チェリービールの話(その10)

チンユイ社長に頼んで大連ルミカにロータリーエバポレーターを設置して貰いました。これで思う存分実験ができます。空気漏れでヤマテ君は手直しで大変でしたが昨日から大活躍、何しろ安い、日本製の5分の一です。

昨日まででチェリーに残留農薬の心配はなくなりました。市場に出されるメジャーのチェリー・紅灯(ホントン)は色見でアウトです。だから自分たちでチェリーを探す他ありません。

それで今日は生い茂るチェリー農園に入って食べ歩きを楽しむ事にしたのです。この時期は大抵が紅灯(ホントン)という甘くて大きくて色見が濃いい市場で一番人気の品種です。加工するには色が濃いすぎるからアウトにしました。しかし70%くらいの成熟度なら一応テストする事にして仲間5人に収穫を頼み中洲一人園内をうろつく事にしたのです。

完熟前の紅灯。流石にチェリーの女王です。

しかしヤッパリあのチェリーが気になったのです。それは小粒で大層な鈴なりで赤見が強い厚い皮、しかも直ぐには外れないほどヘタが強いのです。要するに生命力がメチャ凄い品種、但し味は酸っぱいだけでした。見捨てられておりました。

日本の佐藤錦から何代も交配を重ねたのでしょう。小さくて食べる人などいやしない。見事な房なりだが朽ちるだけの定め。その内邪魔だと切り倒される運命です。張先生に名前を伺っても邪険に「知らん、名前などない」じゃあ皆んなで名前を付けることに。即衆議一決、品種名は「ルミコ」となりました。

チェリービールの話(その8)

ヒハラ君がイカサマやってくれました。

中洲が口のイカサマ師ならヒハラはパソコンのイカサマ師です。この前作った平面の写真を立体に加工してるんですね。

中国でこの写真一枚でクラウドファンディングやってみたらどうでしょう。1億円限定で募集して成果配分やれば面白そうです。

チェリービールだけじゃなく張先生と組んで納豆菌プラスチェリー健康飲料、チェリー石鹸、チェリーパック、勿論チェリーワインやブランディも。チェリーソーススプレーもやってみたいですね。先ずヒハラ君にイカサマ写真こさえて貰ってそれから反応良ければ試作する事に。

チェリービールの話(その7)

皆様には長々とチェリーの話にお付き合い頂いております。退屈されるか馬鹿馬鹿しくって中洲ブログを退出される方には本当に申し訳ないです。

しかし後世のためにそのジャムがどうしてビールの話になったのかを書き残しとかなくっちゃ。

4月23日の事です。大連から市長はじめ要人の来日があり旅順口区のトップを夕食にご招待しました。皆さま恰幅良くマナーも素晴らしい方達ばかりです。

東京支店からヒハラ君とファン君も参加してくれました。

世の中本当に男前でにこやかに相手の顔を見て話に相槌を打って女性にモテる男性がいます。旅順口区の冷区長はそんな方です。容貌に自信がない中洲はひたすら話題で相手を引き込もうと努めます。そして「又喋りすぎた」と自責の念に囚われるのです。

今回もそのお喋りがとんでもない事態を招いたのです。

「ルミカが旅順に進出して20年。(皆さまルミカが旅順で一番古い海外企業だと知ってビックリ)  旅順の大変貌を見ながら共に発展してきました。2004年に旅順のチェリーに出会いその加工を提案、自らジャム作りに取り組み去年からはチェリーワインやチェリービールにもチャレンジしている」とホラ吹いたのがいけなかった。ルミカがケミホタルの会社だと伝えていなかったのです。

今回の大連市要人の来日はそのチェリー加工事業の為の調査だったのを知ったのは話の後でした。奈良の有名な酒造会社訪問も予定されて他にチェリー薬品やチェリー化粧品開発調査も含まれていました。勢いに任せてチェリー化粧品ならルミカの元化学者K嬢がりんごセラミド抽出の研究もやってるなんて喋っちゃいました。そしたら「ルミカさん是非是非大連市のチェリー事業に協力願います」って事になったのです。

さあ大変です。直ぐに電話して

チェリービールについてはT薬品に執行役員として招請されたA氏に、痛風に特効あると言うチェリー薬はT薬品社長に、そして化粧品は青森の元社員に助けを求める事になりました。

