何気ない一日(その89)カジワラ君の話(その3完)

「ま~だ大昔の高校受験のこと言っとるのか。未練がましい」と老婆(ラオポ)の罵声が聞こえるようです。しかし敢えて言わせてもらうとこれが世間で出くわした最初の不合理と逆境だった事。そして分かったのは生きてる間、それらが身辺に満ち満ちていた事です。

それらの悪魔の軽いモノは切り返しの技で、重いモノは秘剣を編み出して仕留める事です。自慢じゃないが中洲は会社興して只今14回目の理不尽に立ち向かっております。逆境もショッチュウだとゲームみたいなもので面白いです。

社長なら何でも面白いと言えても会社内で無意味な人事考課にさらされ忖度を強いられるなら社員は本当に不幸です。それは社員の力を削ぎわざわざ会社の倒産を早めているわけですから社長は泣くに泣けません。中洲に第14番目の不合理をもたらす霞ヶ関こそその極みでしょう。官僚のコロナ対策の不作為で国庫も国民も疲弊しきっております。そこには忖度だけあって競争と倒産がないから尚更タチが悪いと感じます。

新製品新技術開発の夢を見てそれを形にしその形をビジネスにする作業ほど面白いものはありません。もしも厚労省から新型コロナ終息の方策がアナウンスされるなら一瞬にして世の中が明るくなり日本の官僚の志の高さを世界に誇れるでしょう。二酸化塩素にこそ解決の鍵がある事は厚労省は知っているはずなのに。

身を置くグループが開発魂に満ち満ちていたら毎日がどんなに素晴らしい事でしょう。残念ながら中洲が最初に奉職した会社は他人のフンドシで相撲を取ることを信条としていたので当時、記事に見る本田宗一郎が尚更経営者の理想と映りました。ホンダで働けたらいいなあと。

その後「開発こそ命」として起業した中洲、20年ほど前、しゃれた言葉を見つけました「我々はホンダに採用して貰える力量がなかったから我々のホンダを自分達で作ろう。本田宗一郎もきっと誉めてくれる」と。勿論社内での拍手は皆無でしたけど。

ホンダのHP見ると大きく本田宗一郎直筆の大書「夢」がありました。初志を貫いた同志カジワラ君、あの後の60年、忖度のない夢追いの日々を過ごしていてくれていたらいいが。

ホンダのHPからお借りしました。素敵です。

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何気ない一日(その88)カジワラ君の話(その2)

中洲士郎1959年春久留米F高校入学。そして最初の事件が5月1日佐賀県基山の大興禅寺つつじ祭りの遠足で起こりました。春爛漫の中、F高校を志望した若人達は皆ウキウキとしてこれに参加したのでしょう。中洲はといえば心の中真っ暗で泣けて仕方がありません。とても遠足なんかに行く気分になれずサボる事にしました。中学時代なら必ずサボリの相棒がいて一緒に映画館なんかに行ったのでしょうが。初めての一人ぼっちのサボりでした。

大興禅寺のつつじ祭り。HPから借用

翌日のことです。突然、(確か)4名がM体育教官から呼び出しを受けました。木造のボロ校舎の裏手にです。4人はその時初めて互いを仲間と知りました。その一人が背格好良く色白の美少年でそれがカジワラ君だったのです。あとの二人は顔が思い出せずただオズオズしていた記憶しかありません。

浅黒く目つき鋭くちょび髭を付けたM教官が昨日のお祝いの遠足をサボった行為が断じて許せないと大声を出しました。先ず影絵のような2人が平手で殴られました。可哀想に「お前達は補欠入学じゃないか」との罵声まで受けて。次にカジワラ君には別の罵声と平手打ちが飛びました。次は多分顔面蒼白の中洲士郎。ヤバいぞブタれるな。と・・。M教官が少し大きめの黒い教官手帳を開いて「中洲か。君の入学の成績は優秀だった。しっかり頑張っていい大学に入れ」と。それは余りにも理不尽な処置ですので3人とも大層悔しかったでしょう。

そのあと放り残された4人、涙ながらに話し合いました。中洲がどうしてF高になったかの「モグリ入学交代劇」の悔しい話を聞かせてやりました。

カジワラ君の経緯はこんなでした。確か浮羽町からやって来たという彼は中洲と違って田舎中学の優等生で女生徒に大変もてたようです。ところが彼女達にいい格好して「な~に俺だってF高校位通れるぞ」って放言したのが災いして挑戦する事に。結果はその浮羽の中学でただ1人栄誉の合格。それで意に反して県立やめてF高に入ってしまったらしい。だがF高は男ばかり。体育部はなく好きな野球が出来ない。それで面白くなくて腐っていたと。親父は町の有力者だから「何とかしてくれるだろう」とも。相談できる親父がいる奴は羨ましいな。そこでの話でF高生なら普通高校に容易に転校できる事を初めて知りました。「だが修猷館は絶対無理だ」と確信。つまりまたあの受験勉強か?自分だけ不公平にも平手打ち受けなかったズルい喜びとも相まってF高に残留する気分に傾いて行きました。もしも平手打ちを受けていたら多分退学の腹が決まっただろうに。入試の成績よかったと言っても60番かそこら、「来年修猷に再挑戦して必ず受かるという保証もないしなあ」そうやってその後の妥協の人生が始まったのです。結局3人はF高を退学して普通高校に転校したのでしょう。再び姿を目にすることはありませんでした。

