アイパオの話(その3)

気がつくと数人の女子中学生が甲斐甲斐しく炊き出しのおにぎり一個と乾パンの缶詰を配り始めます。

驚きました。中学の先生たちと生徒たちの間ではちゃんと段取りが付いていたのでしょう。何時もの練習で試合に臨むかのように淡々と役割を果たしております。悲しみを沈黙に押し込める年老いた被災者たち、日頃の訓練をさらりと演じる先生と生徒たちを先ず観察しました。「これこそ日本人の美徳なのかなあ」複雑な気持ちです。背広にネクタイの今思えば異様な風体のこの老兵にも娘が無言で食べ物を手渡して呉れます。「この年頃になると必ず神様がふっくらと色白に焼き上げてくれるものだな」とその娘にちらりと目を配り食にありつきました。

空腹も覚えず美味くもない飯を頬張り乾パンをかじり終わると少し避難民の気分になって校内をうろつくことにしました。停電はなかったが水道管が破損した水洗便所は溢れた糞尿で大変な事になっています。トイレと言えば夜が更けて校庭に張られたテントの中、ダンボールのトイレで娘達が用を足しているのです。男のように立ち小便とはいきません。自然災害で第一の困難はトイレだと思い知らされました。汚物の沁みた紙トイレの山積みを見るにつけて現代人の策のなさに呆れてしまいます。

地面にサッと穴を掘ってそこにパナソニックの洋式トイレを据え、その周りをカーテンで囲えばいい。用を足したら土をかけるのです。発酵菌が一緒なら糞尿は直ぐに土に還ります。フィンランド人は湖畔で皆そうやってます。

昔ならインデアンの酋長よろしく経験豊富な翁が適切な指示を出し皆は素直に翁に従って被害を最小限に抑えるでしょう。だが「平時の弱虫達が有事になると大声の害虫達」となって何にでも正論のイチャモン付けるのです。至る所でそれを目にしました。彼らは自分の意見が通るのが嬉しいだけで何ら解決案を用意するわけではありません。平時のルールが有事では問題解決の妨げにさえなります。じゃあ一体全体どうすればいいのか。答えは有るはず。その答えをこれから見つけ出さなくてはいけません。

その夜、暖を求めて立ち入った教員室のテレビに報じられる恐ろしい光景はまさに日本沈没でした。遠く千葉の石油コンビナートも火の海に包まれています。この久之浜地区でも42名の犠牲者が出たとのこと。あの土煙の下が阿鼻叫喚の世界だったとは。中洲が乗車した富岡駅も流されてしまったそうです。避難所は沈黙が支配しています。年寄りが多い。幾度と繰り返される災禍の中で地方の人々はその時いつもこうなのでしょうか。テレビの向こうで喋っている行政や報道人との温度差が余りに大きいのです。

行政の第一の使命は人民を災害から守ることと迅速な災害復旧でしょう。良い政治か悪い政治かは災害の時に露呈しますね。会社も経営者も然りでしょう。テレビの向こうは本当に恥知らずのエリート達、それとも経験と知恵が無いだけなのだろうか。だったらこちらから知恵を出してやればいい。災害の時に先ず必要なものは何か?退屈だから校内をうろつきながら思案しました。

それは家でない家。即ち10平方以下の雨風に強くものの数時間で建ち上がる綺麗な家です。空き地にどんどん建ちます。ラーメン屋、集合トイレ、お風呂、二階は子供達の部屋で天井には映画も映ります。ラブホテルも有ったりして。道具小屋も欲しい。しかも価格は躯体だけなら10万円。校庭中に各色のドームが光っているのです。子供達はここがいい、ここに住みたいと。

早速例の害虫たちがやって来ます。「ところで君ィ、建築基準法は通っているか」と。「あなた10平方以下は家じゃない。だから法律は適用されませんよ」「台風が来て小屋が飛んだらどうするんだ」「逃げればいいでしょう。今回の津波に比べれば台風なんてどうにでもなる」

士郎の脳味噌が震え出し例のうわ言が始まり次第に熱くなって来ました。「俺は九州に戻って直ぐに救援にやって来るからな」と。

久之浜中学の体育館で

久之浜漁港。夜通し燃え続けました。

久之浜漁港。壊れた岸壁

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