2回目の同行で彼のトークをすっかりメモしました。継手のサンプルも借り受けて何度も練習し勇躍独りで飛び込み営業です。初戦「あんた~。何言ってんですか」相手の呆れ顔に慌ててトイレに駆け込み気を鎮め十字を切っての仕切り直し。相手は笑っております。
段々トークも板についてきて新井元之助の関西よりも田舎者の九州の方が成績が上がりやすく1年で8400万円利益も2400万円を計上。進行中の関門架橋でも一番偉い大橋所長から優しく笑顔を頂いて採用されました。大変品のいい方で役人でも格の違いを見ます。
折角の関門架橋だからセラミックで取引拡大を狙う新規顧客の子息をもライトバンに乗せて建設中の関門架橋を敬礼しながら横断。本業でも売上を増やしました。
ところが視察にやってきたウチの社長を横に所長のA「社長。金儲けすればいいってわけじゃありませんよね」と。馬鹿じゃなかろうか。社長はそれを否定もせず黙って少し笑っていた様に感じました。
だが業績とは裏腹に新井元之助との関係が悪化し出し芦屋の彼の自宅事務所でバトルです。同行したK先輩を前に仕切り価格が上げられたのです。大好きなK先輩、帰り際慰める様に「なあ中洲君、この家の門柱も多分中洲の稼ぎだろうにねえ」と。
帰りの寝台急行「筑紫」の中で意を決しました。ラバートップを超える新型継手の開発です。これも新井方式の模倣でした。戻ると直ぐに博多駅前の特許事務所に駆け込み特許出願。次にブリヂストン工業用品と言う会社に飛び込んでアイデアの売り込みです。BS福岡支店、BS横浜工場、遂には京橋のブリヂストン本社へと駆け上がり名前も「タフジョイント」として施工実績を上げます。譲渡契約金500万円をBS海崎専務(後に社長)から我がM社長、恭しく拝受。ここで恋の熱が引くようにこの仕事への熱が冷めて行きました。新井元之助と競合する仕事なんかに生涯を掛けたくはないと。そうそう中洲が海外雄飛の夢を追ってこさえた会社の英文経歴書には所有特許1件ExpansionJointと記しました。「我が社はピンハネ業だけじゃない」と。せめての意地です。