アイロッドの話(その6)

CP+2019横浜見本市2日目です。

今回のルミカブースのテーマは「宝物探し」

こんな少女っぽい看板に惹かれて1人の男がブースに入って来ました。そしてハタノに耳打ちしておりました。後でハタノが言うに「実は私は河川の河口で宝石(何の宝石かはここでは秘密)を探すのがサイドビジネス。宝探しとBi見逃サーズ。これって僕の秘密を嗅ぎつけたのかと思ったよ。360°水中カメラがあれば川底に光る宝石を簡単にゲット出来そう。是非使わせて貰う。な~に一個見つけりゃ簡単に元が取れるよ」と。

世界一のドローンメーカーDJIとの関係取付に策を講じました。中洲が7年ほど前深圳をウロついていた頃は見本市でも目立たなかったのにご存知の通り現在のDJIは2万人が働く巨大企業。日本にも支社があって多くの日本人がプライド高く働いており中々簡単には商談出来ないのです。

DJI社が昨年暮れにリリースしたオズモポケットはジンバルが付いた超小型スポーツビデオカメラ。すごい新製品で世界の話題をさらっています。このオズモポケットとBiRodがコラボ出来たら面白い。ルミカダイレクトで奮闘中のイシバシが喜ぶだろう。そこで一計を案じたのです。

女性を口説くにはあっと驚かせるプレゼントを用意する事です。ビジネスだって同じ。相手が欲しがるモノを手品のようにサッと出すのです。

オズモポケットの目玉はスマホ接続。ダイレクトは出来ているが有線接続での遠隔操作は未だで勿論防水ケースも完成していない。普通のUSBケーブルでは全く役に立たないのでこの2週間古老ドガワが特殊ケーブルを自作、ヒラタが3D加工で手作りの防水ケースを中洲を喜ばせようと形にしました。

「嗚呼、残念だがまだ動かない」とのヒメノの悲嘆をよそに中洲は執念でこれを動かし会期の間中この遠隔操作に没頭したのです。そして企み通りBiRod4500の先端にオズモポケットを載せHUAWEIのモニターに会場光景を映し出しながらDJIのブースへ参じました。

スローで申し訳ないですがジンバルでレンズが揺れないのとオズモのカメラのシャープな映像をご覧ください。

「あのオズモポケットが竿の先に載って映像が出ている」さあ皆んな大騒ぎ。DJIのブースからは営業と技術の責任者が飛び出して来て「BiRodか!ウチの者たちはドローンよりも便利で凄いって評判だが・・・ウチのオズモがどうしてケーブル操作できるのだ。放送局からも要請があるがどうにもならんかった。それがどうして・・・」

だが喜びは束の間。重大なオズモの欠陥が露呈しました。手元からケーブルで竿先の小さなオズモに給電すると撮影がSTOPするのです。しかも撮影中はカメラの電源がモニターに流れて20分程しか撮影できない。この問題が解決できれば逆に何日でも連続撮影が可能となり強力な防犯カメラが誕生する。オズモの回路とAPPを変更しなければならないのか。難しいなあ。

夕方にはずっとルミカのBiRodを応援して頂いている高松氏がネットに紹介してくれました。

https://creators.yahoo.co.jp/wackys/0300014657

 

アイロッドの話(その5)

11月14日とうとう幕張でインタービー2018開幕しました。若い連中に責任感が育ってくると命令系統に不協和音が起こります。「責任者は俺だ。俺の言うことを聞け」と暴君中洲に事態は悪化。それもこれも原因は皆んな開発の遅れです。

カメラの防水さえ確実に出来ればモニター受注は受けられます。その中で商品の完成度を高めて行けば「開発費を抑えて巨大なBi見逃サーズの市場をゲット」出来るのです。

高精度の360°防水カメラを離れた場所からの簡単操作で録画出来るキットを安価に提供するなら各種現場の問題解決に大きく貢献します。「お客様は本当に役に立つならあまり見てくれには拘りません」と中洲が自説を繰り替えしても若い連中は納得しません。かと言って彼らは技術問題解決には腰が引けるのです。

