何気ない一日(その87)カジワラ君の話(その1)

5月30日の平日の昼間に高校の仲間の集いがあり仕事をサボって参加しました。半数の10人位は医者で皆風格がありました。場所は久留米のK医師の自宅の広い庭でのBBQです。

今日は中洲士郎の悲しい高校入学の話をさせて貰います。中洲は貧乏の母子家庭で修猷館九大以外に私立などの選択肢は有りませんでした。それが人生最初の競争に敗れてのF高校進学。

高校巣立って60年の仲間たち

そもそも親友のシオカワ君が「F校というのが久留米にあって難関らしい。試しに受けないか」との誘いに乗ったのが狂いの始まりでした。共に何なく受かったけれど公立受験日が近づくにつれて不安が頭をもたげて来ました。実は中洲、急速充電みたいな受験勉強で本当の学力はついていないのです。結局滑り止めに母親若子にF高校入学金5000円納付を頼みました。そうしたら中学の同級生合格者のうち入学金納めた3名が修猷館落とされてしまったのです。これが挫折の人生の始まりとなりました。私立なんか行けやしない。だから入学金払うのは無意味だと悟るべきだったのです。

他の2人は実家が病院で結局医者になったので賢い選択だったのかも知れません。中学の友達は中洲を残して皆修猷館に合格して歓喜の日々の中、不合格の中洲を顧みるもの誰もいません。唯一、若子の旦那が高校にかけあって「士郎は入試の合格点は取っていた」と。士郎を慰めるための優しい心遣いだったのでしょう。

落胆の登校開始の中、授業料と通学費で若子の負担が重く出直し受験にも思いが走っていました。ここは心機一転3年後の九大挑戦に頭を切り替えるべきところでしたがそれを諭す親も先輩もいません。実を言いますとアッちゃんと同じ高校に通って九大狙うのが夢だったのです。その後の風の便りでは才色兼備の彼女、男子生徒達の憧れで全校トップの男子生徒と恋仲になったとの噂、そんなのを目の当たりにしなくてよかったとも。まあそんなんでいじけた高校3年間でした。

その暗い高校生活にあって友達は皆誠実で優しく学業も中洲士郎より優秀で尊敬しておりました。その後の人生で不本意と思っていたこの高校3年間が静かで尊い日々であったことと得心する事になります。そんな思いがよぎる中、高校出て60年、戦いの日々を勝ち抜いて功なり名を遂げた筈の友人達を嬉しく眺め回していました。

社会に出てまともな道を歩かず未だに泥沼で悪戦苦闘しているそんな中洲の姿を「羨ましいな。定年がないし。国立大学医学部の教授をしていても定年迎えりゃ只の浪人。私大にポジション得るのは有力者の引きが不可欠でそりゃ忖度の辛い人生だった」とも。そして「耳にする訃報の数々。3年後平均年齢まで生きりゃ同輩の半分はこの世にお別れしてるんだ。こんなもんで人生のゲーム終了か?」とも。死ぬまで忖度しての猟官運動とは。側から見る威厳のある人生と実態はかなり違いがある。同窓という仲間意識が素顔を見せて本音をさらけての束の間の楽しいひと時です。

「誰かカジワラ君ってF高入学してすぐに辞めた生徒覚えていないかい」これも医者のM君の声が耳に入った。一様に「そんな子いなかったよな」その時中洲の脳裏に鮮やかに蘇ってきたものがある。(あの時のあの生徒、確かカジワラと言ったな)そこで「中洲が知ってるよ」と。一座の好奇心に満ちた眼差しの中でカジワラ君の話をすることになりました。