中洲若子の話(その15)

2月に士郎が生まれて11月に亥蔵の妻が6人目を出産しました。何とまあ男の子でした。跡取りが生まれたのです。そりゃあ家族、親族、会社を上げてのお祝いですね。そして士郎は要らなくなったのです。士郎が辰野家に入籍される可能性は無くなり代わりに当時としては破格の離縁金が支払われました。若子と士郎が家を買って後々充分生活できる金額だったと若子は言ってました。

ある時中洲は自分が精子の1匹となって受精行為に及んだ様子を妄想しました。先ず母親の卵子というもんは自分で好みの精子を選べないのでしょうか?  いや選べる筈だって。じゃあどうやって?

こんな具合でした。若子は貧しく生まれ修学旅行にも行かせて貰えない惨めな小学校時代を過ごしました。吉塚小学校では成績一番だったのに女子校にも行けず直ぐに置屋に売られてしまったのです。

「生まれてくる子供は必ず自分を大切に守ってほしい。何も秀才じゃなくていい。できればイカサマしてでも生命力が強い方がいいなあ」と。

一回の射精で放出される4~5億匹の精子の中で士郎精子は泳ぐのも卵子に穴を開ける力も強くない。それに不運なことに射精で卵管にくっついた時は若子の卵子は未だ排卵されておらず卵管にへばりついておりました。生命力だけが他より強かったのでしょう。翌日排卵があって今度も元気な4億もの精子が先を争って卵子に向かい一番強い精子が卵子に穴を開けて滑り込もうとしたその瞬間です。若子が膣を締め付けてその精子を卵子から飛び出させてしまい代わりに昨日から命絶え絶えの士郎精子を既に穴が開いた卵子に招き入れたのです。士郎にしっかりと貸しを作って。

本当は東大にでも入れる亥蔵DNAじゃなく中洲血統の学力の低い、しかしイカサマに強い子供が生まれました。亥蔵に離縁された母子には過酷な運命が待っておりましたがイカサマで人生を乗り切ることが出来たのです。坊ちゃん育ちの亥蔵には到底想像がつかなかったことでしょう。

先ず離縁金は全て祖母が取ってしまいました。その金は新円切り替えで紙屑同然になったそうですが信じられません。多分若子よりも更に悲惨な娘時代を経て金に飢えた祖母が生まれて初めて放蕩三昧をやらかしてお金を全部スッテしまったのじゃないかと思っております。一家は又直ぐに極貧生活に戻り若子の妹達に士郎を背負わせて亥蔵の会社にお金をねだりに行かせたそうです。その時八幡の大勢の社員を前に亥蔵がどれ程困惑したか想像に難くありません。「あ~あ。あんな小娘に手を出さなきゃよかった」と。

つい最近まで日本の優しい男性陣が韓国や中国で娘に惚れて一緒になったらその一族郎党20名が一緒についてきたなんて話を聞きます。飢えるという事はそういう事で日本も嘗てはそうだった訳です。

そしてあの優雅な妾宅を出て祖母の子供達の鼻をつまむ小便臭い布団に投げ込まれ、節句の写真で着用していたあの柔らかい肌触りの絹の綿入れは叔父達に取られてしまいました。

沢山のオデキで背中が痒くて何時も柱の角で擦っておりました。劣悪な環境で栄養失調、免疫力の無い士郎にジフテリア菌が喉に侵入して来たのです。

昭和22年の中洲。20年6月の大空襲で中洲は廃墟になりました。その焼け跡には低俗なバラックのカフェが並び女給と酔いどれ客の下品な嬌声と流行歌がこだましております。戦前の中洲の住人達はこれを嘆いて中洲を去ったと一方亭回顧録にもありました。

那珂川の川向うは西中洲、ここは空襲を免れて料亭それに置屋や妾宅が軒を連ねています。

その一軒に置屋「縄田」がありました。

若子 15 歳の春には親に置屋に売り飛ばされましたが21歳の今回は自分の意思でこの縄田に身を置いたのです。

春吉橋から路地をくるりと入ると今でもそれらしき風情があります。

対岸の東中洲の喧騒と対照的にここ西中洲は仕舞屋風の置屋が続く路地の向こうは三味の音色が漏れる小粋な花街でした。

置屋の二階でしょうか。物想いの若子。

中洲検番登録の縄田では 4、5 名の芸妓を置いて西中洲の高級料亭を商いの相手としておりました。

若子は見習いの半玉ではなく始めから 10 歳年上の清子姐さんについて芸妓です。

士郎は 4 歳の頃確かな記憶として(多分十日恵比須さんの祭りで)着飾って宝恵駕籠に揺られる母親を目撃しています。

その清子姐さんは士郎が中学の頃までよく家に遊びに来ました。

彼女には士郎養鶏の卵を使った特製のミルクセーキを何時も振舞ったものです。頬には少しそばかすがあったが口数少なくハスキーな声が特徴で気っぷのいい確かに美人でした。

さてその置屋での芸事修業は厳しかったようです。若子は唄、琴、太鼓、鼓、舞踊などは何とかこなしましたが三味線は下手だったようです。しかし色白できゃしゃな立ち姿を買われて若子は直ぐに沢山の座敷を持ちました。

若子 21 歳売れっ子芸妓に

 だが稼ぐ間もありません。最愛の息子士郎が病を患ったのです。怖いジフテリアです。

その末期には喉から犬が唸るような異様な声を発して周りの者は唯も耳を塞ぎやがて音が掠れて止むのを待ちました。あと数日の命です。

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