一座の同窓生達にとって感じ入る話じゃありません。しかしこの話をした後思い出が湧き出て来ました。

吹っ切れて手にしたのが岩波文庫のヘッセ等の青春文学。授業はそっちのけで耽読したので成績良いはずありません。予習して授業に熱心な他の生徒達からはぐんぐん離されて行きます。

好きな授業と言えばは唯一漢文の大石亀次郎先生の朗々と詠じる唐宋の詩賦でした。先生とは下校が何時も西鉄久留米駅まで同じバスでした。そこでは決まって「皆んな~、後方までよく整列して~」と明るい声を響かせたものです。思い出が続きます。

大石亀次郎先生。この先生に出逢えました。

そしてそのバスではアッちゃんの兄ヨージョさんと一緒になりました。小学校の時と同じく士郎にはすごく尊大で「な~んだ(修猷館じゃなくて)F高か」こちらも全員優秀なアッちゃん7兄妹の中で「(九大医学部じゃなく)久留米大学の医学部だったのですか」と返すとお互い少し気まずい空気です。ヨージョさんは勉強は苦手だったが遊びは凄かった。小4の時既に蓑笠被ってプロ釣り師の出立ちで渓流釣りに精を出していました。ある時腰に付けた魚箱のヤマメを士郎に見せてくれました。銀色の脇腹に虹がかかったそれは美しい魚で見惚れたのを覚えています。何かにつけて敬服しておりましたそのヨージョさん、今は棒術に凝っているという。彼のことだから恐らく大層な達人なのでしょう。とても無骨な男だったから女々しくアッちゃんの消息聞く勇気は遂に持てませんでした。

結局母親若子に経済的負担をかけるだけでロクに勉強せず少しばかり漢文とヘッセを読んで近場を放浪しながら3年の歳月が流れていきました。ヘッセの話とはほど遠く、士郎は美青年ではなく楽器も出来ず従って美貌の娘との出会いも皆無の3年間。はてさてあのカジワラ君のその後はどうなったのでしょう。

何気ない一日(その87)カジワラ君の話(その1)

5月30日の平日の昼間に高校の仲間の集いがあり仕事をサボって参加しました。半数の10人位は医者で皆風格がありました。場所は久留米のK医師の自宅の広い庭でのBBQです。

今日は中洲士郎の悲しい高校入学の話をさせて貰います。中洲は貧乏の母子家庭で修猷館九大以外に私立などの選択肢は有りませんでした。それが人生最初の競争に敗れてのF高校進学。

高校巣立って60年の仲間たち

そもそも親友のシオカワ君が「F校というのが久留米にあって難関らしい。試しに受けないか」との誘いに乗ったのが狂いの始まりでした。共に何なく受かったけれど公立受験日が近づくにつれて不安が頭をもたげて来ました。実は中洲、急速充電みたいな受験勉強で本当の学力はついていないのです。結局滑り止めに母親若子にF高校入学金5000円納付を頼みました。そうしたら中学の同級生合格者のうち入学金納めた3名が修猷館落とされてしまったのです。これが挫折の人生の始まりとなりました。私立なんか行けやしない。だから入学金払うのは無意味だと悟るべきだったのです。

他の2人は実家が病院で結局医者になったので賢い選択だったのかも知れません。中学の友達は中洲を残して皆修猷館に合格して歓喜の日々の中、不合格の中洲を顧みるもの誰もいません。唯一、若子の旦那が高校にかけあって「士郎は入試の合格点は取っていた」と。士郎を慰めるための優しい心遣いだったのでしょう。

落胆の登校開始の中、授業料と通学費で若子の負担が重く出直し受験にも思いが走っていました。ここは心機一転3年後の九大挑戦に頭を切り替えるべきところでしたがそれを諭す親も先輩もいません。実を言いますとアッちゃんと同じ高校に通って九大狙うのが夢だったのです。その後の風の便りでは才色兼備の彼女、男子生徒達の憧れで全校トップの男子生徒と恋仲になったとの噂、そんなのを目の当たりにしなくてよかったとも。まあそんなんでいじけた高校3年間でした。

その暗い高校生活にあって友達は皆誠実で優しく学業も中洲士郎より優秀で尊敬しておりました。その後の人生で不本意と思っていたこの高校3年間が静かで尊い日々であったことと得心する事になります。そんな思いがよぎる中、高校出て60年、戦いの日々を勝ち抜いて功なり名を遂げた筈の友人達を嬉しく眺め回していました。

