由布農園便り(その36)

お待たせしました。今日はあの奇怪なスッポン茸が引き起こした騒動の話です。

前回ご報告したスッポン茸の柔らかい玉を家に持ち帰り居間のテーブルに置いて忘れておりました。

2日目の朝のことです。玄関口で靴をゴソゴソやってたら老婆(ラオポ)が「大変よアンタ」の声。どうも「大変よ」の音調にいつもの刺々しさがない。「何やね。一体」と言いながら「あのスッポン茸に何かあったな」と少し愉快な予感。

その時手渡された変節したスッポン茸をPP袋に入れて会社に着くやK君達の部屋でグラスに飾ったのが次の写真。(こういう時って爺いの面は古来必ず娘たちが軽蔑する助平面でしょう。だがこのスッポン野郎には憎めない何かがありますね。)

さあそれからが大変でした。何としてでも凄い実写ビデオをモノにしなきゃと由布農園で姫野さんの防犯カメラを設置して会社で観察開始。いや自然の中よりも部屋の中の明るいところでAV撮影だと20個ほどのスッポン茸で失敗を繰り返しながら遂に収めたのが次の動画です。恐らく世界初でしょう。ググったらスッポン茸の学名の意味は世界で最も卑猥な植物だとありました。

確かにグーグルの解説通り由布農園ではスッポン茸が勃起して変な匂いを発射して蠅を引き寄せております。それも生物が選択した進化の過程だとは分かりますがこの異形への変化だけは解せません。「人間の陽物に擬態する事が何故適者生存か?」そこで夜中、例によってアシモフを紐解いて推理することに。

著書「人間への長い道のり」の中、30万年前出現したネアンデルタール人が5万年前新たに出現した現生人類ホモサピエンスサピエンスによって絶滅せられたのが3万年前のことです。多分ネアンデルタール人は闘いが嫌いで自然を相手に遊ぶのが好きだったから現生人にやられたのでしょう。だからスッポン茸を育成したのはネアンデルタール人かな? しかしどうもこの茸には日本人の洒落それも歌麿の世界が色濃くあります。するとやはり現生人が1万六千年前に氷を伝って日本列島に渡り住み平和を謳歌した縄文人の仕業ということに。縄文人が自然と共に楽しく暮らしていた時このスッポン茸の原種を見つけた愉快なひとりの歌麿型縄文人が絵や土偶でなくその茸を面白く選択進化させて後世に残したのでしょう。「1万年後の皆さ~ん。戦争なんかせずに仲良くしてますか?僕が手なずけたキノコ見てやって下さい」とのメッセージかも知れませんね。

それでそのキノコを11月14日9時から15日14時まで30時間タイムラプスで撮影。「縄文人よ。あんたが忍び笑いして残したキノコのエッチなビデオがアップしましたよ」

汗が吹き出る最後まで見なくていいですよ

由布農園便り(その35)

日本の秋といえば紅葉、しかし里山に柿の木が大きく枝を広げ無数の実が色付く景色も秋の行楽には外し難いです。そこで今日は由布農園から柿狩りのお便りをします。

老婆(ラオポ)が自慢した柿の苗木が無事生き延びて毎年たわわの実をつけておりますが代わって中洲も老婆(ラオポ)にも老いが忍び寄って来ました。

今日の由布農園便りはその柿狩りと辛い皮むき作業。これに奇怪なキノコ事件がおまけに付きます。

10年ほど前、やはり渋柿にも苗の選択が重要だとの婆さんの御宣託。信じていませんでしたがその講釈通り農園の柿は「渋」には惜しい伊達振となりました。

家に帰ると干し柿作業が大変です。2週の収穫で都合300個はあるでしょう。皮むきだけじゃなく難儀なのは毎晩の物干し竿の移動です。「雨でも当たればカビが生えてオジャンだぞ」との背後の老婆の忠告の中、無事2週間位経って半熟の干し柿をつまみにして軒先でスコッチ・タリスカーを一杯やったらGOOでした。

1回目の柿狩りの後、農園の相棒の新澤さんが僕を椎茸小屋に引っ張ってクヌギのホダ木の薄暗がりに転がる白いピンポン球を指差します。初めは隣のアスキーの鶏が卵を産み残したと思ったが手に取ると柔らかく小さな根っこが生えておりました。「どうも変なキノコだな。毒キノコかな?」後に起こった事件と考え合わせるとそれは正に「フグリ」の感触だったのです。

