チェリービールの話(その2)

先ずチェリービールの写真から

これは5月16日旅順口区の要人を会社のVIPルームにお招きして開いたチェエリージャムとチェリービールの開発会議の一コマ。

ルミカで博識と言えば大阪支店イケダ氏。彼に頼んで調達したチェリービールを日本から持参しました。

先ずは皆様とチェリービールの知識を共有しましょう。イケダレポートによるとアサヒビールで取り扱っていた「Belle-vue Kriek」というチェリービールは昨年取り扱いをやめてしまったそうですよ(アサヒが作っているチェリービールもありますが、酒屋向けに樽売りしかしていない)

やまや古賀店(092-410-2899)に確認したところ、下記のみ取り扱いがあった。それは

St.Louis(サン・ルイ) Kriek(クリーク)

※同じ銘柄で、ほかに、フランボワーズとペシエ(ピーチ)の種類があるとの事。

写真はこのサン・ルイクリークです。美味しいですね。シャンパンのように仄かな甘みと炭酸のすがすがしさ。何より色が綺麗です。長くチェリージャムに挑戦している中洲だから分かるけどこのようにチェリーの色合いをキープするのは並みじゃない。

開発の目標は今や旅順の農地の9割を占めている数百種類の品種のチェリーから最適チェリーを見つけてこのベルギーのクリークよりも素晴らしいビールを生み出すことです。

大体ですね。中国はそりゃ何を取り上げても世界のトップクラス。しかしお酒だけはいただけません。60°の白酒(パイチュー)で手っ取り早く酔っ払うしか能が無い民族なのです。ここに世界に誇れるお酒が欲しい。日本がウイスキーでも世界のトップに立ったようにね。それには先ずチェリービールだ。これで世界を制覇しようって大連市の要人を前に中洲がブチました。

そもそも中洲が政府の要人に門外漢のチェリービールの講釈を垂れる因縁を開発に着手する前に皆さまに説明しとかなきゃいけません。これって軍平さんが説くように人生にはモノとの不思議な出会い、奇縁があるのです。

その1

15年前我等が村の長城鎮の書記が中洲を鎮の農業試験場に連れて行って日本の山形の佐藤錦とアメリカンチェリー交配の現場を案内しました。

その2

ウチの老婆(ラオポ)は手作業の達人。翌年これを大連に連れ出してチェリージャムを作らせました。

その3

中洲は真空蒸留方式でチェリーの色落ちを防ぐアイデアを思い付き化学屋のヤマテをそそのかし研究室の高価なエバレータを失敬し一連の生産方式を確立しました。

その4

「大概で止さんかい」老婆(ラオポ)の叱責に堪え開発続けてチャンスを伺うこと12年。イケダが最重要の取引先のA執行役員を旅順に引っ張り出したのが昨年のチェリー真っ盛りの6月。この役員との間で食品の新ビジネスを立ち上げようとの秘密のプロジェクトが発足

その5

米中衝突から中国行政は国内産業育成強化に舵を切り大連からも市長の使節団が日本に乗り込んだのが今年の4月末。お偉方を前にして中洲がチェリー節ブったら冷旅順区長に大受け。

その6

瓢箪からコマとはこの事。冷区長に全部で5件のチェリー加工プロジェクトを仰せつかって中洲奔走するハメになったのです。

その7

ここは旅順の哲人張さんに責任を引き受けて貰おうと5月17日出掛けたら「お前がやれ。ナンボでも応援するよ」更に「哲人新開発の納豆菌健康飲料もチェリーソースで作ってはどうか」って新たな魅力的なご提案。

実はアッコの謀略で一年着手が早まったアイパオ開発上市。それも魚植共生とやらで2000匹のサクラマス稚魚の世話で現在絶望の淵に立たされているヒメノ隊長以下の開発チーム。これにチェリーが加わったら暴動が起こるでしょう。ここはイカサマ師中洲士郎ブログの日付を操作して「戦艦ポチュムキン」宜しくぜ~んぶ記録に残します。