社会に出てまともな道を歩かず未だに泥沼で悪戦苦闘しているそんな中洲の姿を「羨ましいな。定年がないし。国立大学医学部の教授をしていても定年迎えりゃ只の浪人。私大にポジション得るのは有力者の引きが不可欠でそりゃ忖度の辛い人生だった」とも。そして「耳にする訃報の数々。3年後平均年齢まで生きりゃ同輩の半分はこの世にお別れしてるんだ。こんなもんで人生のゲーム終了か?」とも。死ぬまで忖度しての猟官運動とは。側から見る威厳のある人生と実態はかなり違いがある。同窓という仲間意識が素顔を見せて本音をさらけての束の間の楽しいひと時です。

「誰かカジワラ君ってF高入学してすぐに辞めた生徒覚えていないかい」これも医者のM君の声が耳に入った。一様に「そんな子いなかったよな」その時中洲の脳裏に鮮やかに蘇ってきたものがある。(あの時のあの生徒、確かカジワラと言ったな)そこで「中洲が知ってるよ」と。一座の好奇心に満ちた眼差しの中でカジワラ君の話をすることになりました。

花塩

博多の中洲と言えば歓楽街の代名詞。その那珂川の川べりに人形小路と呼ぶ路地があって十数軒の主に居酒屋が静かに軒を連ねております。中洲若子の店赤ひょうたんはその人形小路の入り口にありました。

中洲士郎は独立起業の夢に燃えてよりもサラリーマン人生の先が見えて尾羽打ち枯らしての帰郷でありました。母若子の店の軒先1坪を借りてケミホタル起業迄、握り飯を売って何とか雨露をしのぐことに。立ち飲みコーヒーも置きました。

隣のロクさんや川田の女将さん達が店の客が入れ替わる8時頃になると路地の暗がりから姿を出し「元気ね」と声を掛けてくれます。店は格好のコーヒーとタバコの休憩場所になりました。その一杯のコーヒーに50円を浪費して士郎を援助する常連客に割烹「一富」の大将がいました。小さな店で丁場では女将と二人、「もう息が詰まったあ~。たまらんばい」とその表情から読み取れます。人形小路で大将って言えばだいたいこの親父です。小柄で口数少ないが何時も優しい笑顔を真っ白の割烹着で包んでおりました。

ケミホタルを旗上げして赤ひょうたんを飛び出した後、時折「かげやま」と「一富」に顔を出しました。数年して一富では青年が一人板前の見習いとして加わります。板前には少し心許ない紅顔のその青年を大将が「倅だが・・・」と。「この厳しい板前の世界で大丈夫かな」大将と同じく心配したのを覚えています。

あれから三十年。このコロナで看板下ろす店が多い。それでふとその一富が気になり覗いてみることに。ついでに同僚を誘い出しました。

ネットで6時開店8時閉店とあるので6時少し前人形小路に足を踏み入れプラプラ歩くと一富の店の玄関口に紺色の作務衣をまとった初老の男が屈んでおります。見ると玄関口に塩を盛っておりました。花塩とか言って客商売では開店前のしきたりです。その親父振り向いて「やあ士郎ちゃん」それで「入るよ」って一番奥のカウンターに掛けて同僚を待ちました。

「大将、久しぶりだけど女将さんもう店に出ていないの」暫くして大将が「士郎ちゃん、俺は息子よ。親父も母ももう死んでいないよ・・・」だけど店内もメニューさえも全く昔のあの大将の時代のまんまじゃないか。聞きました。「一富うどん!〆には必ずそうだったよね」「あるよ。二杯か?」小振のどんぶり椀に卵の黄身をまぶしただけの素うどん。何時もの味。丁場の親父は何度見ても大将そのものだが。大将生きているじゃん。

息子が歳を取って親父と生写しになるのを目にする。それって親父が息子の身体に里帰りするからじゃなかろうか。だから一富の息子もそうとは気付かないうちに大将に生まれ変わっとるのだろう。

そしてふと「この俺もあの父親亥蔵の魂を呼び寄せてみようか」と。

アイパオの話(その58)

今日は楽しいお話、野菜船の近況報告です。

カボチャがねえ。船ではご飯が足りないと野菜船の外の茎から根を吹き出して2匹の鯉の排泄物を取り込もうとその白い根を1m程もプールに張り巡らしておりました。蔓は一日で30cm以上も伸びてもう直ぐグランパオを周回します。実が大きく重くなったらどうなるのでしょう。ナスビも頑張ってます。このナスビ可愛いでしょう。前足が付いてて顔は猫みたいです。