6月に入れば旅順半島はチェリーの紅色に染まります。この6月中にチェリー加工品に用いる色鮮やかなチェリーソースを確保しておかないと来年の事業化に間に合わないのです。

5月22日博識のイケダ君の手引きでA執行役員と大阪のとあるクラフトビール装置会社を訪問しました。ここでも人との有り難いご縁があって早速旅順チェリービールの試作が決定しました。

6月中に旅順チェリービールを作って大連市長始め皆さんに試飲してもらわなきゃ。

5月24日役員会に来ていた東京支店のヒハラ君にチェリービールの顛末話したら「ふむふむ」と言いながら2~3分で下のイカサマ写真を描いて見せてくれました。

新商品なんていとも簡単に生まれそうですね。

しかし実際誰がそのチェリービールの製造を手がけるのでしょう。ルミカは門外漢、それに今はアイパオとアイロッドなんかの新事業で忙しくチェリーなんかに構っておれないのです。

そこで5月17日旅順の哲人張先生を訪ねて「先生いい話ですよ。チェリービール作って下さい。全面協力します」と。そしたら「お前がやれ。何でも協力する」と返され窮地に入っております。兎に角「旅順桜桃啤酒」のサンプルだけこさえましょう。乗りかかった船ですから。

チェリービールの話(その6)

[失敗は成功の母]

ジャムの失敗作の活用にも知恵を絞りました。色が悪い、ペクチンが不足してるなどで破棄するのが沢山出ます。何か活用法はないか思案しました。

由布院農場では生ゴミ発酵に取り組んでおります。その中に色の綺麗な菌体の塊を見つけジャムで培養してみました。春になって近所の農家からヌカを大量にタダで分けてもらいこれに菌体とジャムを水で溶いてヌカにまぶして土囊袋に10kg程詰めて布団に包んで培養するのです。2週間もすると白い菌体の中にジャムを食べて赤くなった菌体の硬い塊が出来ました。これをLMC34菌と銘打って農園や老婆(ラオポ)の庭で使用しています。多分錯覚でしょうが「いい菌だ。分けてくれ」という御仁も現れて配布しております。

湯布院の食堂で発生した生ゴミと発酵槽

出来上がった菌体(主に乳酸菌)

2015年大村智先生がノーベル医学生理学賞受賞されたのは寄生虫によって起こる感染症の治療に有効な菌体の発見でした。バクテリアには無限の可能性があると仰ってます。ジャムのような甘い色の付いた食べ物で菌を培養して色で菌種を選別したりペクチンやセラミドを効果的に抽出するのはどうでしょう。

[農薬バスターの誕生]

結局毎年500~1000瓶の150g入りジャムを知人に配布しました。大変好評でしたが原料のサクランボが中国旅順産と言うのは憚られるのです。中国産の食材は聞こえがよくありません。矢張り中国で作って中国の人に食べて貰うしか策がないのか?それに飢えた農民が欲に任せて農薬やホルモン剤を無闇に使用していたらと思うと心配で最近数年は新たなジャムの仕込みを差し控えております。

そんな中でサクランボに農薬が付着しているかどうか簡単に検出できる方法を見つけました。残留農薬と反応して化学発光させて目視検査するのです。これを農薬バスター発光スプレーでやれば悪質なサクランボを除外できるでしょう。いよいよチェリービールの開発が6月に始まるのでこっそりと残留農薬を検出してみましょう。

グラスの温水洗浄が充分でないと残留農薬や残留洗剤で化学発光が起こって目視できます。

中国産を皆さんひどく毛嫌いしますがこの方法で検査すると私たち日本での身の回りでも残留農薬や残留洗剤が溢れています。例えば熱いうどんの汁をドンブリから喉にかきこむ度に湯に溶けた有害な洗剤(界面活性剤)が胃袋に蓄積されるのです。大手の洗剤メーカー2社に掛け合いましたが相手にされません。ただ一社サラヤのヤシの実洗剤だけが良心的でした。むしろ中国の行政と組んで残留農薬バスター運動やるのがいいかも知れません。そうしたら世界で安心できるのは中国の農産物だけだってことになるでしょう。

[調理法の研究]