2回目の柿狩りの日、その相棒が「分かりましたよ中洲っさん。大分県庁の農政科に持ち込んだら職員たちが参考書をめくって、あった!これはスッポン茸で食用になるキノコですよ」と。それで氏素性が判明した貴重な一個を家に持ち帰ったのです。ところが翌々日の朝、事件が発生しました。

由布農園の話(その34)

今日は又あの「島らっきょう」の話です。土曜日から泊まりがけで農園で遊びました。老婆(ラオポ)は気を利かせてお留守番。

今年の島らっきょうが凄い。真っ白い足が長く伸びてライバルカヤシマ農園のずんぐり丸型を打ち負かしています。顔も平たい美人形。それに葉っぱも青々しくキリリと引き締まっております。

ご覧のように葉っぱも生き生きしてます

この島らっきょう、20年もの間色んな物語を紡いで参りました。しかしここ数年は絶不調の出来でしたが向かいのカヤシマ先生のアドバイスで今年すっかり景色を変えた話です。

先生いわく畑の近くに生えているカヤ(ススキ)を刈り取って小さく切って土にすき込むとカヤに付着した地場の細菌や酵素が土を生まれ変わらせる。しかもそのカヤは畑近くのに限ると。カヤこそは畑の厄介者、何の取り柄もない雑草なのにです。

これを聞いた農園の相棒のニイザワさん、昨春しっかり枯らしたカヤを只で手に入れた細砕機を修理再生しカヤをサイジングして漉き込んでいました。確かに例年とは育ちが違います。空気をいっぱい吸い込んだ土に島らっきょうがしっかり根を張っております。一体全体自然界はどういう仕組みになっているのでしょう。

型がよく揃っています。

縄文の時代から日本人は何事でも研究熱心で仕事大好き民族だったのだと畑の中で実感しました。若者たちがアイパオで田園生活を楽しんで子供をたくさん作ればきっと日本は世界の憧れになりますね。

根を切って薄皮剥ぐとこんなに綺麗です

さて夕食を終えて。毎年の恒例、島らっきょう酢漬け作業での老婆(ラオポ)との一悶着です。何しろ敵はこと食材の加工では天才です。秘伝の引き出しを沢山持っているので平身低頭でお願いするだけ。拒否権発動されるのが心配で文句言えません。一夜明けて今朝瓶の中で揺蕩う美形を試食してオズオズ尋ねました。「あのう少しパンチが足りないようですが」に思案数秒「あっ。そうだ湯通しする前に塩をまぶしておくのを忘れてた」と。敵もやはり年か。畑には島らっきょうが未だ沢山あります。絶品酢漬け沢山こさえて配らなくてはいけません。

酢漬けの完成です。どうです。失敗作ですが美味しそうでしょう。

由布農園だより(その33)

29日の祭日は終日由布農園でガーデニングでした。ニイザワさん手作りの運搬車を借りて石を運び造園です。終わってしっかり疲れて大分自動車道がまだ明るい帰り道。何となくいつもと違う景色を感じながらおまけに疲れからでしょうか、老いた左右の眼のピントが合わなくなってきました。

それで10分ほど休憩しようと玖珠を過ぎ頑張って萩尾PAに入りました。もともとちっちゃなPAですが車が1台も停まっておらずしっかり詫びしい風情です。10分程のつもりが気がつくと辺りには宵闇が迫っておりました。ウッカリ寝過ごしたようです。

目が覚めて駐車していたのは矢張り僕だけ。車道に出ても誰も走っていません。暗い高速道路に全く車影が見えないのって本当に不気味で気が滅入ってきます。筑紫野のインターでETCは2990円とのアナウンス、休日値引き無しでいつもより1000円アップ。これじゃ皆さんドライブも控えますよね。

8時前我が団地の駐車場に車を停めて家までの道すがら矢っ張り人っ子ひとり遭いません。すっかりゴーストタウンでした。

それでも国の指示に素直に従い家に引きこもる世間様を思うと国の無策をののしることが憚られます。そして二酸化塩素のことを吹聴するのも。

そんな暗い気分で食卓に。「なんで休日までこんなに帰りが遅いんや」「仕方ないっちゃ」でした。

鯛釣草(本名けまんそう華曼草)今年は心なし花が小さいようです。

去年右側の美味しい方のブルーベリーが鹿にやられました。今度は柵を作ってモグニゲルを吊るしてヒメノさんのベビーカメラをセットします。モニター見ながら侵入した奴等をドガワセンサーで追っ払います。