ひ孫に自慢する新製品

(その5)周遊型魚植共生アイパオ

写真でご覧のようにグランパオプールにプラダンの箱を浮かべて野菜が育つことが分かりました。そして船の外でカボチャの新しい根っこが鯉からの栄養分を吸い取って凄まじい成長です。これを目にしていよいよ本物の魚植共生に挑戦することに。仕掛けはこんな具合。ドーナツ状の水槽に12個の改良型船、名付けて魚植共生船が塩ビパイプでつながれ液肥と水槽の汚れた水が11艘の魚植共生船内を循環します。水質のコントロールは一艘だけですから管理も大変楽になります。強い水流のドーナツ型水槽で魚達は毎日がオリンピックですね。

一足先に2匹の野鯉がグランパオプールから転居を終えました。「連環の計」の材料ももう直ぐ届くので今週末には回転魚植共生アイパオの完成です。ヒメノさんのトマトに今度は勝ちたいものだ。「なあひ孫よ、社内では中洲以外でこの世紀の一瞬を待ちわびる輩は誰~れもいなかったね」

完成間近の周遊型魚植共生アイパオです。
一日に30cmも伸びるカボチャとルール違反の根っこ
羨ましいヒメノさんの見事なトマト

アイパオの話(その57)

ひ孫に自慢する新製品

(その4)秘伝のタレのカツ重

この前の日曜日次女と孫を連れて由布農園に行く途中久しぶりに「鰻のせいろ蒸し」の贅沢をすることに。

中洲は鰻なら柳川の本吉屋か若松屋に限ると頑として浮気しない方針だった。ところが老婆(ラオポ)が途中、次女の携帯に指示「久留米の大善寺の富松が安くて美味いそこに行け」と。

グルメ中洲の評点は柳川の方が鰻がふっくらしてそれに喉越しの甘味が微妙に違う。ただその差500円が妥当かと言えば微妙なところだ。しかし富松でも「秘伝のタレ」を柳川同様売り物にしてコロナなんかどこ吹く風と大賑わいだ。ザッと見積もっても100名5回転で年3億円の売り上げは固そう。

その昔から農村の一画に宿場町が栄え一膳の飯に数回分の金を奮発して庶民が浮世を楽しんできたのだろう。日頃ケチの中洲もその一人で美味い「鰻のせいろ蒸し」にはだらしなく懐が緩んでしまう。

「う~む。ヤッパリ飯屋だ。秘伝のタレだ」せいろ蒸しを食べながら閃き傍らの次女に持ちかけた。「今度会社の将来を考え平均年齢65歳・ゴクツブシ軍団を引き連れ由布農園でグランピングビジネスの新会社・ぎょぎょランドを創業しようと思う。そこの目玉に秘伝の味を出したい。うちの婆さんのあの秘伝の味のカツ重はどうだろう」と。

そりゃ美味い。今年の4月新入社員の由布院研修で皆に「秘伝カツ重」を振る舞ったが誰もが驚嘆の声を出す。その前夜老婆(ラオポ)がぶすくさ文句垂れながら夜中まで仕込んで2Lのペットボトルに詰めて翌朝中洲に手渡したのが「秘伝のタレ」「これはねえ45年前川崎の元住吉に住んでいた時ウチの前の太郎のおばさん(飼い犬の名前が太郎か?)に絶対に口外しない約束で教えて貰った秘伝のタレよ」と初めて打ち明けられた。

由布農園で新人研修会。手前に見えるのが秘伝のタレのカツ重

次女にその秘伝の由来を声をひそめて聞かせたら「何言ってるの、私もしょっちゅう作って食べてるよ。母さん炊事場に段ボールの裏にそのレシピを書いて貼ってたじゃん」ヤバい。「今後は絶対口外してはならん。婆さんだけしか知らない秘伝のタレのカツ重として売り出すからな」

鰻より美味く値段も安くすりゃきっと由布農園に行列が出来て老兵たちの懐も少しは暖かくなろう。だがこの話の前途は少し危ぶまれるので一応、ひ孫に「今にときめく名物料理の由来」として書き残しておこう。

裸のウイルス(その5)

「東京出張ならこれを忘れんように」「・・・使い古しじゃないだろうか?」続けて「これは新品で、備えの最後の一枚。使い方は針金上に折り曲げて・・」透視心理術名人の老婆(ラオポ)に白いマスクを手渡され送り出されたのが先日の夜明け前。マスクなんて息苦しくむさ苦しいので中洲には一度だけ僅か数分間の着用経験しかないのです。

さて後ほど世間のマスク着用を愚弄するとして,勇んで入った始発便の福岡空港です。人影が異様に少なくしかもどの人もこの人も全員マスク姿。マスク無しじゃ異邦人どころか人非人と侮蔑されそうな雰囲気です。特に若い娘のマスクの上から覗く冷た~い眼差しからそう感じました。