いよいよチェリービール開発に突入します。もうすぐ旅順のチェリーで作ったビールを大連市長や書記に試飲して貰う事になります。6月に入ったら旅順に飛んで鮮やかなチェリーソースを開発します。それを無色に近いビールに添加する手筈が整いました。

そんな折「食品エアゾール開発」の話を聞かされたのです。極限の色、香り、味のチェリーソースをスプレーから単独あるいは別の材料と合わせて料理に噴射するのです。真っ白い皿に焦げ目のついた黒豚ステーキ。これが鮮やかなピンクのチェリーソースで彩られます。

皆さま。話が長くなって 申し訳ないです。ここで知って欲しかったのはルミカの開発手法は金と技術と時間が掛からない小物ばかりです。勿論男の夢工場を庭の隅かベランダに建てて1人で開発出来る程度のテーマです。

それではチェリービール本題に入ります。

チェリービールの話(その2)

先ずチェリービールの写真から

これは5月16日旅順口区の要人を会社のVIPルームにお招きして開いたチェエリージャムとチェリービールの開発会議の一コマ。

ルミカで博識と言えば大阪支店イケダ氏。彼に頼んで調達したチェリービールを日本から持参しました。

先ずは皆様とチェリービールの知識を共有しましょう。イケダレポートによるとアサヒビールで取り扱っていた「Belle-vue Kriek」というチェリービールは昨年取り扱いをやめてしまったそうですよ(アサヒが作っているチェリービールもありますが、酒屋向けに樽売りしかしていない)

やまや古賀店(092-410-2899)に確認したところ、下記のみ取り扱いがあった。それは

St.Louis(サン・ルイ) Kriek(クリーク)

※同じ銘柄で、ほかに、フランボワーズとペシエ(ピーチ)の種類があるとの事。

写真はこのサン・ルイクリークです。美味しいですね。シャンパンのように仄かな甘みと炭酸のすがすがしさ。何より色が綺麗です。長くチェリージャムに挑戦している中洲だから分かるけどこのようにチェリーの色合いをキープするのは並みじゃない。

開発の目標は今や旅順の農地の9割を占めている数百種類の品種のチェリーから最適チェリーを見つけてこのベルギーのクリークよりも素晴らしいビールを生み出すことです。

大体ですね。中国はそりゃ何を取り上げても世界のトップクラス。しかしお酒だけはいただけません。60°の白酒(パイチュー)で手っ取り早く酔っ払うしか能が無い民族なのです。ここに世界に誇れるお酒が欲しい。日本がウイスキーでも世界のトップに立ったようにね。それには先ずチェリービールだ。これで世界を制覇しようって大連市の要人を前に中洲がブチました。

そもそも中洲が政府の要人に門外漢のチェリービールの講釈を垂れる因縁を開発に着手する前に皆さまに説明しとかなきゃいけません。これって軍平さんが説くように人生にはモノとの不思議な出会い、奇縁があるのです。

その1

15年前我等が村の長城鎮の書記が中洲を鎮の農業試験場に連れて行って日本の山形の佐藤錦とアメリカンチェリー交配の現場を案内しました。

その2

ウチの老婆(ラオポ)は手作業の達人。翌年これを大連に連れ出してチェリージャムを作らせました。

その3

中洲は真空蒸留方式でチェリーの色落ちを防ぐアイデアを思い付き化学屋のヤマテをそそのかし研究室の高価なエバレータを失敬し一連の生産方式を確立しました。

その4

「大概で止さんかい」老婆(ラオポ)の叱責に堪え開発続けてチャンスを伺うこと12年。イケダが最重要の取引先のA執行役員を旅順に引っ張り出したのが昨年のチェリー真っ盛りの6月。この役員との間で食品の新ビジネスを立ち上げようとの秘密のプロジェクトが発足

その5

米中衝突から中国行政は国内産業育成強化に舵を切り大連からも市長の使節団が日本に乗り込んだのが今年の4月末。お偉方を前にして中洲がチェリー節ブったら冷旅順区長に大受け。

その6

瓢箪からコマとはこの事。冷区長に全部で5件のチェリー加工プロジェクトを仰せつかって中洲奔走するハメになったのです。

その7

ここは旅順の哲人張さんに責任を引き受けて貰おうと5月17日出掛けたら「お前がやれ。ナンボでも応援するよ」更に「哲人新開発の納豆菌健康飲料もチェリーソースで作ってはどうか」って新たな魅力的なご提案。