チェリービールの話(その1)

 

皆さますっかりご無沙汰致しております。と申しましてもこのブログにお付き合い頂いております方の数が少ないのが幸いです。

駄文でも書いてみて少しわかるのですが日本語って本当に奥が深い。まさに明治から世に出んとする無名の作家達が飢えの中で生み出した言葉の宝石の数々。どれひとつ拾い上げても中洲の遊びの文章では到底太刀打ち出来ません。それでついつい文章が書けなくなってしまったのです。それでも「文を読んでもらう為じゃない。書いておきたいから書くのだ」と思い直して大連のホテルの一室で机に向かっております。

中洲士郎の自宅の4畳半の書斎と言えば聞こえがいいが部屋の壁中は家族の溜めた本で埋め尽くされた本の捨て場所であります。それでも時々チェックしてみるとこの60年中洲が読んだのはその内の1割にも満たず、老い先考えると気が重くもなります。先日の夜中意を決して一冊を取り出すとそれが瀬戸内寂聴の「奇縁まんだら」でした。読み始めるとこれがまた面白い。そこには近代文学史を担った作家たちが素顔で息づいております。それに寂聴さんって本当に言葉選びが秀逸で表現にウイットがあって筋立ての随所に仕込まれた「落ち」が実に美味しいのです。

生きるってのは人との出会い。死ぬってのは好きだった人達との再会。そんなことを言って序文から読者を引き込んでおります。

出会いと言えば中洲士郎今回の5月15日からの大連出張の出鼻からショックの連続です。福岡空港でエアチャイナの出発間際、ラウンジで卑しくタダ酒一杯引っ掛けてトイレで用を足してそそくさ出てきたら若い男が中洲に向かってにっこりしています。多分知り合いなのだろう。彼に笑顔で応じながら急いで似顔の符号を開始しました。「何だ。俺の息子じゃないか!尾道から何でこんな所に」ドギマギして挨拶もそこそこに彼は同時刻発香港行きに中洲は大連に向かったのです。やっぱり老婆(ラオポ)言うように認知症が心配になります。

機中でアイパッドを開くと偶然にも息子が「読んだら?」とKINDLEに残しておいた「任天堂ノスタルジー横井軍平とその時代」が目に止まったのです。この本を読み通すうちに思いに浸らされました。確かに生きるってのは寂聴さんが仰るように全て人との奇縁ですが軍平さんを読むと同じく大きいのがモノとの出会いなのですね。ふとした縁でそのモノに出会わなければ違ってしまった筈の人生の面白さと怖さ。そんなお話でした。

人って誰もが「自分って何だろう。何故存在するのだろう。自分の存在意義って何だろう」って思いが川面の泡のように湧いては消えて行くようです。そんな時に偶然ある人の生き様を識って人は自分の存在理由に確信が持てるのじゃないかと思います。

今回中洲士郎もその一人になりました。横井軍平その人の商品開発人生に「やっぱりそうだ」って確信を深めたのです。そして本当に下らないかも知れませんが中洲士郎の滑稽な開発物語でもどなたかお一人の読者の共感が得られていればそれもブログの存在意義かも知れないと・・・。

老人の小便のように随分と長たらしい前置きになりましたが今回は「チェリービール」というきっと美味この上ない開発の話を仕込んでみます。ご期待ください。

(参考までに)

横井軍平さんのヒット商品をご紹介したいのですが転載が禁じられていますので。是非電子ブックでもダウンロードして読んで下さい。

横井軍平社会に出て最初に出したのがウルトラハンド、120万台以上の売り上げでした。蛇腹が伸び縮みして遠隔地のモノを掴みます。な~んだ中洲のBiRodも同じじゃないか。未だ1万台も売れてませんが価格が100倍だから案外いい勝負かも知れないのですよ。