防水で頭を抱えるヒメノさんと2人京浜幕張駅そばの安くて不味い居酒屋で飲んでグチりました。直ぐにでも深圳の例のポリウレタン加工の会社に行って泣きつかんといけません。開発の胸突き八丁でずね。

「ねえヒメノさん。これさえ解決できれば次は360°IPカメラで水深100m。そうしたらアイパオやろうよ」結局1年間同じこと言ってます。

若い連中のデザインの感性は抜群。だが技術開発には逃げ腰です。

陽射しの中でタブレットを操作したい。要求にシャープに応えたタケウチ君の作品。

大連のジンユイ社長のプッシュで3日で試作させた収納ケース兼暗視箱

アイロッドの話(その4)

「父ちゃんアイロッドやってもカメラに手を出しちゃいかんよ」プロでカメラを回している次女に釘を刺されておりました。それがこの3年カメラで深みにはまっているのです。

開発の狙いはいつも未だ誰~れも気がついていない宝の山を掘り当てることです。カメラが危ないのはライフがすごく短かく一つのモデルが大抵半年で姿を消すからです。2011年GOPRO登場。(パチモノ溢れる)。2014年INSTA登場最初はリコーの360°シータをコピーしましたが2014年insta nano上市。これは中洲提案のUSBカメラでした。(これもパチモノが溢れる)。中洲の次の狙い目は4K360°IPカメラです。

どうしてこうも簡単にパチモノが出現するのでしょう。それは深圳の電気街の華強北に秘密が隠されているようです。パソコンと同じくスポーツカメラなら部品は全部揃います。頼めば直ぐにカタログも印刷してくれるそうです。電子機器では同じ基盤を使っているのでブランド品と性能はほぼ同じで上代は10分の1迄下がります。だからカメラのビジネスはもはや成り立たないらしい。

そうでしょうか。それらパチモノを色々揃えて新しい概念の製品を安く作り上げるのはどうでしょう。更にBiRod専用のパチモノをルミカがこさえればどうなりましょう。Bi見逃サーズは他人が真似し難いパチモノだから独創だと考えます。

今回この「Bi見逃サーズ」上市したら次の獲物は360°POE-IP-4Kカメラです。国産の同クラスなら30万円以上はします。価格は2万円台でルミカ独自の特殊な防水機能を備えます。

BiRod事業を始めて4年中国の深圳に行く機会が増えて時代と技術の変化に目を見張ります。スポーツカメラのGOPROが一世風靡している間に素人でもカメラを組み立てて売る時代になったのです。5年でトヨタはなくなると豊田社長が言ってるのはそう言う事です。トヨタの電気自動車のパチモノが十分の1で売られる時代が来ます。パソコンやカメラと同じく単品販売じゃなく個人事業主が真似できないコンテンツを生み出す事、それが豊田社長が仰る事でしょう。

新幹線深圳駅。2年で開通。

ルミカの次のカメラは12V有線LAN対応ですから水中でも100m離れて操作可能。そうなると50mプールの水底を世界記録のラップタイムでカメラ移動させることが出来るのです。それも一式30万円で。これは中洲のオリジナルアイデアですが実現できましょうか。中国が凄いのは国も後押ししてビジネスプランにファンドが直ぐに立ち上がり10億円位と優秀なエンジニアが結集するところです。INSTAがそうでして中洲も簡単に行けない敷居の高い会社になってしまいました

だからやっぱり次女の言うこと聞く訳には参りません。今日は変に理屈っぽい話でごめんなさい。明日はアイパオの美味しい便りを届けますね。

アイロッドの話(その3)

開発には緊張が付き物。ひとつの開発テーマを追うと次々に問題が起こり問題解決の過程で又新たな開発テーマが吹き出します。もうキリがないから「お前は俺の最後のオンナ」とか言うくだらない歌に倣って「アイパオは俺の最後の開発」なんてキザなこと言っております。勿論新製品がヒットするかしないかは別の次元でして中洲のは悲しいかな大抵見込違いですが。

手許の数ある商品開発の中でBi見逃サーズは11月14日のインタービー見本市迄に完成し販売を開始しなきゃなりません。会社の相棒(アイロッド)達皆んな頑張っていますが遂にカメラの防水で暗礁に乗り上げてしまったのです。