実はアッコの謀略で一年着手が早まったアイパオ開発上市。それも魚植共生とやらで2000匹のサクラマス稚魚の世話で現在絶望の淵に立たされているヒメノ隊長以下の開発チーム。これにチェリーが加わったら暴動が起こるでしょう。ここはイカサマ師中洲士郎ブログの日付を操作して「戦艦ポチュムキン」宜しくぜ~んぶ記録に残します。

チェリービールの話(その1)

 

皆さますっかりご無沙汰致しております。と申しましてもこのブログにお付き合い頂いております方の数が少ないのが幸いです。

駄文でも書いてみて少しわかるのですが日本語って本当に奥が深い。まさに明治から世に出んとする無名の作家達が飢えの中で生み出した言葉の宝石の数々。どれひとつ拾い上げても中洲の遊びの文章では到底太刀打ち出来ません。それでついつい文章が書けなくなってしまったのです。それでも「文を読んでもらう為じゃない。書いておきたいから書くのだ」と思い直して大連のホテルの一室で机に向かっております。

中洲士郎の自宅の4畳半の書斎と言えば聞こえがいいが部屋の壁中は家族の溜めた本で埋め尽くされた本の捨て場所であります。それでも時々チェックしてみるとこの60年中洲が読んだのはその内の1割にも満たず、老い先考えると気が重くもなります。先日の夜中意を決して一冊を取り出すとそれが瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」でした。読み始めるとこれがまた面白い。そこには近代文学史を担った作家たちが素顔で息づいております。それに寂聴さんって本当に言葉選びが秀逸で表現にウイットがあって筋立ての随所に仕込まれた「落ち」が実に美味しいのです。

生きるってのは人との出会い。死ぬってのは好きだった人達との再会。そんなことを言って序文から読者を引き込んでおります。

出会いと言えば中洲士郎今回の5月15日からの大連出張の出鼻からショックの連続です。福岡空港でエアチャイナの出発間際、ラウンジで卑しくタダ酒一杯引っ掛けてトイレで用を足してそそくさ出てきたら若い男が中洲に向かってにっこりしています。多分知り合いなのだろう。彼に笑顔で応じながら急いで似顔の符号を開始しました。「何だ。俺の息子じゃないか!尾道から何でこんな所に」ドギマギして挨拶もそこそこに彼は同時刻発香港行きに中洲は大連に向かったのです。やっぱり老婆(ラオポ)言うように認知症が心配になります。

機中でアイパッドを開くと偶然にも息子が「読んだら?」とKINDLEに残しておいた「任天堂ノスタルジー横井軍平とその時代」が目に止まったのです。この本を読み通すうちに思いに浸らされました。確かに生きるってのは寂聴さんが仰るように全て人との奇縁ですが軍平さんを読むと同じく大きいのがモノとの出会いなのですね。ふとした縁でそのモノに出会わなければ違ってしまった筈の人生の面白さと怖さ。そんなお話でした。

人って誰もが「自分って何だろう。何故存在するのだろう。自分の存在意義って何だろう」って思いが川面の泡のように湧いては消えて行くようです。そんな時に偶然ある人の生き様を識って人は自分の存在理由に確信が持てるのじゃないかと思います。

今回中洲士郎もその一人になりました。横井軍平その人の商品開発人生に「やっぱりそうだ」って確信を深めたのです。そして本当に下らないかも知れませんが中洲士郎の滑稽な開発物語でもどなたかお一人の読者の共感が得られていればそれもブログの存在意義かも知れないと・・・。

老人の小便のように随分と長たらしい前置きになりましたが今回は「チェリービール」というきっと美味この上ない開発の話を仕込んでみます。ご期待ください。

(参考までに)

横井軍平さんのヒット商品をご紹介したいのですが転載が禁じられていますので。是非電子ブックでもダウンロードして読んで下さい。

横井軍平社会に出て最初に出したのがウルトラハンド、120万台以上の売り上げでした。蛇腹が伸び縮みして遠隔地のモノを掴みます。な~んだ中洲のBiRodも同じじゃないか。未だ1万台も売れてませんが価格が100倍だから案外いい勝負かも知れないのですよ。