それで止む無く先程のポケットのマスクを掛け少しだけ老婆(ラオポ)の先見に感謝しました。だが不快だから鼻を出してダテメガネ宜しくダテマスクです。

「な~るほどマスクとは自分のツバキが相手にかからないように」とのエチケットグッズなのですね。だから鼻の下着用が正道です。どうせ飛散して来るウイルスは絶対にマスクを通り抜けて口腔に侵入するのですから。

前置きが長くなりました。昨日の布団の中でのリビューです。確かにクエン酸の水滴に乗った二酸化塩素なら眼前のウイルスだけでなくどんな隙間に隠れたウイルスも確実に撃ち落とせます。だが換気と同時に二酸化塩素が風と共に去れば次に侵入したウイルスにとってそこは楽園の筈。だから思案を続けたのです。そして同じくマスクもそうで「ウイルスす~いすい」じゃマズイのです。

『少しは穴が開いてていいから薄いのり状の二酸化塩素被膜が覆いかぶさって所定の時間二酸化塩素ガスが0.01ppm発散続ければ良いじゃないか!!』

「じゃあどうやって?」「噴霧する水滴の粘度を調整するのだ」な~に簡単な事。粘度を少しづつ変えたサンプル10本ほどこさえて例のアイパオの中で噴霧して換気した後の床面の二酸化塩素濃度を測定して適正粘度の配合を決定すればいい。

マスクだってそうです。これも先日のこと。誰か忘れたが会社の女性社員が面白半分に「二酸化塩素香スプレー」で自分のマスク外してシューッとひと噴きしたら・・本当かな?「あーら臭い匂いが消えている」って。中洲は完全に嗅覚失っているから「自分のマスクの匂い」なんて想像付きません。もしもこれが事実ならウイルスシャットアウトだけでなく口臭封じにもなるのです。二酸化塩素は世のマスキングの消臭剤と違って臭いの元を分解するから。こりゃ朗報だろう。「マスクの反復使用には二酸化塩素香」だって。

さてお終いに中洲流美学について。中洲はあの白いマスク姿,特に若い女性たちのマスク姿に我慢ならんのです。そりゃ中洲士郎のような老いぼれに「間違わないでよ、私は老いぼれに全然関心ないのよ」という情け容赦ない意思表示なら分かります。

しかしマスクの上の2つのギョロ目で聞き取りにくい声。大抵の美女も○○と言えば差別用語になるからシコメと言いましょう。まあそれはそれで胸が動悸打つことなく「我が心のどけからまし」とホッとしますが。しかし若い男女2人がマスクして互いにスマホ弄っているのを見ると「サッサと別れりゃ良いのに。それともスマホで会話してるのかな」「アンタねえ。若者にいい世話焼きなさんな」又しても透視心理術の老婆(ラオポ)のため息が聞こえるようです。

裸のウイルス(その3)

アシモフ先生が仰るようにウイルスは半生命の化学物質だから1000倍大きい細菌と違って駆除に大量の殺菌剤散布など不要じゃないでしょうか。代わりに二酸化塩素など酸化力の強い分子で核酸と化学反応させて非生物にすれば済むでしょう。マスクなんか通常では全く効果ないけどこれも手を加えて少しでも役立つように工夫した方がいい。これが前回の中洲の提案でした。

さて今日の仕事はウイルス撃退法即ち感染予防法を皆様と一緒に編み出すことです。

先ず二酸化塩素が劇的にウイルスに効くというエビデンスがどうしても必要です。この課題に中洲士郎この1ヶ月悩まされました。しかもコロナウイルスの検体は厚労省の管理下にあって誰~れも触れません。だから二酸化塩素が効くか効かないか分からないのです。そこで他のウイルスではどうかということで地元大学の農学部にタバコモザイクウイルスでの実験を依頼しております。

しかし最早時間がありません。それでT社S社長発表の別の実験データを活用する事にしました。

 

薬学雑誌2013年133巻第9号記載です。中洲は論文読むのが全く苦手。密閉空間で据え置き型二酸化塩素発生器を用い低濃度でノロウイルスが99.9%死滅するという報告のようです。湿潤の状態が顕著だとあります。逆に乾燥では効かないようです。要するに僅かの二酸化塩素分子が水滴と一緒に空間に浮遊するだけであの怖いノロウイルスだって全て死滅するとの報告ですね。

論文よく読んだら実験のウイルスはノロウイルスでもネコカリシウイルスと言って培養細胞で増殖させた後ウイルスを抽出して二酸化塩素雰囲気の空間に晒しております。

それでも時間が経てば二酸化塩素に殺られております。別の麻生大学の報告書では初期の「二酸化塩素香」を用いノロウイルスの細胞で実験しております。「二酸化塩素」が細胞膜を破って原形質即ち細胞内液を数百万個の二酸化塩素で破壊して核の中に隠れたウイルスの核酸を吉良上野介宜しく召し捕っているのです。これは宿主に潜ったノロウイルスの場合でも二酸化塩素が殺菌剤として効果ある事を示しています。二枚貝に生息しマナ板などに付着したウイルスを死滅させるのにも有効だとの報告でした。