何なら皆さんもスマホ見ながら遊ばれますか?そうだお子さんと一緒に遊んで将来の農業発明家を育成しますか。

シェルターに放り込まれたカブトムシの幼虫です。決しておとなしくありません。

由布農園便り(その32)

コロナウイルスにやられっ放しの市街から一歩郊外に出ればそこは春爛漫、何処も桜が満開に咲き誇りウイルス騒動の気配がありません。

4月4日土曜日は由布農園で終日ガーデニングでした。昨年11月に母親中洲若子の七回忌を終え(格好つけてるけど法事は全てラオポ老婆任せでした)、今月10日は若子の誕生日、あの身体じゃ到底無理でしたでしょうが生きていてくれたら94歳です。きっと桃の花と水仙が咲き誇る今日の由布農園を楽しむことでしょう。

そこで今日は若子の小さなロックガーデンの手入れをすることに。そこは少し斜面で花の生育ももうひとつですから瓦で土留めして盛り土することにしました。

堆肥場を掘り起こすとカブトムシの巨大な幼虫がウジョウジョ出てきます。傷つけないように掘り上げるのに難儀しました。隣のアスキーのしつけの悪い鶏の餌食になるのが心配だからカブトムシのシェルターをこさえるのに・・やれやれ1時間の浪費です。

廃瓦でうまく作りました。この次デッカイカブトムシの幼虫ご覧に入れます。

やっぱり休日は農作業に限ります。コロナも心配ありません。天気が良ければ言うことなしなしです。

実はこうやって桃の花にウラウラしちゃおれないのです。新型コロナウイルスが収束どころか拡散の一途。世の中大変なことになって来ました。

例のアイパオクリーンルームが未だ完全じゃなく一週間ずっと朝から晩まで二酸化塩素をいじくっておりました。

今日は束の間の由布農園の休日、明日の日曜日には何としても皆さまにクリーンルーム完成の報告をさせて頂きましょう。

由布農園の昼下がり(その31)

最近はとみに高齢者の運転事故が問題ですね。ウッカリミスが殆どで中洲も毎日身に沁みております。昨日も大きな旅行カバン抱えての大連行きで・・・チェックインしようとしたら予約した搭乗日が間違ってて乗れませんでした。馬鹿さ加減にドッと疲れが出ます。

しかし「これ幸い」と大連でのアイパオ戦闘はオーノ、イワモト、ヒメノに託して今日は朝早く会社でサクラマス達の世話をして由布農園に駆けつけました。

ヤッパリ休日は農園に限ります。アスキーに起こされて淡竹(ハチク)の筍狩です。愛車アウトランダーの中で冷房かけてウトウトと幸せなお昼寝に浸り切っていたところでした。

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新澤さんがヒロコさんの為に里芋植えてます。

しつけの悪いアスキーの鶏たちが直ぐに畑の畝を壊します。可哀想なニイザワさん仕方なく網を張ってました。

それでアスキーがパンで彼らを呼び寄せて連れ帰りました。

田んぼではニイザワ小屋で育った合鴨の雛が今年も健気に水を掻いております。

新築中の中洲別荘。由布岳を背景に現れる勇姿と共に中洲のヘソクリはどんどん減ってしかも支配権は中洲の手から離れようとしているのです。

帰路、お魚用の200Lの水を揺らしながら大分道を走って夕飯に急ぎました。

由布農園だより(その30)

先週は大連でしたので2週間ぶりの由布農園です。

由布農園も汗ばむ暑さでアスキーの鶏達はルミカ農園のあちこちにで土を被って体を冷やしております。田んぼには 水が張られて田植えがそして合鴨の雛達が出陣間際でした。

収穫の本命は島ラッキョウ(由布院エシャレットに改名)、これにニイザワさんの玉ねぎと中洲パオで育った貧相なジャム用イチゴでした。魚植共生でサクラマス達の水温を13℃に抑える為にカルキの無い氷を確保しなきゃ。それで愛車で200Lの井戸水運搬も本日のTODOにリストアップされておりました。