防水と言う技術テーマには皆んな泣かされます。カメラの防水で成功したとこは皆無でしょう。15000円で360°完全防水カメラを市場に出そうと言うのですから専門家は一様に笑います。強力接着剤も有りますが処理に巧妙な技術を要するものは使えません。ここはジェル接着シールしかないと決め打ちして深圳に出張したのです。

11月2日、2年前に知り合ったその会社の工場にお邪魔しました。沢山の種類の接着シールを只でくれた上に工場を詳しく案内してくれたのでもう感激です。生産ラインを見ているうちに手元案件の幾つもが解決できそうです。透明エラストマーポリウレタンEPUと発光体を組み合わせるのです。商品開発では新素材の活用が決め手になるようです。

「空から瓦礫の中から水中から狙った獲物は見逃さない」そんな(中洲の)夢の製品「Bi見逃サーズ」発売間近で遂に挫折寸前。防水が成功しないのです。そもそも防水とは何か?何処かで迷路に入ってしまいました。一年ほど前の事、カメラをコンドームで包む案を思いつき色んなのをこっそりネットで買ってテストするも皆んなダメです。薄い、着色してある、それに形が悪い。相模護謨に行って頼んでもダメだろうと諦めたのです。そもそもコンドームの材料でダメなら新素材を探すべきでした。それがこの深圳の会社では新素材のEPUがあり少量の試作でも即座にOK。防水とは硬いものを柔らかいもので限りなく締め付ける事です。

現場を歩いて緊張しなきゃアドレナリンが出ない。出なければアイデアが湧かない。

即ち「開発は緊張だ」とおもいます。

ウチの深圳子会社の可愛いイー君も一緒です。カメラの防水処理の案件が終わると会議室で相手の材料と技術を利用できる新製品のブレストを行いました。際どい新製品が「光って膨れる逸物」です。これを中洲が中国語、英語、で説明しますがイー君だけキョトンとしています。「バカー・ペンダン」と言って彼の股ぐらを叩いてやっと理解させたら「そんな下らない商品有りかよ」とばかり中洲に侮蔑の目を向けるので一瞬ひるみました。

しかし相手側は喜んで「やりましょう」でした。次の光って膨れるパットもルミキャプチャーも行けそうです。矢張り商品開発は面白くて止められませんね。

アイロッドの話(その2)

息子が父親の高級一眼レフを見て「父さん。こんな高性能機どうせ使えないだろう」と言ってソニーデジカメと交換させられました。

ー実際一眼レフと言う奴は図体が大きく重いしボタンが一杯あって操作を覚えれません。だいたい日本の精密製品は高価で装備過剰ですねえ。デジカメも高級化して丁度WiFiが装備され始めていました。実は中洲はかなりメカオンチでサッパリ転送の意味が分からずに弄りました。「えっ!スマホでカメラが遠隔操作できるんだ。これだっ!雪庇1号に取り付けよう」名前もBiRod (Birds eye Rod)として売り出すことに。

7~8メートル上空から写真を撮るとかなり驚きです。じゃあ誰よりも先に名作をモノにしようと青森の弘前城の桜を撮ることにしました。2014年の春です。老婆(ラオポー)に「どうだ。あの有名な弘前城の桜を観に連れて行ってやろう」と誘い出しました。

何しろ長大竿を支えての花見、いやでも観光客の目をひきます。小道具入れもあるしタブレットでの操作もあって慣れなきゃ独りじゃ無理です。

我ながら惚れ惚れの傑作写真が沢山撮れました。三脚が付いてますので少し離れてスマホを見ながら自然な人物像を撮るのにも便利です。もちろん傑作は人が上空を見上げて口を開けている写真ですね。この弘前行でアイロッドの市場を確信しました。

東京駅でラオポーと別れます。一緒は面倒だし支店に用事もあるのでね。ところが別れ際「ありがとう。桜見に連れて行ってくれて」と小遣いをそれも10万円もくれましてね。完全にこちらの魂胆が見透かされておりました。