やはりインフルエンザウイルスでもいいから気管支から肺を侵すウイルスに二酸化塩素が有効とのエビデンスが不可欠です。そして引用した2編の論文から二酸化塩素は微細な水滴と一緒に噴霧する必要があります。シューッと速攻してものの数秒でウイルスをやっつけるのです。

この二酸化塩素の凄い発見を追試した報告はないし厚労省も本気でコロナウイルス感染対策を講じる気持ちは無さそうです。使命感責任感のかけらでもあれば隠し持つ検体使って同様のテストを実施する筈です。日本で開発されたが非嫡子児扱いにされている二酸化塩素の劇的な効果が先に海外で認められたら面目失うのは厚労省ですよね。

じゃあこの実験データに即して最適のディバイスを開発しなければいけません。実は中洲主導でこの2年間かけて開発した「二酸化塩素香スプレー」が既に完成しているのです。

スプレー缶には亜塩素酸ナトリウム溶液50ccとクエン酸水溶液が50cc分納されております。これが噴出口で化学反応して二酸化塩素が発生し平均10ミクロンのクエン酸水溶液に乗って密閉空間中に漂い浮遊するウイルスをやっつけます。その作戦の後は0.1mmでもコロナウイルスにとっては巨大な空間である床や壁の全ての隙間に入り込みウイルスハンターになるのです。

次に大事なのは換気と太陽光です。サーズでも何のことはない結局換気が一番大切だったとの報告でした。ウイルスは地球上で一番弱い生き物だから外に放り出し部屋は太陽光で消毒しましょう。次に再度密閉状態になったらS薬品の徐放製品を置いといて空気感染を予防します。壁や床やドアノブなどに新たにウイルスが付着しても先ほど潜んだ二酸化塩素が簡単にウイルスを不活性化する筈です。

 

そこで又計算しなくっちゃいけません。0.01ppmでは1ccの空間に何個の二酸化塩素分子があって何個のコロナウイルスをやっつけるに十分かという計算です。

ClO2の分子量は67で67gが22.4L。0.01ppmは1億分の1%だから空気1ccには18兆個の二酸化塩素が飛び交っているわけ。二酸化塩素はウイルスの百分の1のサイズだから絶対ウイルスは逃げられない筈ですが計算してみましょう。

ClO2が0.01ppmでは1m3に0.03mgのClO2がありこの分子の数は18×10の12乗だから1cmの間には26000個のNaCl2分子、その間隙は385nmとなりClO2濃度が10倍の0.1Ppmの場合はその半分の190nmとなりました。コロナウイルスの直径が100nmだから犬小屋のワンチャンみたいです。図解すると次のように。中洲の計算は多分間違っているでしょうから訂正して下さい。分子遊泳や確率の勉強サボりましたのでしっかり勉強した御仁に後はお願いします。

又中学の化学ですが次亜塩素酸ナトリウムNaClOと亜塩素酸ナトリウム NaClO2の2種類あって前者は厚労省に認可されハイターなど殺菌剤、漂白剤として市販されております。後者は確か未認可ですからまあ雑品という訳。前者は次亜塩素酸水溶液で散布後大層時間をかけて塩素ガスが発生、後者はクエン酸などの酸の存在で二酸化塩素が瞬時に発生します。絶対後者が安全でウイルス不活性化には勝るしクエン酸水溶液はアルカリの滓も中和して汚れ落としには最適です。

そして「二酸化塩素香」はこの2液を分納した世界初の優れものです。だが実験データがありませんからダイアモンドプリンセス号でも使って貰えませんでした。よくよく説明したんですけどねえ。

明日は次の課題に挑戦です。

既に開発終えたアイパオの二酸化塩素実験ドームで「二酸化塩素香スプレー」の噴出時間(量)と空間での二酸化塩素濃度の変化を測定します。その結果人体に悪影響がない事を確認した諸外国の感染研究機関が所持するウイルスのPCR増殖検体で二酸化塩素効果を確認するとの算段です。

この時です。「待て待て~」話を聞いた国立感染研究所の戸山庁舎から突然ラブコールがあったりしてね。そうしたら中洲士郎もみ手を擦ってお上の面前に馳せ参じることでしょう。日本人は所詮「泣く子と地頭」には勝てないのです。

裸のウイルス(その2)

今日3月11日はあの大津波が東日本の太平洋岸を襲った悪夢の日、中洲の愛車だったホンダCRZのプレートナンバーが311、そして我が老婆(ラオポ)の誕生日なのです。家族の誰~れも読まないのを幸いに今晩も少し危険なブログを始めます。