来客がありましてね。退出されてから日暮れまで時間との勝負。農家ってのはその日その日の予定があって毎日時間との闘いなんです。

2002年4月に10数本で始まった島ラッキョウ事件が遂に感動のうちに最終章です。ニイザワさんもアスキーも中洲の島らっきょうに感嘆絶賛でした。本当に凄い。親元の沖縄伊江島産を超えてしまったのですよ。

原種をネットから拝借。もっと脚長の美人ラッキョウにするのが15年間の夢でした。

全部型が揃って、しかもずっと脚が長い。葉っぱの太さ勢いが他所と比べ物にならん。今年も頂いたお歳暮のお返しで老婆(ラオポ)にうるさくせかされて必死の皮むきでした。31日には東京支店でのBBQ大会に招待されているので大量に持ち込みましょう。

アスキーんちのポリスブラウン「愛ちゃん」まで試食に来ています。

根が深く強く張ってます。今年の畝は3回足で土を上げました。土が良いですね。秘訣はLMC34菌と鶏舎を掃除して失敬した良質の鶏糞のすき込みでしょうか。

本当に悠長な中洲別荘の建築現場。昨日から組立が始まりました。これから毎日姿が現れます。乞うご期待。

アイパオの話(その27)

夜中。アイパオの行く末を思案するうちに例のセグチ女史のメッセージを思い出しました。

「アイパオを世界で流行っているグランピングに展開するのはどうだろう」です。

日頃一目置いている彼女の透察力と着想、それを1ヶ月も経ってふと思い出してネットを検索しました。「グランピング??」「これだ!!面白い」それに先日手に入れた三菱の中古PHEVアウトランダーと組み合わせれば最高だ。

低層アイパオを4WDSUVに積み込んで走り回って清水の湧き出るところにグランピングアイパオ(長いからグランパオだ)を建てて温水シャワーも有る快適な電化生活を始める。誰もうるさいのが居ず漢詩を読んで音楽聴いてコーヒーにシングルモルト入れて小川軒のレーズンサンド食べて時折屋根から突き出したBi見逃サーズで野生動物を観察、海のそばならこっそりサザエを摂って壷焼きに舌鼓。夢が膨らむ膨らむ。

夜が開けるのを待って由布院に向かいました。グランピングの現場調査です。アスキーが奇声を上げると例の合鴨達がお尻をフリフリ隣から走って来ました。ビデオでお終いに映る小屋は忙しい中でニイザワさんが合鴨たちにこさえてくれたアイパオです。

合鴨と遊んでアスキーに相談したら近くのグランピング宿に連れて行ってくれました。彼はもはや由布院塚原の生き字引です。

インデアンの住まいですな。

親切なおやじで色々教えてくれました。

①テントはスエーデン製で高価。地面と布製テントの湿気が悩み。あんまり住めたものじゃない。

②日本中簡易宿所としてドンドン広がっているが衛生面で問題になるかも知れない。

話を聞くうちにグランパオに限ると確信。

説明終わって、「夜毎鹿達がねえ。大切な苗木を嚙り散らかすんでそれが悩みよ。日本中そうよ。何かいい方法ないかなあ」そうだ。「モグニゲル」を改良して「鹿ヨラズ」を開発しよう。1本100円なら誰もが買ってくれるに違いない。

アイパオの話(その19)

昨日10日は爽やかな日本の秋晴れの中一路由布農園へ。幸せを噛み締めました。

農園では新沢さんが育てた里芋、生姜、そして菌を打ち込んで1年半遂に立派な椎茸が薄暗いアイパオの中で大きな傘を付けていました。

老婆(ラオポ)の渋柿。去年は収穫が早すぎたと老婆(ラオポ)に散々文句言われたので今年はまだしっかり熟らしております。

後ろがアイパオの椎茸小屋です。

大きな立派な椎茸にもうビックリ。家に持ち帰り一個だけ老婆(ラオポ)とバタ焼きして食べました。もう悦楽でした。アイパオ様様です。

12日大阪のお客様に届けます。

桑野さん宅の見事な紅葉。これを見て牛小屋を断念。人間の住む家に変更しました。

リックの家の紅葉。一昨年のように青が入った七色にはなりませんでした。

モグニゲル

モグラが退散したのは5m四方位の狭い範囲です。次回更に詳しく効果を調べます。

今日は足早に由布農園とアイパオの報告でした。

アイパオの話(その7)

