装置の置き場にも窮し隣のアパートも借りました。ガラスアンプルの製造が始まってケミホタルは一貫生産体制となったのです。
アンプルの首が数ミクロンと極細になっているのは酸化液には過酸化水素が含まれるので発火し易く溶封が難しくそれでガスで一瞬に溶封する為に首を細くしているのです。じゃあどうやって酸化液をアンプルに詰めるのか?真空置換です。常識といえば常識ですが注入後の遠心分離やピンホールの選別も含め課題と方法模索の繰り返しでした。
どんな発明も現物を見れば必ずコピー出来ます。この可燃性液体を封入する超小型アンプルの世界最初の発案者は有田の3人の技術チームでしたが結局彼等には栄誉と報酬が付与されませんでした。いつか機会あれば彼ら3人を讃えたいものです。
極小アンプル製造に携わり先ほどのピンホールフクシン検査も含め会社には沢山のノウハウが蓄えられこれが競合の参入を防いだのです。先発者は先に失敗して問題を修正できますがコピー者は秘密の罠で市場からシャットアウトされるのです。「やっぱりケミホタルや」となりました。
次は大島型のケミホタルから新しい形状への挑戦です。ここは専ら士郎の役割でした。化学液と反応して使えない筈のナイロンチューブを特殊な前処理を施すと使える事を発見し、そのチューブの両端を丸く溶封してワンピース成型にするという誰も思いつかなかった成型方法を開発しました。
サイリュームの発明者のローハット博士もこの成型方法をいたく褒めてくれました。これが現在の世界中の細物発光体の定型となっております。
ぎょぎょライトが完成しました。
相場の格言に「人の行く裏に道あり花の山」とあります。技術開発もそうです。定説であっても疑うか検証するかが必要ですね。
ぎょぎょライト開発は小さなチャレンジでしたが、その頃中村修二さんが日亜化学で青色LED開発でまさに裏道を悪戦苦闘し登っています。その行く手にはノーベル賞が待っていたのです。
さあこの新型ぎょぎょライトを武器に勝利を収めるのです。
ここで当時の会社経営状況を分析してみます。日本化学発光は士郎同様出生に問題がありました。嫡出子じゃないのです。起業とはまず投資家即ちステークホルダーが存在するが日本化学発光ではそこが不明でした。一応資本金300万円ですが原資は大島から粟本に裏で渡された500万円から出ています。その株の大半は栗本とその親族が所有。となるとそれは株主個人の借入金です。
だから士郎は栗本に自分の株の代金15万円を返済しました。(実際はルミナスプロジェクト経費30万円との相殺です)
営業面では大島が仕組んだケミフロート抱き合わせ販売でケミホタルの売上が伸びずパートの給料支払いにも窮しております。保証協会を通してもメインのS銀行は僅か300万円の融資も引き受けてくれません。
滅多に出社しない栗本を捕まえて大島から受け取った金の返済を問うと「返す筋合いはない」独占販売の理不尽を問うと「大島には少しだけ売らせとけばいい」これでは近いうちに問題になるだろう。大島のことだ。栗本を脅すことが起こるかもしれない。ここはどうする。
新しい会社を立ち上げるのはどうだろう。
このような状況ではそう考えて当然だが士郎には不思議とそのような選択肢が起こりません。本能的に「錦の御旗」を担ぐ方を選択します。打算的な選択とも言えます。
ここでは日本化学発光を守るのが正義となると思いました。
そこで事はこう言う具合に進んだのです。
大島に対して現状では会社が存続出来ない。大島の販売能力、販売方針ではケミホタルの普及は難しい。改めるべきだ。それに対して大島は栗本との間で交わした証文をちらつかせます。そこには500万円でケミホタルの販売権を買ったとあるのです。
「実は大島、今度新しい発光体ぎょぎょライトが完成した。それは全ての浮子に取り付けられるし漏れの心配が無い構造だ」大島顔色を変えます。
次に卑屈な笑いで「ちょっとそれを見せてくれないか」
細長い澄んだ飴色の美しい外観から緑の光を発し大島それに見惚れました。
「近いうちにその生産ラインを栗本に開示して彼の反省を促す。それまで他に漏らせば争いが起こる。だから他言は無用だ」と
中洲士郎が大島に釘を刺すが・・・