世界中が新型コロナウイルス拡散と経済失速で大騒ぎです。その中でたった一つだけ愉快なのが「濃厚接触を控えよう」言葉の魔術師が縦横に活躍する日本と日本語です。老婆(ラオポ)との間の10メートルの距離感が心地よい日常にあって平穏な心情を揺さぶるのが「濃厚接触」このドサクサに会社の綺麗な娘達に「濃厚接触〜」とハグしたら? ヤッパリブン殴られますよね。

この濃厚接触に対比される流行り言葉が空中除菌であります。この表現の由来は多分我らの快男児T社のS社長でしょう。空間に飛び交うウイルスをスパッと撃ち落とすセリフに消費者が喝采を上げました。そうしたら今日、マスクとアルコール消毒が大好きで他をお気に召さない当局が不当表示だと「魔女狩り」を始めたのです。これは中洲の会社の浮沈にも関わるオオゴトですから泣き言少しお聞きください。

濃厚接触も空間浮遊も基準は相手との距離、そこで先ず中学の化学で学んだ長さの単位、小さい方からオングスストローム  ナノメートル マイクロメートル  ミリメートル を思い出しましょう。小蟻位の1mmを基準に取ればそれぞれ1000万 100万 1000分の1ミリとなります。

新聞にあの新型コロナウイルスの寸法が100nmと表示されてましたのでこれは即ち一万分の1ミリ。結構大きそうです。

ところで品切れで大騒ぎのマスクですがその編み目ってどのくらいだろうか。仮に0.1mmとしてウイルスってどの程度マスクの網にひっかかるものか考えましょう。ウイルスが拡大されて蟻ん子の1mmに達した時マスクの網目は1万ミリだから10メートルに伸びております。上手い具合に老婆(ラオポ)との快適な距離感、且つ面積では我が家100m2の大邸宅に等しくなりました。

我が家がすっぽり通り抜ける網目で一匹の小アリを捕まえられるか?じゃあ一辺が10cmのアゲハチョウだったら網の目は1000mX1000m 即ち1000反 我が由布農園の160倍そんな目の粗い網でアゲハチョウが捕まるわけない。つまりウイルスがマスクにひっかかる筈はないのです。だからわざわざドラッグストアに並んでマスクを買うのは無駄です。じゃあどうすればいいかは後で皆様と一緒に工夫しましょう。

次がアルコール消毒です。コロナウイルスが中洲に代わって我が家の快適なTOTOシステムバスに浸かっているとしましょう。老婆(ラオポ)に隠れて缶ビールを飲んでおります。タリスカーのソーダ割りなら尚更いいです。ここで少しふざけて頭からそのアルコールをかけたらどうなるか。

ウイルスがぎゃーっと叫べば少しは化学反応してるのでしょう。ところがウイルスは気持ちいいだけで本体の核酸には何も化学変化が起こっていません。

しかし中洲は時々この湯船で居眠りするのでウイルスも溺れないように用心しなきゃいけません。

最近とみにテレビが面白くないのはYouTubeのせいだというのを今日初めて納得しました。開発館の前の席の老友ドガワさんがパソコン見ながら「タケダクニヒコが二酸化塩素がいいって」と呟く。そう呟くだけです。それでYouTube 開いて武田邦彦先生のビデオを探し出して観たら・・・それがテレビより何十倍も面白くって一日中仕事サボってしまいました。アルコールもマスクもウイルスにはダメってこの凄い先生も仰ってます。

ネットサーフィンするうちに消費者庁のTwitterに入り込みました。そこには巷に氾濫するインチキウイルス駆除製品の摘発記事があります。中洲の鋭い分析ではコロナウイルスで苦難を強いられ最早ヒス状態の市民の怒りが行政の無策に向かう前に生贄の「魔女狩り」が必要になったのです。

コロナウイルスPCR増殖検体を独占する厚労省の国立防疫研究所は少しは仕事をして国民にもう少しマシなウイルス対策の指針を出すべきなのに。それが出来なければT社のS社長に頭を下げて教えを乞うのです。いや鋭い発想の民間企業と組んで世界に先駆けてウイルス駆除法を開発するのです。まあお役人達にそんな度量があれば日本の未来は明るいのですが。

YouTubeでは魔女狩りどころか更におぞましい「臓器狩りに加担する日本政府」が目に入りました。全部テレビには出せない記事です。日本にも新聞テレビに検閲制度があるのですか。テレビで名前を覚えさせられた加藤厚労大臣という方も中国国民同様にYouTube見たことないんじゃないでしょうか。今夜は臓器収奪のホラーシーンを思い出して眠れないでしょう。「志を失った日本国」として世界中から非難され軽蔑される日がもう直ぐ来るような予感がします。今日のコロナウイルス騒動は根が深いことを知らされた1日でした。次回気を取り直して中洲式ウイルス駆除法を図解説明しますからご期待ください。

 

裸のウイルス(その1)