最近はウイスキーにはまっております。一年前知り合った「タリスカー」から今度は「オーヘントッシャン」です。いずれもスコッチのシングルモルトです。量が過ぎるとやっぱり朝お腹が重く感じます。

そういう時はいつかもお話ししましたが韓国家庭料理でスープに飯の入ったククパップが一番です。中でも棒鱈(たら)のブゴククが最高。スーパーで開いた鱈の塩漬け乾燥品を買って先ずオーブンでこんがり焼き塩抜きしてほぐしスープを作ります。これに大根の短冊、薄揚げとトーフを入れて煮込みます。焼きあごと同じく冷水に一晩浸けて味を出すのがいいのかもしれません。たぎったら少し硬めのご飯を入れて出来上がり。中洲の家族はみんな一様に不味いと不評だから由布農園で一人で作って食べます。

由布院農園には結構見知らぬ来客が多いのです。農園の前の農業水路の土手を歩きながら「何をなさってますか?」の声には大抵「遊んでます」と答えますと「へえ遊んでいるのですか?」と怪訝そうです。

10年ほど前の年の暮そうやって「お邪魔してもいいですか」に「はいどうぞ」と、この時は男女のふたり連れを招いたのです。6角形の小屋「SOHO1号」なんか覗いて「まあ。アートですね」なんてキザなこと言ってます。

お昼ですから例のスープ飯が余るので勧めると大層気持ちよく「美味い美味い」の連発。こちらも気分良くなりました。忙しいので早めにお引き取りいただきました。

翌年の正月会社に礼状が届きました。農園入り口のルミカの表札見てでしょう。内容は「ルミカ社長様。御社の由布院の農園に突然お邪魔しましたが大層親切な管理人さんに昼食をご馳走になりありがとうございました。どうぞあの管理人さんを大切にしてください」と。

「中洲はやっぱり見かけ悪いんだな・・・」

トンマな差し出し人は東京の木場フィットネス佐々山ミキとありました。木場なら東京支店からも近いし半年ほどして面白半分に訪問し東京出張時にはそのワンコインフィットネスに通うようになりました。

会社の常務もここに通ってミキさんのアドバイスをまじめに受けて物の見事に体質を改善したのです。

フィットネスコンビニ店経営のかたわら老人相手のソーシャルワークに精を出すそのミキさんですから東北震災救援にはじっとしておれません。

その彼女3月28日の夜青森の八戸に向かって借りたワンボックスを勇躍飛ばして行ったまま消息がありません。大丈夫だろうか。

4月1日ミキさんから次のメールが入りました。

連絡遅くなりました。

皆様からお預かりした物資を届けて、昨夜2時ころ無事石巻より戻りました。心配してくれるメールもたくさん頂いていたにも関わらず、連絡が遅くなり申し訳ありませんでした。

肉体的・精神的な疲労もさることながら、私が現地で感じたこと・体験したことをまだうまく言葉にまとめられずいるうちにこんな時間になってしまいました。

まず何よりも先に、今回ご協力・ご支援頂いた皆様にお礼の言葉を述べさせて頂きたいと思います。本当にありがとうございました。私個人の力では決して成し得なかったことです。

それから、バタバタしていてせっかく頂いたメールにマメに返信できなくてすいませんでした。

今回私たちは29・30日と2日かけて石巻と女川、牡鹿半島の一部を回りました。

連日テレビやネットを通じて被災地の状況を目にしていましたが、実際にこの目で見た現地の状況は想像を遥かに上回るものでした。

この2日間で私はたくさんの人に出会い、たくさんの絶望と悲しみと、そのさらに奥にある人間の強さと優しさと生への欲望を目の当たりにしました。

その場に行かなければ、その人たちと触れ合わなければ知り得なかった事が本当にたくさんありました。肉体も精神もこんなに削った経験を生まれて初めてしました。

そして今回皆様の協力を得てそれらを知る機会を与えて頂いたこと、本当に感謝しています。

また今回ご協力頂いた皆様に私の経験したものをシェアするとともに、今回の活動のご報告を兼ねて、現地で私が得たことをまとめて近日中に公開したいと思っています。ちょっと時間がかかるかもしれませんがお待ちください。

街が、そこに暮らす人たちが元の日常を取り戻すには途方もない長い時間が必要になると思います。

これらを公開することが今後の息の長い支援に結びついてくれることを切に願っています。

2011年3月31日

本当にありがとうございました!