誰か銅像を見上げておりますね。

お陰でBiRodは年間2000本ほど売れてジンユイさんの友達の工場は喜んでいます。残念ながら雪庇1号は合計500本ほどで売れなくなってしまいました。だけど別れたあの佐々山親父の発明力は評価しなければなりません。

世の中自分の手が届かない所に誰しも不便を覚えます。脚立も危ない。水の中なら殆どお手上げ。僅かの物好きが物干し竿にカメラやハサミを括り付けて頑張りました。そこで「軽くて便利な長い道具を作れば!」これが発想ですね。「そうだ釣竿がある」これが着想。あの小娘の親爺は立派です。ここまで来たのですから。これからが構想企画設計製造そして新たな市場開発となるのですが。少なくともクランプを取り付けた継竿まで進んでいれば発明者としてBiRodもこの親爺にプレゼントしたのですけど。雪庇1号の事業化にも執拗さが不可欠だと思います。何より目標を共有する仲間が大切ですね。

アイロッドの話(その1)

「中っさん。聞いてよ。ウチの父親も困ったもんだ。自衛官退職して好きな事やってるけど最近発明に凝ってね。何かセッピ落としの道具をこさえて商品化したいと言って家族を煩わせるのよ」チンプンカンプンで事の次第を理解するのに時間がかかりました。「親父も」と言う言葉にカチンと来ましたが耳を貸すことに。

先ず彼女の故郷は青森で一浪して高校に入りどこか東京の私大を出て就職して辞めて独立してコンビニフィットネスをやってる事は知っております。その故郷の親父の話らしい。

セッピというのは漢字で雪庇。東北地方の降り積もる雪で特に年寄りが泣かされる。屋根の雪かきは大変な苦役です。 軒先で凍った大きな氷の塊を雪庇と言ってその雪庇落としは危険極まりないらしい。これを落とす為に毎冬幾人もの死傷者が出るとのこと。

そこでこの娘の親父が考案したのが8mの竿にロープを付けて軒先の氷を一気呵成に切り落とすものらしい。その名も「雪庇カッター」

生来の物好きの中洲。「よ~し。ひと肌脱ごう。自衛官だった親父の夢を叶えてやろう」と動きました。

早速中国は威海の釣竿メーカーに当たりますがいい返事がありません。釣竿は韓国企業が強く早くから山東省に進出しております。そこで中洲と同じ頃釣ビジネスを始めて一時は世界最大の釣竿メーカーとなったソヌーと言う会社を訪ねました。中国の青島に大きな工場を構えています。そこの金社長は大層な財を成して昔は貧相な青年だったのが今では風体も中洲より堂々としておりました。

釣竿と言うのは一般に延べ竿だからクランプ付きの丈夫な継竿は面倒で作ってくれません。それに釣り具は何処も斜陽産業で昔の開拓者精神は失せているようです。結局ソヌーにも体良く断られました。そこの金社長、折角訪ねて来た中洲を慰めて極上の韓国料理を馳走します。ブルコギ食べながら「雪庇カッターの開発を諦めるかなあ」と。

しかしあの小娘に「頼り甲斐のない奴」と見くびられるのも癪で大連ルミカのジンユイ社長に相談したのです。彼女は日本で最大手の釣り具量販店の社長室にいました。美人で日本人以上の大和撫子と評判を取っていましたので彼女が一声かけると男どもは直ぐに応じます。日本での留学生時代これも内モンゴルから来た同級生が強く相談に乗ってくれました。

そして僅か3ヶ月で雪庇1号が完成したのです。

青森の素寒貧のこのササヤマ親爺の為に皆さんが骨を折ってくれました。癪の種は独り有名になりたいこの親爺、地元のテレビや新聞に開発したルミカを隠して自分の自慢話ばかりです。

商品開発なら中洲士郎、次々とアイデアが湧いて雪庇カッターの完成度上げるように親父にアドバイスしますが舞い上がって聞く耳持ちません。開発マンと言うのは中洲も含めて皆んな我が強い人種のようです。この親父が分からないのは工場でラインを動かすのに年2~300本では話にならない、この10倍は売らないといけないという事でした。それが新商品開発で苦労するところです。

「何とか別の用途を開発しなきゃ」新規市場開発ですね。そんな時に中洲の長男が帰省したのです。