前回の尿酸の話を中洲ひとり気に入って再びアシモフに目を通しています。アシモフの科学エッセイ集ではどのページを開いても科学の面白い話を「ねえ聞いてよ」ってアシモフさんが読者に迫るのです。

今日のアシモフの話は「これが生命だ」です。シリーズ第1巻「空想自然科学入門」にあります。詳しくは本を読んでもらうとして。

古来科学者たちは生命とは一体何だ、生命をどう定義すればいいのかと頭を悩ませました。

19世紀終盤「微生物病原論」で世界に衝撃を与えた哲人パスツールが引き続き狂犬病の研究をしております。そこから顕微鏡で見えない小さな病原菌ウイルスの存在を予告しました。科学者たちに半信半疑のウイルス説が1931年英国の細菌学者エルフォードがウイルス抽出に成功、1935年米国のスタンレイがウイルスを結晶化したことで決着し生化学が急速に発展するのです。

生物の細胞は核と原形質が細胞膜でしっかり包まれておりその核では核酸が巨大な染色体蛋白で保護されておりました。アシモフはパスツールから始まる極小の生命体の興味深い探究の歴史を紐解きながら「生命とは何だ」の疑問に答えを作っていきます。そしてこのエッセイは「生体の特徴は複製能力のある核酸分子を少なくとも1分子持つ事である」と結論して終わります。

残念ながらアシモフは1992年に心臓病で亡くなってしまいました。ねえ皆さま、もしも博士が生きていて近代社会が右往左往する中、新型コロナウイルスが拡散しているのを見たらどうコメンされるでしょう。

アシモフは何でも大きさの違いを比較します。

中洲もアシモフの例え話に倣いました。

人類が抗生物質で退治出来た細菌に比べてウイルスがその1000分の1だとするなら多分ウイルスは最近老婆(ラオポ)が奮発して我が家に備え付けたTOTOのシステムバスに落としたビー玉みたいな存在でしょう。細胞膜がスベスベの魔法瓶湯船なら全自動で終始注がれる快適なお湯が原形質と言うことになります。それにウイルスの核は94%の蛋白と6%の核酸で構成されておりまして人間の細胞に潜り込む時はその蛋白の殻をあっさり脱ぐそうだからあまり身持ちも良くないようです。結局ビー玉を細胞核とするならウイルス生命体の核酸はガラス玉の中のエアホールみたいに小さく捕まえ難い存在です。

従って細胞に潜り込んだウイルスの核酸を叩くには例えば爆弾で中洲もろとも風呂場を吹っ飛ばしてビー玉を破壊するに等しい荒治療が必要です。だがこのウイルスがふわりふわりと新しい人体を探して裸で空中を浮遊している時や床にへばり付いている時は無防備だからやっつける絶好機です。

アシモフの解説で生物と言っても結晶化できるほど小さなウイルスは化学物質のように容易に化学反応して生物でない物質に変わるのです。だったら新型コロナウイルスと容易に化学反応して比較的人類に害のない化学物質を特定することです。

テレビ報道で解説者の口から出るのはそろってアルコール消毒です。今回の新型コロナウイルスがアルコールとどんな反応するのか誰か実験したのでしょうか。中洲にはアルコールではしゃいだり酔っ払っているウイルスしか思い浮かばないのです。

狙い目は重くて酸化力が強くて人体に比較的安全な気体です。ウイルス陽性の検体を保管する人が実験すれば直ぐにわかる事でしょう。ウイルスならタバコモザイクウイルスで予備実験して貰ってもいい。

当局は医薬品の許認可を偉ぶってやるだけが仕事じゃない。日頃危機管理に取り組み有事の時には危機脱出に果敢に行動し危機が収束すれば再発防止策を講じるのが使命ではないのか。日頃国民に不興を買ってたらこういう時こそ良い仕事をして喝采を浴びればいいのに。頻発する自然災害の時何時もそう感じるのです。中国の武漢の若い医師が新型ウイルスに逸早く警鐘を鳴らしたら共産党独裁当局に拘留されたという話は独裁国家にのみ起因すとは思えないのです。

2011年3月11日中洲士郎は福島で東日本大震災に遭遇。その時の衝撃で「にわか義人」に変身し社会活動の真似事を始めております。悪戦苦闘の毎日です。ダイヤモンドプリンセス号の船会社や大学や武漢市当局へ新開発の二酸化塩素スプレーのリリースを送りつけていますが体のいいお断りの返信が来るだけ。思いの女性にラブレター送ったら振られたので苦心の文章捨てるに惜しく宛名を書き換えて複数の女性に送り付けた若い頃を思い出して楽しんでおります。

さてルミカでは今日も大連の工場で夜中迄二酸化塩素スティックを製造し中洲士郎といえば掘立小屋で老人仲間達とウイルスをやっつけるディフューザーの開発に余念がありません。しかしながらこれが対ウイルス防衛の最前線なら何とも心許ない戦の布陣でありますねえ。