのご婦人の姿が浮かんでまいります。これって倫理規程違反かな。このブログにクレーム付いたら直ぐに消去しよう。だけどふとした縁で男女が仲良くなるのっていい人生ですよねえ。

アイパオの話(その14)

救援資金の出どころも記録に残しておきましょう。会社で皆んなが汗水垂らして稼いだお金をた易くは使えません。そこで他社から救援基金を仰いでそのお金でアイパオを開発しようとの「中洲風」虫のいい考えを実行に移しました。

怪しげなCSR企画書を書いて取引銀行を回りますがポイと100万円出すとこなんかありません。結局1社から1000万貰ってお終いです。その1社とは今回のK化学の株式譲渡を受けたM証券でした。

大抵の取引契約には「天災解約条項」が不用意に設けられているのです。災害国日本の売る側ならこの条項に気を着けなきゃいけません。言っときますけど中洲は寄付を強要しちゃいませんよ。だからアイパオの入り口にはルミカじゃなくてその会社M証券の名札を貼りました。これから残る7棟設置の汗と涙の報告ですが結論から言えば失敗でした。

理由は美しくないし住んで快適じゃないのです。これを克服して20万円以内に抑えられれば大事業になるかも知れません。しかし大きな物を売る営業には腰が引けます。そんな時某大企業の真面目なサラリーマンのヤマネ氏からの凄い提案です。リースとシェアリングです。それは3年契約でリースで貸し出すという案です。月1万円で建物、月2万円払ってくれれば張先生方式の漁植共生水槽がアイパオに付くという企画。月に2万円払って住んで30万円稼げれば失業も楽しくなりますね。スマホのアプリのように色んなハードモデルが競うと孫さんやトヨタさんも乗り出してくれるでしょう。

大連の張哲人の「漁植共生」こそが幸せの鍵。アイパオのドーナツ型水槽でマスが泳ぎまわりその上をレタスが茂る・・・。

今頃になって茨城工場のアイパオの残がいを買うところが出ました。鶏舎や野菜ハウスに使いたいと。商品開発で成功するには時空の符号と頃合いみたいなものがあるのでしょうか。

さて岩手県大槌町の次なる戦場は宮城県南三陸町の救援用作業番屋に隣接するサテライトキャンパスです。悲劇の町役場としてTV取材が引きも切らず茶の間の要求に応えておりました。役場の殺伐とした感情がパオの建設現場で「誰の許可で建てとるのだ」という尖った言葉に表れているようです。今度は津波に代わって押し寄せる「救援物資」に辟易されているのでしょう。

パオの丘の下には陸上自衛隊の救援テントが広がっておりました。そこで提供されるお風呂に被災者の皆さん大変喜んでいると話題になっております。これこそまさにアイパオの目指す所です。

自衛官がパオの現場にやって来て「明るくていいなあ。自衛隊のテントは暗くて暑くてねえ。TVの朝ズバで紹介されていたね」と。

 

素敵な応援の学生さん。全部で7名ほどでした。作業は1日で終わらず汚いブルーシートを巻いて延長戦です。

ここ南三陸町でも宿が皆無。可哀想なオーノ君疲れた身体で運転。4時間かけて宿を探して仙台郊外の白水鎌崎温泉までやって来ました。ここで又事件です。

アイパオの話(その13)

会社の若い男の出勤途中、彼の車のエンジンルームにしがみ付いてやって来て拾われた仔猫、中洲同様生まれ育ちが悪いだけにヤケに生命力が強い親猫に育っております。

その野良猫の「スズ」がしょっちゅう開発館で仕事の邪魔をします。先日スズも交え相棒のオーノ、ヒメノ、イワモト3人を集めて「新型アイパオ」の開発決起集会をやりました。事前に召集令状出していたので着席するや「一升飯喰らいのイワモト」が「世の為人の為ですな」とニヤリ。もうすぐ大連からサンプルが入荷、来年2月までに完成します。大連の張老人の教えを得て「魚植共生パオ」を世のホームレスに住まいと仕事を提供する哲人の道に踏み出すのです。

となると2011年の東北作戦の顛末を手短に書き残して夢の舞台に愛する読者を誘わなければ。

茨城の高萩に取得した新工場にエアーベッドやジャグジーそれに韓国からの軍用折りたたみベッドの類いがコンテナーで茨城工場に届きました。ヒッチハイクで福岡に戻ると直ぐに上海に行って買い付けたものです。これら救援物資と見苦しい五棟のビニール小屋を残されて困り果てた工場のスタッフを後に2011年5月から東北転戦です。

第1戦は岩手県大槌町に救援物資の保管倉庫作りです。5月15日朝4時起床6時茨城工場から遠野に向けてプロボックスという社用車で出発。津波によっていい様に生活の全てを破壊された跡が晴天の中でキラキラしています。気がつくと空中に沈殿する異様な匂いに鼻の粘膜が酷くやられて障害が起っておりました。

大槌町の避難所に入り責任者と協議。風呂が欲しいが「瓦礫の中でも洗い水を下の土地には流せない」と。「この非常時に」とバカバカしくなって退出。

そこの避難所の自慢の小屋(写真)に呆れる。

結局ふれあい広場に作業小屋(移動美容室に落ち着く)を建てることに決定して夜中茨城に帰還。

翌朝4時トラックで再出発。

ふれあい広場では海外からのボランティア10名ほどの手助けがあって日暮れ前に完成(写真)


疲れ果てて宿を探すが何処にもない。結局オーノの運転で4時間、花巻温泉にたどり着く。感じたのは心根優しいボランティア達を受け入れる設備と彼らを大切に思う気持ちが皆無のようでした。現地ではどうしていいのか思いが回らないようです。道端でシュラフに身を包んだボランティア達の為こそパオが必要だと思いました。